時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

幌馬車気分で、ミゼットの荷台

2016年06月13日 | 懐かしい系、あれこれ

昭和の時代を舞台にした映画やドラマでは、昭和の街並みを再現したシーンがでてくる。

CGだったりすることもあるだろうが、実際にスタジオセットで作られたものもある。

 

昭和の街並みを再現した風景では、建物だけでなく、車も再現してある。

それらの車の中で、もっとも昭和を感じさせる車の一つに、ミゼットがある。

実際、昭和を舞台にした映画やドラマには、定番のようにミゼットはよく出てくる。

 

ミゼットは、ダイハツというメーカーが作っていた三輪自動車で、小型のトラックみたいな車だ。

 

私が生まれた頃に親がやっていた仕事の関係上、家にミゼットがあった。

もっとも、家と言っても借家だったけど。

 

親がミゼットを使っていたこともあり、私は幼少の頃ミゼットに何度も乗った覚えがある。

時代的には、私は、かろうじてミゼットを知っている最後の世代なのかもしれない。

ほどなくして親は普通の4輪自動車に買い替えた。なので、私がミゼットに乗ったのは、ほんの短い間だったかもしれない。

でも、ミゼットのことは、幼心に印象に残っていた。

 

ミゼットは基本的には二人乗りである。

運転席と、その助手席。人が正式に乗れるのは、その2シートのみ。

父が運転し、母が助手席に座れば、子供である私には当然のことながら席がない。

でも、幼少の私には、それでよかった。

 

なぜなら・・・それを理由にして、私は荷台に乗れたからだ。

 

今となっては、荷台に人を・・子供を乗せて移動するなんて許されないのかもしれない。

だが当時はまだそれほどうるさくなかったような気もしている。

だいいち、荷台に乗って、荷台をおおっていたシートを降ろしてしまえば、外からは荷台の中身は見えない。なので、荷台に子供が乗っていても、外からはわからなかった。

 

私は、ミゼットの荷台に乗って移動するのが・・・好きだった!

仮に、助手席が空いていたとしても、私は荷台の方に乗りたがっただろう。

荷台は、文字通り荷物を置く場所。本来人が乗るべき場所ではない。だから当然、シートベルトなんてものはなかった。

 

今では、自動車は各座席にシートベルトが付いていて、シートベルト着用にもうるさかったりするが、当時はまだそのへんは緩やかであった。

 

とはいえ、車の荷台に子供を乗せて移動するなんてことは、追突事故などにあった時のことを考えれば、今も昔も危険であることは間違いない。

 

もしかしたら、親は・・というより、助手席に座る母親は、助手席に私を乗せ、荷台には自分が乗るということを当時言っていたかもしれない。だが、私自身が助手席よりも荷台に乗りたがったもんだから、仕方なかったのかもしれない。

まあ、運転する父親は、元々安全運転の人ではあったが、荷台に私を乗せてる時は、いつも以上に慎重に運転していたことだろう。

 

荷台に乗りこみ、荷台を覆っていた幌の出入り口(?)のチャックをしめれば、もうそこか私だけの秘密の空間のように感じた。

幌の出入り口の部分には、ビニール製(?)の窓もついていて、中からは外をおぼろげながら見ることもできた。

だが、外から見る分には、荷台の中はよく見れなかったはず。

 

ということは・・荷台に乗ってる私のおかれた状況は・・・こちらからは外の様子を見れるが、外からはこちらのほうはよく見えない・・・そんな状況だったと思う。

荷台に乗って家に帰る時間帯は、たいがい夜だったから、なおさら。

 

その感覚が・・・好きだった(笑)。

 

まるで、秘密の空間に自分がいるようで。

隠れながら移動しているようで。ちょっとした、「1人かくれんぼ」しているようで。

しかも、移動しているから、景色が移り変わるという特典つきの「1人かくれんぼ」。

 

 

それはまるで・・遊園地の乗り物にでも乗ってるような感覚だった。

時々車が揺れれば、荷台にいる私は少しよろけるのだが、それもまた楽しかった。

なぜか、幌馬車の中にいるような気分にもなれたので、ちょっとした冒険気分にもなれた。

 

ミゼットは小型車なので、当然荷台も狭い。

なので、ちょっとよろけても、コロコロ転がってゆく展開にはならない。対岸(?)にすぐ着くから。

これが普通のトラックの荷台なら、けっこう広いから、車がカーブの道路を走れば、体がよろけて荷台をゴロゴロ転がっていってしまったかもしれない。

だがミゼットの荷台は狭いから、そのへんでも妙な安心感を私は感じていた。

 

 

当時の我が家のミゼットの移動距離は、少なくても私が荷台に乗って移動する時は、大した距離ではなかった。家は、親の仕事場からさほど離れていないところにあったし、私が荷台に乗る時は、せいぜい親の仕事場から家までの距離でしかなかったから。

 

まあ、さほど移動距離があったわけではないから、私が荷台に乗りたいと言っても親はそれを受け入れてくれたのだろう。

 

 

たとえ短い時間ではあっても、夜の街の道路を、せまいミゼットの荷台に乗って、外からは幌の中が見えない状態で、1人かくれんぼしながら、移り変わりゆく景色を見ながら走る。

今思えば、鬼もいないのに、何から隠れていたのかよくわからないけど(笑)、その秘密めいた「天然の遊園地」みたいな気分は、幼少の私にとっては大きな楽しみであった。

 

しかもその秘密めいた楽しみは、親公認であったから、それで親に叱られる心配もない。

むしろ、私が荷台に乗ることで、母は助手席に座れることにもなるわけだし、ちょっとした親孝行もしている気分にもなれ、一石二鳥だった。

 

運転マナーからいえば、今も昔も良くないことだが、その時期からもう数十年たつ。

 

たとえここで書いても、もう時効でしょう(笑)。

 

ミゼットには、・・・私にとっては、そんな幼少の頃の記憶がある。

 

今でも、映画やドラマなどでミゼットが出てくるのを見ると、ミゼットの荷台に乗って帰った記憶が、私の頭の中によみがえってくる。

 

そんな昭和も・・・あった。

 


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