時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

なぜ、私なんだよ!?

2008年07月31日 | 日々の、あれこれ
生きてると色々なことがあって、時々「え?・・なぜ、私なんだよ!?」って思いたくなる出来事って、ないだろうか?

昔、吉田拓郎が癌告知を受けた時、「俺が癌? なぜ、俺なんだよ!」って言ってたのが印象的fだった。

思うに、何か深刻な病気や、被害の話題を耳にする時って、「自分だけは大丈夫」とか「自分は関係ない」「自分だけは死なない」みたいな思いが、人間の心の隅にありはしないだろうか。
いわば、根拠のない楽観。あるいは、甘い現状認識。

危険地域に指定されてるのに、「自分探し」などの曖昧な大義名分(?)を持って、そういう場所に無防備に旅して、事件に巻き込まれる・・なんていう暴例もある。「自分だけは大丈夫だろう」とか「俺がそんな目に合うわけがない」という思いがあったのだろう。
だが、こいう場合は「なぜ、私なんだよ」という考え方は全く通用しない。「そんな所に行くからだよ」の一言で片付く。

だが、病気などの場合は「なぜ、私なんだよ」と思いたくなることは多いだろう。
不慮の事故にも、それが当てはまる場合はあるだろう。
この場合、運が悪かった・・とか、因果とか、「悲しい運命」という言葉が似合うことが多い。
自分がいくら気をつけてても、避けられない事態や、不慮の事態が自分にふりかかってくることはあるものね。

物事は、自分の身にふりかかって初めて実感を伴うことって、多い。
その「物事」が、理屈ではどういうものかということは分かっていても、自分の身にふりかからないと、どこか他人事っぽくて、いい意味でも悪い意味でも冷めた目で見たり、冷めた意見を言ったりする。

ところが、いざ自分にふりかかってみると、冷めた目で見たり冷めた意見を持つような余裕はなくなったりする。
で、そういう体験をいくつか実際にすることで、見方や感じ方や意見に「血が通って」説得力をもつようになる。

やっぱ、実体験の有る無しの差は大きいのだ。

「なぜ、私なんだよ」・・の「私」には、誰だってなってしまう可能性はある。日常茶飯事のことじゃなければないほど、その「私」になってしまった時の衝撃は・・大きい。

覚悟を持って生きる・・ってのは、なかなか難しいけどね・・。

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