人間にとって益虫といわれている、クモ。
クモに関しては小さいクモなら特に私は何も思わない。
だが巨大なクモとなると、ちと違う。
なんというか、少し不気味なものを感じるのだ。
巨大なクモに関しては、昔読んだ恐怖マンガ・・・古賀新一さんの、クモにまつわる恐怖マンガが私の心に刷り込まれているのが、私がクモに少し不気味なものを感じる原因のひとつである。
蛇と並んで、クモは恐怖マンガのネタの定番だったように思えるので。
蛇にまつわる楳図かずおさんの恐怖マンガ「へび少女」「へびおばさん」があったように。
古賀新一さんの「まだらの毒グモ」には、個人的にけっこうインパクトを感じた覚えがある。
絵や物語が怖かったというより、クモが恐怖モノの対象になりうるという意味で。
古賀新一さんは後に「エコエコアザラク」という作品で大ブレイクしたが、それ以前はどこか楳図かずおさんと作風がかぶるような印象を私は持っていた。
恐怖マンガが得意で、どちらも少女週刊誌に連載していた点など。
当時、少年だった私は、本屋で普段はマガジンやサンデーなどを立ち読みしてたのだが、人目を忍ぶように密かに少女週刊誌も立ち読みすることがあった。
とはいえ、私は少女マンガのファンだったわけでもない。
少女週刊誌に連載されていた楳図かずおさんや古賀新一さんの恐怖マンガがピンポイント的に好きで、少女週刊誌を手に取るのにいくばくかの照れくささは感じながらも、楳図作品や古賀作品目当てで、少女週刊誌を立ち読みすることがあった。
それでも、少女週刊誌を男の子が手に取るのが当時は恥ずかしく感じられていたので、周りに人が多い時は、手を出さなかった。
なので、少女週刊誌に連載されていた楳図作品や古賀作品は、とぎれとぎれで読んでいた。
マガジンやサンデーは毎回立ち読みしていたけど。
楳図作品や古賀作品を、少年週刊誌にも連載してくれればいいのに・・・なんてよく思っていたものだ。
そんな中で、ある時少年マガジンで楳図作品の連載が始まった時は嬉しかったし、毎回立ち読みしていた←だったら、買えよ(笑)。
マガジンで始まった楳図作品の連載作品は「半魚人」だったが、これには相当入れ込んだものだった。
半魚人は少年週刊誌での連載だったから、誰はばかることなく毎回読めた。これは嬉しかった。後に単行本を買ったぐらい、好きだった。
だが、その反面、とぎれとぎれで読んでいた、少女週刊誌に連載されていた楳図作品や古賀作品も気にはなっていた。
私が読みもらしていたあれらの作品の途中経過はどうだったのか・・とか、結末はどうなったのか・・とか。
なので、後に、少女週刊誌に連載されていた楳図作品や古賀作品が単行本になった時は、とびついた。
当時の楳図作品と古賀作品は、共に恐怖マンガ・・という共通点があったが、なにやら絵柄もちょっと似ていたような気もした。
でも、だからこそ両方とも違和感なく好きだった。
二人いるから、そういう系統のマンガを2倍量楽しめている気もした。
もしも楳図さんか古賀さん、どちらか1人しかいなかったら、作品数も半減していたと思うので。
楳図作品といえば、「へび少女」「へびおばさん」「ミイラ先生」「笑い仮面」「黒い猫面」など、恐怖マンガは豊富だった。クモ女系の作品ももちろんあった。
で、もう一人の雄、古賀作品にもヘビ女系の作品はあったが、私が当時買った古賀さんの単行本は「まだらの毒グモ」であった。
もう物語の内容は忘れてしまった。単行本を私は持ってたし、今も家のどこかに残っているとは思うが、どこにしまったのか分からなくなっている(笑)。
ただ、クモが恐怖の対象になりうると認識したのだけは、この作品の影響だ。
クモがもし、昔の日本の恐怖マンガやドラマなどによって不気味な生物としてのイメージを持たれて困っているのだとしたら、クモとしては・・・アメリカのコミックヒーローであるスパイダーマンにもっともっと頑張ってもらって、クモの好感度をあげてもらうのを願っているのかもしれない。
そういう意味では、クモ界の中では、そのイメージアップのためには、スパイダーマンは希望の星であるに違いない。
スパイダーマンは、人間とクモ、2種類の種族から支持されるヒーローなのだ。
きっと(笑)。
スパイダーマンにもし何かあったら・・・クモが黙っちゃいない???
あれ?
この記事って、確か「まだらの毒グモ」の話だったはずなのに、いつのまにかスパイダーマンの話になってしまった・・。
一貫性がクモってしまった??
せっかく古賀先生の作品をとりあげようとしたのに、古賀先生、すみません。
いずれ、本棚のどこかにまだあるはずのこの作品を、読み返したら、また書きます。
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