ついに、この映画をこのブログで取り上げる時がきた。
幼い頃に、ふとしたことでこの映画を見てしまって以来、長らく・・長らく・・・私のトラウマになりつづけていた作品。
この映画が少年時代の私に与えた影響ははかりしれない。
その後の私の「趣味」に大きくかかわったと思う。
怖い系(特に楳図かずお先生の作品など)の作品が好きになったのも、怖いながらも悲しい作品が好きになったのも、この映画が発端のような気がしている。
言わば、私にとって、いつも心の中に「ベーシック」な存在としてあり続けている、基準のような作品。それがこの「顔のない目」という映画である。
この映画を初めて見たのは、小学校低学年の頃、テレビで・・だった。
なぜこの映画を見つけたのだろう。
テレビ見ててチャンネル回してたらたまたま見つけたのか。その可能性もあるのだが、当時私の机の一番上の引き出しに、この作品の放映が記された新聞のテレビ欄のきりぬきがあったことを思うと、新聞のテレビ欄を見て、この映画のタイトルにひかれ、欄を切り抜いて、見忘れないようにしてたのかもしれない。
もちろん、この作品をたまたま見つけて、見終わって、タイトルを忘れないように新聞を切り抜いて保存しておいた可能性もある。
おかげで、この作品のタイトルを忘れたことは、一度見て以来一度もない。
それだけ、このタイトルが印象深かったのだろう。
なにせ「顔のない眼」・・である。
タイトルを聞いただけじゃ、ナンノコッチャ?意味が分からない・・って感じではないだろうか。
「顔のない眼」。
原題「Les Yeux sans visage」。
ウィキペディアによると、1959年製作、1960年公開の、フランス・イタリア共同製作映画。
原作 ジャン・ルドン
監督 ジョルジュ・フランジュ
脚本 ピエール・ボワロー、トーマス・ナルスジャック、ジャン・ルドン、クロード・ソーテ
出演 ピエール・ブラッスール
アリダ・ヴァリ
エディット・スコブ
ジュリエット・メニエル ほか
音楽 モーリス・ジャール
事故で、人前に出れないくらい醜い顔になってしまった娘クリスティーヌは、ジェネシュという医師の娘であり、普段は仮面をつけて顔を隠し、大きな屋敷の中で暮らしていた。
外出もできずに。
ジェネシュ医師は、娘のために、自分の助手に若い女性を連れて来させる。
で、連れて来させた女性の顔の皮を剥ぎとって、娘の顔に手術でつける。だが中々うまくいかず、その結果次々と若い女性が連れて来られては、顔の皮を剥ぎとられ、クリスティーヌの顔に・・・。
だが、クリスティーヌの心は、ジェネシュには分からずじまいであった。
その結果・・・・この映画の結末に向かうのだが、あまり詳しく内容を書くのはやめておく。
ただ言えるのは、この映画のラストは、極めて印象的であるということ。
詩的で、幻想的で、知的で、深い悲しみに覆われ、闇に包まれてゆく。 その余韻は尾を引き、強く深く、視聴者の心に残るだろう。
映画の途中の展開は、けっこう恐怖ものである。
心理的な恐怖・・そんな感じ。
またサスペンス的な要素もある。
だが、ラストシーンは恐怖モノという感じではない。
先ほど書いたように、詩的で幻想的で知的で、悲しいラストである。
そのラストのおかげで、この映画は単なる恐怖作品という出来上がりにはなっていない。
このラストのあたりのシーンの詩的な映像、演出、そして音楽・・これこそ、長年私のトラウマになっていたのだ。
このラストで流れる音楽には、どこか郷愁にも似た切なさがあった。いつかこういう曲を聴いたことがあるなあ・・・そんな思いで、悲しい唱歌や童謡を連想したりもした。
もちろん、作品途中の、クリスティーヌの悲しみや、顔の皮をはぎとられる女性・・そのへんも、強烈だった。
当初この映画に対する何の予備知識もないまま、、「顔のない眼」というタイトルに惹かれて幼年時代に見てしまった私。
子供が、こういう映画を、何の映画か分からぬままで見てしまったら・・・・・しかも、まだ楳図かずお作品も知らぬままに見てしまったら、麻酔や免疫のないまま「価値観の手術」を受けるようなものだ。
おかげで、この映画は、その後の私の趣味や価値観に、「幼児体験」として、とてつもない影響を与えてトラウマ化させてしまったのだった。
この映画の出演者の中で、クリスティーヌを演じる女優エディット・スコブは、ほぼ全編マスクをつけて顔を隠している。
素顔が見れるのは、途中のわずかな間だけ(ちなみに、エディットは端正な顔をしており、魅力的な女優さん)。
それ以外は、顔はマスクで隠されている。
だが、マスクごしの無表情な顔ながら、クリスティーヌの心理状態はよく伝わってくる。
むしろ、マスクで顔が隠されているからこそ、視聴者はそれぞれの想像力で、このクリスティーヌの心理状態を想像して膨らませていくのだろう。
それだけに、余計に、クリスティーヌの悲劇が胸に迫ってくる。
この物語の後、クリスティーヌのたどった運命は・・・・・それは視聴者が思い思いに連想するしかないのだが、自分なりに「彼女の、その後」を考えると、やりきれない思いになり、闇の中に悲しみが、そして心が、包まれてゆく・・・・。
この映画はジャンル的には恐怖モノ、ホラー映画とみなされることが多いだろうが、単なる「恐怖もの」「ホラー映画」とは、とても捉えられない。
個人的には、ホラーというより、・・・「悲劇」かなあ。
一般的には、ホラー映画の古典にして、金字塔とされている名作。
この作品にインスパイアされて作られた作品は、世界中に無数にあるだろう。
フォロワーは映画、コミックなど、多岐にわたるジャンルで現れただろう。
日本では・・例えば、楳図かずお先生なども、そうではないだろうか。
以前このブログで楳図先生の「肉面」という作品をとりあげたことがあるが、「肉面」という作品は、この「顔のない目」に相通じるものがあるし。
ともあれ、私にとっては・・・・先にも書いたが、トラウマになってしまった作品、それがこの「顔のない眼」である。
クリスティーヌの「その後」を想像すると、あまりに悲しい。切ないし、やりきれない。
その後、彼女はどうなってしまったのだろう。
願わくば、幻想の森で、静かに・・・・・・・。
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