近年、古い作詞ノートを引っ張り出して某店で古い自作曲を歌ったことがきっかけで、自分の中で埋もれた古い自作曲の歌詞を見直したりしている。
まあ、そういう曲はたくさんあるので、あくまでも「一部の曲」だけだが。
作った曲には、作った当時の自分の心境が込められているのは当然。
それをレギュラーレパートリーとして使い続けていればそうでもないが、長いこと放置して埋もれていた曲だったりすると、今の自分との心理的距離や感覚や表現のずれを感じたりする。
そのまま埋もれさせておくならともかく、その曲を捨てがたく感じて今の自分が取りあげてみようとするなら、どうしても直したくなる箇所がある。
それがバンド時代の曲なら、なおさら。
バンド時代の曲をアコギでやるならアレンジも変えないといけないし、そのためには自分の割り切りも必要になる。
また、アコギでの披露だと、バンドに比べて歌詞が伝わりやすい。
となると、歌詞の修正もしたくなる。少なくても、今の私が歌うなら、今の私の心境に即した言葉で。
まあ、それでもあまりに変えてしまうと、その曲を作った当時の意味合いや、その曲の存在意義が変わってしまうので、少し歌詞を修正するにしても、最低限にはしたいとは思う。
大幅に変えたいなら、新たに別の曲を作ったほうがいいし。
ただ、作った当時の自分の年代を強調した歌詞だったりすると、その後何十年もたってそれを歌おうとすると、さすがに心理的に無理があったりする。
既成の歌謡曲やフォークやロックやポップスなどでも、そういうケースはあると思う。
例えば、松本伊代さんの「センチメンタルジャーニー」の歌詞「伊代はまだ16だから」という歌詞とか、尾崎豊さんの初期の曲などは、曲が出来た当時のそのシンガーの年代が歌詞に反映されている。
そういう曲は、その曲が出来た当時に歌うのと、その後何十年もたってから歌うのでは、やはり歌い手の心の中に距離とかがあってもおかしくないと思えるし・・。
無理して原曲の歌詞のまま歌うと、へたしたらパロディっぽくなってしまいそうだ。
そのへんのことはある程度は若い頃にも私は感じていたので、自作曲の歌詞の中で、その曲を作っている時の自分の年齢の数字を歌詞に盛り込んだことは、私は・・・・ない。
もっとも、たとえ自分の年齢を歌詞に入れなくても、歌詞の全体的な内容そのものに、その時の自分の年齢からくる心境は反映されているものだ。
ただ、そうであっても、やはり年齢そのものを盛り込むと、かなり限定的な歌詞になってしまう。
その場合・・・
「○○才の頃、私はこんなことを考えていました」とか、「○○才の頃の私の心境です」などのMCを入れないと歌いづらいかも。
もっとも、年齢からくる「感じ方」を超越できている内容なら、問題ないのだろうけど。
年齢そのものを歌詞に入れてなくても、特定の年代は歌詞に入れたことはある。
それは、高校時代だ。
歌詞の中に校則への反発を盛り込んであった自作曲で、「高校生らしく」というタイトルの自作曲だった。
これなどは、対象は大半の場合は年齢が16~18位であろう。
ディランの「風に吹かれて」の歌詞をもじって作った、アンチ校則の歌だった。
歌詞の中に
♪僕たちが高校生らしくあるために
何センチ髪の毛を切れば、そう見られるのか
僕たちが高校生であるためには
なぜ拒否することが許されないのか
諦めさせるのが高校生なら、なぜ「諦めるな」と言われるのか
先生は言う「お前ら、それで高校生らしい髪型のつもりか?」
おふくろは言う「先生の言うことをきかないと可愛がられないわよ」
オヤジは言う「将来どうなってもしらないそ」
・・・すぐには歌詞を思い出せないし、上記の部分はあくまでも歌詞の一部にしかすぎないし、うろ覚えの部分もあるし、歌詞の順番や言葉使いも少し違う箇所もあるとは思う。でも、まあこんな内容の歌詞だった。
いやあ、今の自分が読むと、あまりにも青臭くて、恥ずかしい(笑)。
でも、確かに高校生時代、そんなことを思っていたのは確かではあるが・・。
この歌なんて、・・・ちょっともう歌えない。
もし歌うとしたら、「高校生時代に作った、アンチ校則の歌です」とでも言わなければ、とても無理(笑)。
まあ、歌うことはないだろうけどね。
でも、こうしてオヤジになってこの歌を思い出すと、
「ああ、こんなこと考えていたなあ」などと思って懐かしい気持ちにはなる。
この歌は、自分がもう高校生ではない以上、歌詞の変えようがないし、変えたら大ウソの歌になってしまう。あくまでリアルタイム高校生時代だからこそ作れた歌だったし、手直しするとしたら、歌の主人公が「高校生」であるという大前提そのものから変えなきゃいけなくなる。
そうなると単なる手直しレベルでは無理だし、この曲のテーマからいって、もうそれはこの曲ではなくなる。
全編書きなおしにするしかないし、そんなことするぐらいなら、やらないほうがいい(笑)。
むしろ、今の自分で、今の心境で新しい歌を作ったほうがいいのだ。
このように、自分で歌うとなると、手直しのきかない歌も・・・ある。
高校生だった時代の自分は、今からでは、もう手直しがきない。
この場合、こういう歌は潔く「このままにしておく」のが一番なのだろう。
「高校生」という年代を特定しただけに。
当時、この曲の入ったテープを友人に聴かせたら、何人もの級友がかなり共感してくれたし、「これは反戦歌ならぬ、反先歌(アンチ先生)だね」と言ってくれたりしたけど、これは自分が高校生である期間だけ歌える歌だった。
でも、なにやら気恥かしさもあったので、結局は人前で歌ったことは一度もなかった。
今考えると、自分が高校生だった時代に、1回くらい人前で歌っておけばよかったかもしれない(?)。
やはり歌には、特定の期間だけしか歌えない歌・・というのも・・ある。
まさに、リアルタイム高校生だったからこそ書いた歌詞だったと思います。
学校や先生や校則への反発歌でしたから、、、。
仮に同窓会ライブみたいなものがあったとしても、今の自分にはもう歌えない曲です。
若い頃に作った歌でも、大学時代以後に作った曲は、割と手直ししなくても歌える曲が大半です。
でも、中学生・高校生時代に作った曲は、今歌うとなると、手直ししたくなる曲が多いかもです。
もちろん、手直し無しでもいけそうな曲もありますけどね。
だんぞうさんのオリジナル青春歌謡曲、大変興味深いです。
「その時代、その感性だからこそ作った楽曲」は、プロフェッショナル・アマチュア問わず、ミュージシャンの方々には付き物ですね。
コンサートでは披露せずとも、心の箱に入れて、大切にし続けてくださいね。
しかし、だんぞうさんの少年時代に、「大人になっても改変するところなく歌える楽曲」は、ありますか?
そういう楽曲は、大変思い出深いですよね。