日本語には、きれいな言葉がたくさんある。
文章のうまい人の文だと、長文まとめてきれいに感じられることもある。
そういう文は好きだが、短い言葉にもきれいな言葉はある。
たとえば「ゆかりの」。
この言葉を意識したのは子供の頃だったと思う。
弟が、何気に使っていた。もちろん、テレビか何かで聞いて覚えた言葉だったのだろう。
子供は、意味も分からずに口癖のように言葉を使ってしまうことがある。
弟が「ゆかりの」という言葉を口癖のように使ってたのも、それだろう。
なぜなら、本来の意味とは関係なく、やみくもに無差別に使ってたからである。
しかも、「ゆかりの」という言葉単独で使ってたわけではない。
「信玄ゆかりの」というフレーズで使ってたのだ。これは、日常生活で、そうそうふんだんに必要となる言葉ではない。
弟はこの「ゆかりの」という言葉に「きれい」という感想は持ってなかったようだった。ただ、語感が面白かったのだろう。
「信玄ゆかりの」という言葉の響きや語感が。
だが、私は、このフレーズの中の「ゆかりの」という言葉に何ともいえない深さ、奥ゆかしさ、美しさ、はかなさ、寂しさなどを感じた。自然風景までもが見えるような気がした。
なんか、惹かれるものがあった。このたった一言の言葉に、そこまで感じてしまった。
弟が使ってた「信玄ゆかりの」という言葉を本来の意味で使うなら、日常生活では例えば「信玄ゆかりの地に旅する」「あの温泉は、信玄ゆかりの温泉らしいよ」みたいな使い方をすることになるだろう。
もちろん、「信玄」というのは、戦国武将・武田信玄のことである。
「ゆかりの」というのは、「縁がある、関係がある」という意味である。
だから、武田信玄に関係がある(縁がある)何かについて語る時に「信玄ゆかりの」という表現が使われる。
だが、「ゆかりの」という言葉を単独にしてしまえば、用途は広くなる。
ちょっと堅苦しさはあるのだが、単に「縁がある」という表現を使うよりも趣がでてくるし、何やら古風なものも感じさせる。
詩的な表現でもある。
そう、この「詩的」な感じが、私は好きだった。
弟が「信玄ゆかりの」という言葉を口にした時に私が想像したのは、「信玄ゆかり野」という字面だった。
野原、草原をイメージしてしまったのだ。
ここから「信玄」という固有名詞をとれば「ゆかり野」ってことになる。
そう、私が惹かれたのは、まさに「ゆかり野」だったのだ。
「ゆかり野」。・・・・趣のある言葉だとは思わないだろうか?
どこかに、そういう地名があってもおかしくない気がする。まあ、何の「ゆかり」なのかは、ともかく。
歴史があって、趣もあって、自分なりの自然風景も浮かんでくる・・・そんなイメージを持ってしまう。
この日記の冒頭でも書いたが、 日本語には、きれいな言葉がたくさんある。
で。
それと同じように、きれいな地名も他にたくさんある。
例えば「あざみ野」「すずかけ台」「月夜野」「風間」。このへんの地名の響きは好き。
「風間(かざま)」なんて、・・これは私の推測だが、おそらく「風魔」からきてるんじゃないだろうか。
地域的にそんな気がする。
「風魔」・・ふうま。
風魔といえば、伊賀や甲賀に続く第3の忍者集団として忍者マンガで登場してきたりする。
風魔一族は、風魔小太郎を首領とする関東乱破(らっぱ)で、実在した。今でいう「忍者集団」だ。
戦国時代、北条家に仕えたが、後にただの盗賊集団になってしまい、捕まったという。
ちなみに「忍者」は地域によって色んな呼び方をされており、「忍び」「素波(すっぱ)」「突破(とっぱ)」「軒猿(のきざる)」その他たくさんある。で、「乱破」という呼び方も、その中の1つ。
忍者の技は盗賊の技と共通するものが多いから、忍びとしての働き口がなくなっていくと、自分の技量をいかすには・・盗賊になるしかなかったのかなあ。
で、この風魔党の本拠地が、確か・・このへんじゃなかったかな。
で、「風魔(ふうま)一族」がいたエリアが、いつしか「風間(かざま)」という地名に変わっていったんじゃないか・・という気がしてならない。「風間」、う~ん、いい響き。
こうした、趣のある地名は、好き。
それは「ゆかり野」とて同じ。
どこかに旅して、ふと「ゆかり野」という地名でも発見しようものなら、私は嬉しくなってしまいそうだ。
で、きっと・・ふと足を向けたくなるだろうな・・。できれば「野原」のような場所であってほしい・・。
きっと、狭いようで案外広い日本のあちこちに、私の知らない「素敵な地名」が散らばっているんだろうね。
きれいな地名、色々知りたいな~。
で、なぜ、そこにそういう地名がついたのかが分かれば、より一層楽しくなってくるだろうね。
その地域に古い歴史があればあるほど、意味深だったり、妙だったり、きれいだったりする地名が多いような気がする。
個人的には「妻恋」や「恋ケ窪」という地名(駅名)なんて、歌の題材にしたくなるような良い響きだと思っている。
ロ、ロマンだ・・。ラブだ(笑)。
で、そういう名前や言葉は、ちゃんと未来に伝えられていってほしい。
文章のうまい人の文だと、長文まとめてきれいに感じられることもある。
そういう文は好きだが、短い言葉にもきれいな言葉はある。
たとえば「ゆかりの」。
この言葉を意識したのは子供の頃だったと思う。
弟が、何気に使っていた。もちろん、テレビか何かで聞いて覚えた言葉だったのだろう。
子供は、意味も分からずに口癖のように言葉を使ってしまうことがある。
弟が「ゆかりの」という言葉を口癖のように使ってたのも、それだろう。
なぜなら、本来の意味とは関係なく、やみくもに無差別に使ってたからである。
しかも、「ゆかりの」という言葉単独で使ってたわけではない。
「信玄ゆかりの」というフレーズで使ってたのだ。これは、日常生活で、そうそうふんだんに必要となる言葉ではない。
弟はこの「ゆかりの」という言葉に「きれい」という感想は持ってなかったようだった。ただ、語感が面白かったのだろう。
「信玄ゆかりの」という言葉の響きや語感が。
だが、私は、このフレーズの中の「ゆかりの」という言葉に何ともいえない深さ、奥ゆかしさ、美しさ、はかなさ、寂しさなどを感じた。自然風景までもが見えるような気がした。
なんか、惹かれるものがあった。このたった一言の言葉に、そこまで感じてしまった。
弟が使ってた「信玄ゆかりの」という言葉を本来の意味で使うなら、日常生活では例えば「信玄ゆかりの地に旅する」「あの温泉は、信玄ゆかりの温泉らしいよ」みたいな使い方をすることになるだろう。
もちろん、「信玄」というのは、戦国武将・武田信玄のことである。
「ゆかりの」というのは、「縁がある、関係がある」という意味である。
だから、武田信玄に関係がある(縁がある)何かについて語る時に「信玄ゆかりの」という表現が使われる。
だが、「ゆかりの」という言葉を単独にしてしまえば、用途は広くなる。
ちょっと堅苦しさはあるのだが、単に「縁がある」という表現を使うよりも趣がでてくるし、何やら古風なものも感じさせる。
詩的な表現でもある。
そう、この「詩的」な感じが、私は好きだった。
弟が「信玄ゆかりの」という言葉を口にした時に私が想像したのは、「信玄ゆかり野」という字面だった。
野原、草原をイメージしてしまったのだ。
ここから「信玄」という固有名詞をとれば「ゆかり野」ってことになる。
そう、私が惹かれたのは、まさに「ゆかり野」だったのだ。
「ゆかり野」。・・・・趣のある言葉だとは思わないだろうか?
どこかに、そういう地名があってもおかしくない気がする。まあ、何の「ゆかり」なのかは、ともかく。
歴史があって、趣もあって、自分なりの自然風景も浮かんでくる・・・そんなイメージを持ってしまう。
この日記の冒頭でも書いたが、 日本語には、きれいな言葉がたくさんある。
で。
それと同じように、きれいな地名も他にたくさんある。
例えば「あざみ野」「すずかけ台」「月夜野」「風間」。このへんの地名の響きは好き。
「風間(かざま)」なんて、・・これは私の推測だが、おそらく「風魔」からきてるんじゃないだろうか。
地域的にそんな気がする。
「風魔」・・ふうま。
風魔といえば、伊賀や甲賀に続く第3の忍者集団として忍者マンガで登場してきたりする。
風魔一族は、風魔小太郎を首領とする関東乱破(らっぱ)で、実在した。今でいう「忍者集団」だ。
戦国時代、北条家に仕えたが、後にただの盗賊集団になってしまい、捕まったという。
ちなみに「忍者」は地域によって色んな呼び方をされており、「忍び」「素波(すっぱ)」「突破(とっぱ)」「軒猿(のきざる)」その他たくさんある。で、「乱破」という呼び方も、その中の1つ。
忍者の技は盗賊の技と共通するものが多いから、忍びとしての働き口がなくなっていくと、自分の技量をいかすには・・盗賊になるしかなかったのかなあ。
で、この風魔党の本拠地が、確か・・このへんじゃなかったかな。
で、「風魔(ふうま)一族」がいたエリアが、いつしか「風間(かざま)」という地名に変わっていったんじゃないか・・という気がしてならない。「風間」、う~ん、いい響き。
こうした、趣のある地名は、好き。
それは「ゆかり野」とて同じ。
どこかに旅して、ふと「ゆかり野」という地名でも発見しようものなら、私は嬉しくなってしまいそうだ。
で、きっと・・ふと足を向けたくなるだろうな・・。できれば「野原」のような場所であってほしい・・。
きっと、狭いようで案外広い日本のあちこちに、私の知らない「素敵な地名」が散らばっているんだろうね。
きれいな地名、色々知りたいな~。
で、なぜ、そこにそういう地名がついたのかが分かれば、より一層楽しくなってくるだろうね。
その地域に古い歴史があればあるほど、意味深だったり、妙だったり、きれいだったりする地名が多いような気がする。
個人的には「妻恋」や「恋ケ窪」という地名(駅名)なんて、歌の題材にしたくなるような良い響きだと思っている。
ロ、ロマンだ・・。ラブだ(笑)。
で、そういう名前や言葉は、ちゃんと未来に伝えられていってほしい。