かつての私のHP「時代屋小歌」の音楽面での記事を復刻しているブログ「時代屋小歌(音楽編)」のほうで、このほど自作曲「疎外の唄」の歌詞を復刻しました。
この曲は私が高校2年の頃に作った自作曲です。
http://blog.livedoor.jp/syunka16-mymusic/archives/5092356.html
歌詞を乗せたページのコメント欄でも書いていますが、この曲は割と「好き嫌い」が別れる歌だったと思います。
高校時代に作った歌というものは、私はその後長年に渡り封印していた頃がありました。
というのは、大学に入ってから、私は意識的に作風を変えたからでした。
でも、その時期も過ぎ、今では若い頃に作った歌でも、たとえ拙くても、向き合うようになっています。
あまりに今の自分が見て「拙すぎる」箇所は、部分的に若干の手直しはすることはあります。
この曲は、数年前に珍しく弾き語りでライブに出た時に、思い切って取りあげてみた曲です。
高校時代に作った拙い曲なのに、おじさんになった私が貴重な「弾き語り」のライブで取りあげた・・ということは、この曲はやはり自分で気に入っている曲だからなのでしょう。
そういう意味では、また何かの機会にこの歌を取りあげることがあると思います。
高校時代に作った曲であるにもかかわらず、私の中でまだ生きている、数少ない「生き残った曲」ということになるのでしょう。
十代の頃の曲なので、作詞作曲の名義は「ヤングだんぞう」です。
さびれた絵が・・さびれた風景が、浮かんでくるような「さびれた歌」として受け取ってもらえたら嬉しい限りであります。
『疎外の唄』。。。素晴らしい御作品だと思いますよ。
拝見して何か不思議な懐かしさというか、一種の既視感(デジャビュ)を感じましたね。
青春時代というのは、熱血精神がもえあがる時期でもありますが、また、言いようのない孤独と悩みに打ちひしがれる時代でもあります。まあ、どちらも青春時代のそれぞれの側面ですし、私自身も両方体験しました。
だんぞう様は、人生について、深い洞察力を持っておられると思います。
私は、この『疎外の唄』の詩を読んで、心の琴線に共振するものがあります。
☆ところで、例の、つげ義春先生、この五月に何か賞を受賞されたらしいですね。つげ先生の作品を読んでる同時期のことで、まことにタイムリーでした。あれから、同じ市内の他の図書館にもあたって、つげ先生の別の作品も読みました。
全体的によんで感じることは、つげ先生のマンガは、【時代の風潮の影響をほとんどうけていない】という事なんですね。
これは、驚嘆すべきことです。だいたい、マンガとか少年冒険小説というものは、世の中の風潮や同時代精神の影響を受けてるものですね。たとえば、手塚治虫にしても白土三平にしても、アニメの宮崎駿にしても、探偵作家の江戸川乱歩にしても、同時代思潮の影響を思いきりかぶっています。『サザエさん』なんかは、まさに昭和時代前期の理想そのものでしょう。(もちろん、それが悪いというわけじゃないですよ)
しかし、つげ先生の場合は、もう完全に【疎外者の物語】ですね。『社会生活者』の価値観からは、全く背を向けてるわけですが、それが、つげ作品の妙味かもしれません。
でも、こういう言い方はどうかとも思うんですが。。。。。。ぼくは、社会人になってから、つげ作品を読んでよかったと思うんですよ。。。もし、思春期のころに、つげ先生の漫画読んでたら、ちょっとトラウマになってたかも知れません(笑)。
駄句。
青春の、心の傷よ、薔薇の棘(とげ) 中森綺蘭
中森さんの書き込みを読ませていただき、ふと気づいたことがあります。
それは・・高校時代に書いたこの「疎外の唄」の歌詞で描かれた風景や世界観には、私がつげ作品から受けた影響も出てるような気がする・・ということです。
当時はつげ作品の影響をあまり意識してはいなかったのでえすが、無意識のうちに出てる気がします。
いや、もともとこういう世界観が自分の中にあったのだとしたら、私がつげ作品に惹かれる下地は、もともとあったのでしょうね。
中森さんのご指摘には、いろいろ気づかされることが多く、すごく励みになっています。
ありがとうございます。
つげさんが賞を受賞されたとは知らなかったです。
つげさんの作品は、ほんと、時代の流れとは無縁の、独自の宇宙・世界がありますね。
どんな時代に読んでも、良い意味で「浮いてる」ともいえますし、またどんな時代に読んでも、読者にインパクトを与えると思います。
古さとか新しさの尺度を超越してると思います。
読者が感じるか、感じないか」・・それこそが尺度のような気がします。
私も中森さんもともに、つげ作品には「感じる」尺度と感覚を持っているのだと思います。
「疎外者の物語」・・う~む、素晴らしい表現!
核心をついていると思います。
まさにその通りですね。
つげ作品は、何歳のころに出会うかによって、その人に与えるものは違うのでしょうね。
その物語もそうですが、1コマ1コマの「絵」もそうだと思います。
つげ作品は1コマ1コマが独立して「絵画」みたいなものにもなり得てしまうと思います。
つげ作品を映像化した作品はあれこれ見てきましたが、さすがに原作にはかなわない。
あれは、ストーリー再現だけで表現できる作品じゃないのだと思います。
でも、だからこそ、映像表現者は、つげ作品に挑戦したくなるのかもしれません。
そんな刺激と魅力を、つげ作品は持っていますね。