新書版の本を買うと、たまに文章が2段になっている本がある。
実は私は、2段になっている本は苦手かもしれない。
2段文章になっている本を、通常の1段の本にすると、単純に考えてもページ数は倍近くになることになる。
場合によっては、倍の厚さの本になったり、あるいは1冊の本におさまらずに、2冊の本に・・・この場合「上巻・下巻」「前編・後編」になってしまったりするのだろう。
そう考えると、2段の文章の本は、お得・・ということになる。
2冊分の分量の内容を、1冊にまとめているわけだから。
1段の文章の本を2冊買わずに、1冊買うだけで済んでいるわけだから。
そう、内容量の面からいえば、お得なのだが、そういう本を開いた時、どうも私は中々読む進まない。
それが特に私の興味をひく内容の本であったとしても・・だ。
買ってはみたけれど、途中で挫折したこともある。
その苦手な理由は、ページを順調に読み進んでいるという感覚、次のページに進むペースが、1段の本よりも遅いからかもしれない。
ページを順調に読み進めて先に進んでいるという感覚は、未読のページの残り数や、これまで読んだページの量や、残りページの量で実感できるものだが、2段文章の本だと、中々先に進んでいない気がするし、それまで読んだ量も中々増えない。
文章が2段になっていると、びっしりと文字で2ページが埋まっているように見えることがあり、そんな時、何と言うか・・敷居が高いように感じてしまうことがあるのも、苦手な要素なのかもしれない。
これが雑誌なら、全く気にならないのだが。
収められた内容量的にお得なのはわかっているのだが、快調に読み進んでいるという実感も欲しい・・・ちょっと相反する感覚かもしれないが、それもまた私にとっては正直な感想だ。
文章が2段になっている本でも、内容が私の好みに合ったり、興味のある内容だったりすると、2段になっていることが分かったうえでも買ったことは何回もある。
それでも、ある程度のページを読んで、その「読み進んでいるペース」の遅さで挫折してしまった本が・・・何冊か本棚にある。
いつか読もうと思っていても、そのままになっている。
それでも、本を買う時に中身を確かめて「文章が2段になっている」ことがわかった上で購入した本なら、まだいい。覚悟みたいなものが自分の中にあるから。
だが本屋によっては、本がビニールなどで梱包されていて、中身が見れない状態で売られている場合もある。
立ち読みなどで本が汚れたり、破損したりするのを防ぐためであろうし、それはそれで書店の狙いは理解できる。
だが、中身を確認できないまま買った本で、いざ読もうとしたら文章が2段になっていて、困ったことは何度かある。
これは、ネットショッピングで本を買う時にも、あてはまるだろう。
ネットショッピングで本を物色する時、値段、表紙のデザイン、物語のおおまかな紹介はあっても、中身の文章が2段になっているかどうかはわからなかったりもするから。
私など・・・贅沢かもしれないが、文章が2段になっていて、なおかつ分厚くなっている本で、本当に内容に私が関心がある本は、いっそ文章を1段にして、前編後編の計2冊にして販売してもらいたい気もしている。
そちらのほうが私的には読みやすいから。
たとえ2冊分の値段を払うことになっても。
こんな私、わがままですか?
と、ここまで書いて、ふと思ったことがある。
それは・・・文章が2段の本を読み慣れている人は、文章が1段になっている本を読む時、物足りなく思えたりするのだろうか?・・・ということ。
確かに、堅い表紙の本がそうですね。
実は私は聖書そのものは読んだことがありません。
ただでさえ読んだことがないのに、二段文章だとますます敷居は高く感じると思います。
挿し絵があると、だいぶ印象はソフトになりますね。
それだけでもかなり読みやすくなりそうです。
文章が二段印刷になってる本!!確かに『これを読破するのは根気がいるぞぉ!』って感じですね。
ただ、表紙の薄い本で二段文の本はみたことはないんですが、堅表紙の本だったら、よくありますよ。
ぼくも、そんな本、いくつかもっています。
☆まずは、『聖書です。!』ぼくはクリスチャンではありませんが、幼稚園がキリスト教会の附属の幼稚園だったので、いちおう聖書と讃美歌集は持っています。
まあ、もっとも、聖書は発行者によって翻訳や装丁のしかたは違いますが、ぼくの持ってる聖書は、黒表紙で二段がまえの細かい字で印刷されています。
それから古本屋で購入した千夜一夜物語八冊全集(アラビアンナイト)ですが、これも二段がまえです。ただし、これはエロチックな挿し絵がいっぱい挿入されてますから、わりと親しみやすいです。(笑)
それと、もう一つドイツのニ-チェの哲学小説『ツァラトゥストラはこう語った』(中央講論社)も古本屋さんで入手しましたが、これも二段がまえの本です。
まあ、これもわかったような、わからないような本ですね。
★秋日射す、書庫には古き、ニ-チェの書。 綺蘭
2段文章は見開き2ページ分にびっしり文字がつまっている感じで、読みづらいですよね。
あまりに余白ばかりで、それでスペースを稼いでるいるのもどうかと思いますが、あまりに文字がびっしりつまっているのもしんどいです。
本は、やはり「読みやすさ」というのも大事だと思えます。
あと、あまりに文字が小さいのも、私は最近苦手になってきました。いっそ虫めがねでも使おうか・・・と思うこともあります。
カップ麺などに、かなり小さい文字で調理方法が書かれていると、読めないことも・・。
以前はちょっと古い作品だと二段組みがけっこうありました。
文字のポイントは小さいわ。上段読んでるといつの間にか下段に目が移ってるわで、
読んでて疲れたり、だんぞうさんみたいに挫折したりしてましたね。
ここ数年老眼が一気に進んできてるもので、
最近の大きな活字の文庫本は目にも優しくて嬉しいです。
私の印象では、オリジナルが外国の作品だったりすると、そういうケースが多かった気がします。
たとえば、三国志の荒唐無稽な完全フィクション版である「反三国志」なんかもそうでした。
読みたくて本を買ったのですが、2段文章だったため、挫折した覚えがあります。
なんか、とっつきにくいんです・・・。
文章2段階の本とは、めったに巡り逢わないですね(^^;)
挿し絵や写真も全く無い、活字だけの文章2段階は、かなりキツいです(〇>_<)
無宗教である私ですが、宗教本に、そういう形式多いらしいですよ。