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歴史上の有名人物には肖像画が残されていたりする。
有名な人物は、資料などを題材にして、その人物を描いたり、登場してきたりする映画やドラマやコミックや小説などが無数にある。
そういう作品を観たり読んだりしてると、その人物に会ってみたくなる気分になることがある。
仮に会えなかったとしても、実際にどんな人物だったのかを知りたくなったりする。
人間性もそうだが、容姿も知りたくなってきたりする。
カメラのなかった時代の人物は、残された肖像画から、その容姿は想像するしかない。
だが私は、歴史上の人物の肖像画を見ていて、この肖像画はどこまで本人に似せているのだろう・・もしかしたら誇張されたり、何かの政治的意図から、あまり似せずに描かれている場合もあるはずだ・・・などと思ったりする。
たとえば織田信長。信長には日本人の絵師によって描かれた有名な肖像画が数点あるが、それとは別に、異国人宣教師が描いた「よりリアルに感じられる」肖像画もある。
日本人が描いた信長と、異国人が描いた信長は、輪郭など全体の雰囲気は共通するものがあるにせよ、ちょっと見ただけでは、印象は微妙に異なる。
とはいえ、信長の場合は最近ではデスマスクまで紹介されたりすることもあり、様々な肖像画やデスマスクなどを見くらべて、それなりに共通するものはあるので、おぼろげではあるが、なんとなく信長の実際の容姿は想像しやすくなっている。
信長は日本人絵師による多数の肖像画や、異国人が描いたリアル肖像画や、デスマスクなどのいくつもの切り口による資料がそろっているので、比較的実際の顔は想像しやすい方だが、それ以外の人物となると、日本人が描いた肖像画だけで想像するしかない。
その肖像画も、その人物だけを描いた大きめの肖像画ならともかく、その他の人物と一緒に描かれている人物となると、たとえ絵姿が残っているとはいっても、どうもアバウトすぎて、実像は想像しにくい。
例えば服部半蔵とかね。
肖像画の数が少なく、しかも絵姿に誇張があることも考慮すると、それが実像に本当に似ているのかどうか疑問ではあるのだが、それゆえにかえって我々は勝手にイメージを膨らませることもできるという利点はあり、だからこそドラマや映画やコミックなどで作者が独自のイメージで描けたりする。
まあ、その場合は、その作品の中だけの容姿として割り切って楽しむしかない。
もっとも、中には名前は有名なれど、肖像画らしきものが残されていない人物もいる。例えば前田慶次がそうだ。
こういう人物になると、後世の我々が勝手にイメージを作るしかない。こうなると、気分はもう「架空」の人物に近くなる。
一方、時代が進み、幕末の時代になると、すでにカメラというものが存在している。
そのおかげで、幕末の時代では、写真が残されている人物もいる。
有名どころでは坂本龍馬、徳川慶喜、近藤勇、勝海舟、高杉晋作、その他もろもろ。
肖像画と違い、さすがに写真だと、リアルである。
たとえ今と比べて画質が悪かったとしても、だいたいの容姿は実際に分かる。そう、この場合、想像できる・・ではなく、分かる・・である。
最近たまに思うのだが、もしも幕末の時代にカメラがまだ存在してなくて、有名人物たちが肖像画でしか残されていなかったとしたらどうだろう。
新撰組の土方歳三などは写真も残されているが、絵姿も残されている。
これが・・写真と絵姿では、容姿が全く違う。
こういうのを見ると、いかに絵姿というものがあてにならないかということを思ってしまう。
もっとも土方の絵姿は、肖像画というよりも、芝居がかった絵なので、余計にそう思うのだろう。
もしも龍馬が、写真が残されていなくて、肖像画だけが残されていたとしたら、その絵姿はどんな容姿で描かれただろう。
また、もし肖像画も残されていなかったとしたら、どんなイメージの容姿で現代のドラマや映画やコミックなどに描かれるだろう。
その場合、作者や描き手の独自のイメージで描かれることになる。
実際には写真が残されているからこそ、ある程度共通項のある容姿で演じられたり描かれたりしているが、もしも前田慶次のように写真も絵も残されていなかったとしたら?
そうなったら、今我々が思い浮かべる龍馬のイメージとは違っているだろうなあ・・・などと思う。
例えば戦国時代に人物画を描いた絵師に、現代の我々の肖像画を描いてもらったら、どんな風に描かれるのだろう。
当時の絵師が主だった人物の肖像画を描く場合、描き方に一定の決まりみたいなものがあったのだとしたら、それを現代人にあてはめて描いてみたら?
試しに、私などはどう描かれるのだろう。・・なんて思うことが私にはある。
あ・・
当時の絵師に肖像画を描いてもらうには、巨大な権力か財力が必要か・・・きっと。
そんな金があったら、酒を飲みたいだの、ギターを買いたいだの、旅行したいだのと思ってしまう俗人の私には、やはり肖像画には縁はないか(笑)。
ま、いいや、おとなしく埋もれておきます。そして好きなことをやっていることにします(笑)。
それとは違うかも知れませんが、戦国時代の人物画。あるいは江戸時代の殿様を描いた人物画。描かれた人はそれを見て自分にそっくりだと思ったのでしょうか?いつも思います。
ただ、これは案外そっくりだったのでは?と思うのは三方ヶ原の戦いで武田信玄に惨敗した徳川家康が命からがら逃げて、その直後に絵師に描かせた自画像。それは案外そっくりだったかも知れません
>それが私のオリジナル真田12勇士でした。
その絵。見たいです
>私が上田旅行で行った佐助の修業場所は角間渓谷で、才蔵の修業した滝は千古の滝でした。
素晴らしい旅行をされていますね
>ウクライナから11万人避難
避難はしたけど住む家があるのでしょうか
それによると、目がパッチリした女性も多く、今の感覚から見ても美人に思える女性もけっこういました。
源氏物語とか万葉集の時代にも、きっとそんな女性はいたと思えます。
絵だと、瓜実顔だったり、ちょっとしもぶくれ(?)の輪郭で、目が横長のイメージの女性が多いですけどね。
私が描いた霧隠才蔵は、柴田さんの設定を踏襲し、ちょっと外国人っぽくしました。背が高く、鼻も高く、クールで不敵な容姿でした。ヒョウ柄の上着を着て、髪の毛の色は焦げ茶色のイメージでした。
一方、猿飛佐助は少年忍者っぽく小柄な設定で描きました。かわいくて明るく、愛嬌のあるイメージで、パッチリした目にしました。
角間渓谷や千古の滝は、上田の町のはずれのほうにありました。