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最近、諸事情からほとんど旅に出ることができなくなっている。
多い時は一年に6回くらい旅に出てた時期もあったことが、今となっては嘘のようでもある。
こうも旅に出れないでいると、旅に出たいという欲求は絶えず心の中にくすぶっている。
だが、現実には出れない・・となると、日帰り散策で代用するしかない。
小さな小さな旅・・・という気分で。
てなわけで、先日の5月の連休に、都心散策した。
肩から小さなショルダーバッグを下げ、飲料水のペットボトルや、いざという時のための折りたたみ傘、汗ふきようのタオル、そしてもちろんカメラも入れて。
かなり歩いた。
この時に私が散策した場所は、大昔・・・幼少の頃に私にとってよく行ってた場所で、馴染みの深い場所だ。
親に連れられて行ってた場所だった。
それは、清正公前あたりから魚濫坂界隈。
地理的には、魚濫坂を下りて交差点を渡ってそのまま少しまっすぐ歩くと、左側に、入っていける道があり、その道沿いにその商店街はあった。
その商店街に、どんな店があったか・・を、私が覚えている範囲で記してみよう。
入って、まず右側にどんな店が続いていたかを先に書こう。
その商店街の入り口右側角に八百屋。そのとなりに魚屋。その隣に酒場。
酒場のとなりに化粧品店。その隣に肉屋。肉屋のとなりは・・・ちょっと記憶が曖昧だが、ふとん屋か呉服屋、もしくは染物屋らしきものがあった・・と思う。
その呉服屋の隣に路地が(ちなみに、その路地を入ってゆくと、奥に駄菓子屋があった)あり、路地の入口あたりには・・・う~む思いだせない。とりあえずアイスクリーム売り場があったような気がする。
私が覚えている、その商店街の右側は以上の通り。
で、次にその商店街の左側を書いていこう。
まず、入口入っての左側角にはレストラン。レストランの次に八百屋があった。八百屋は魚屋と向かい合っていた。
その八百屋のとなりには銭湯。その銭湯は肉屋と向かい合っていた。
で、銭湯の先には路地があり、路地の角には酒屋があったと思う。
酒屋のとなりは・・・う~む、思いだせない。だが、そのまま商店街を進むと、左側にが映画館があった。寅さんなどの映画が上映されていた。
ちなみに酒屋と映画館の間には、2~3の建物があったはず。
それと、商店街の手前の道沿いの、角のレストランの隣には、大きな模型屋があり、そこには鉄道模型のジオラマが店内の窓際に常時展示されており、道行く人からそのジオラマが見えるように設置されていた。
私がこの商店街について覚えているのは、それぐらいだ。
子供にとっては、なんといっても模型屋が気になる存在だったので、その周辺にどんな店があったのかだけは、こうしてよく覚えている・・というわけである。
この写真は、その商店街の入り口の写真で、上記の通り、この写真の右側角に八百屋が、そして左側角にレストランがあったのだ。
現在、右側角には大きなビルが(マンション?)が建っており、左側は大きなビルの前が広場みたいな空きスペースになっている。
その空きスペースのところに、レストラン、八百屋、模型屋があったのだ・・・。
実は、この商店街には、今から10年ちょい前に、訪れている。
その時の訪問は、それこそ幼少時代に来たきりだったので、かれこれ数十年ぶりであった。
その時点で、すでにその商店街はさびれており、左側にあった店たちはすべて消え果てて、代わりに大きなビルが建っていた。
かろうじて、商店街の右側にあった八百屋や魚屋や飲み屋に肉屋の店舗はあったが、どの店もシャッターがしまっており、営業してる雰囲気はなかった。
長い間シャッターが閉まりっぱなしになってるだけ・・そんな感じに見えた。
シャッター街は、やがてそこに大きな建物が建つための「立ち退き」を迫られていたのかもしれない。
もうそこはかつての商店街としての機能はなくなっており、行きかう人の姿もほとんど見かけなかった。
もうすでにその時点で、商店街としては終わっているようだった。
かろうじて、街灯に、かつてのその商店街の名前が描かれた看板(?)があった。
だが、店はどれもシャッターが閉まって営業してる気配もなかったり、かつての商店類の大半が消え果てて、大きなビルが建ってる光景と、その街灯の看板との対比が空しかった。
そこがかつて商店街だったということを証明するのは、その看板だけであった。
今から十年ぶりに訪れた時ですら、すでにそういう状況だったのだが、かろうじて残された右側にあった商店群の姿や、街灯の看板だけでも写真に撮ろうと、今回出かけたのであった。
だが
現地に着いてみると・・・
私の思っていたことは、甘かったことを思い知らされた。
今回行ったら・・・右側にあったはずの「シャッターがしまった商店類」も、そしてかつてのその商店街の名前が書かれてあった看板も・・・なにもかもなくなっていた。
代わりに、右側にも、左側と同様な大きなビルが建っていた。
もはや、そこがかつて商店街であった面影など、全くなくなっていた。
そこは・・もはや、ただのビル街でしか・・なかった。
ショックだった。
最後に来てから十年ちょいはたっているので、少しイヤな予感もしていたし、ある程度の恐れもあったのだが、これほど変わり果てていようとは。
正直、現地に着いて、かつて商店街だったその場所を見た時、しばらく立ちつくして、呆然としてしまった。
当初、言葉も出なかった。
やっとの思いでつぶやいた独り言は・・・「ウソだろ・・・。変わりすぎだよ・・。もうここは商店街でもなんでもない・・」「もう、何もないじゃないか」「面影もない・・」だった。
そしてまたしばらく無言。
中々現実を受け入れられず、そこに建っていた大きなビルの傍の柵(?)に腰掛け、無言のまま、その商店街ならぬビル街を吹き抜けていく風に、しばらく当たられ続けて、私の時間は過ぎていった。
見てほしい。
この写真。
右側にもビルが。左側にもビルが。
商店街のかけらもない。
かつて商店だった建物は、一店もない。
ここがかつて商店街だったことを、何も知らない人がこの道を通ったら、ここがかつて商店街だったことなど予想もつかないのでないだろうか。
この写真を見て下さる皆さん、この道に「かつての商店街」の気配を感じるだろうか。
ここがかつて商店街だったことなど・・・・誰も気づかないだろう。かつてのこの場所を知ってる人でなければ。
かつて、町の庶民的な商店街で賑わって活気があった道は、今ではもう、人のすがたはまばらで、閑散としているように思えた。
静かであった。
↑ かつての商店街入り口付近の左側。ごらんの通り、大きなビルが建っており、そのビルの前に広場みたいなスペースが。
ここには、八百屋、レストラン、そして模型屋があった。
↑ かつての商店街入り口付近の右側。右側は、かつて肉屋や化粧品店があった場所。
↑ 魚濫坂方面から、この商店街に入ってきた場合の、商店街出口付近。
確か、この写真に写っている植え込みからその先のビルのある場所には、昔は映画館があった。
「男はつらいよ」などの映画をロードショー公開していた映画館だった。
この写真を撮るために私が立っている場所には、昔・・アイスクリームの販売機などがあるお店(なぜか、お菓子屋ではなかったと思う)があり、その店の前の路地を入って裏通りに出ると、裏通りには駄菓子屋があった。
今思うことは・・・十年ちょい前に前回ここに来た時に、写真をたくさん撮っておけばよかった・・ということだ。
その頃は、道の半分は商店街の店は無くなっていたが、もう一方の側には、かろうじてかつての商店街だった店が、まだ残っていたのだから。
シャッターは閉まっていたにしろ。
商店街だったことがわかる、商店街の名前の看板も残っていたし。
実は・・・・この商店街にあった魚屋の隣にあった酒場には、いつか・・・いつか一人で、もしくは二人ぐらいでひっそりと訪れて、飲んでみたいと思っていたのだ。
古臭い外観の、小さな酒場だった。
子供の時、その居酒屋を見ながら、いつか大人になったら、この店に入って酒を飲んだりするんだろうな・・などと思っていたのだが、もうそれは叶わないことになってしまった。
つくづく、時の流れは容赦がない。
私の自作曲「母校が消えた日」の中の歌詞の一節を、改めて実感した。
それは・・
♪ 便利になっていく 今の時代にいて 消えてゆくものが多すぎる
である。
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