時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

清正公前の交差点

2012年05月27日 | 

清正公前交差点で。

このまままっすぐ進み、清正公前交差点に出ると、そこから見る交差点のその先は、地形的に高台になっており、その高台の上には昔・・大きな建物が建っていた。

その建物は学校の校舎のようでもあり、体育館のようでもあった。

あたりには今みたいな高いビルがなかったので、高台の上のその建物は、一際目立った。

幼少時代の私は、いつもその建物が気になっていた。遠望で見えるその建物が一体何であったのか・・・・結局分からずじまいだった。

その、学校みたいな建物が何であったのか、・・・今はネットである程度調べることができるので調べてみたら、今現在そのあたりにはやはり学校がある。

となると、昔見えたその建物も、やはり学校の校舎だったのだろうか。

実際のところはどうか分からないけど。

 

 

 ↑ 清正公前交差点の対岸に行き、そこの歩道で撮った写真。手前には花が咲いている。

正面に見えているのは、ホテル。

この交差点の写真の対岸(?)の左側には寺がある。

 

↑ 交差点を別角度から見る。

 対岸(?)のビルのある角は・・・かつてガソリンスタンドがあった場所。

小学校の頃、親に頼んでここに連れてきてもらい、ガソリンスタンドからステッカーをもらったものだった。

当時私の小学校ではシール集めが流行っていたのだが、シールは一枚一枚のサイズが小さい。

その分、ガソリンスタンドなどから貰うステッカーはサイズが大きく、級友とのシール交換では、いいレートで交換してもらえた。

 

 ↑ 清正公交差点の近くにある坂。天神坂という名前がついている。

私が幼少時代、この坂にはたまに露店が並んでいる日があった。

今もここに露店が並ぶ日はあるのだろうか。

ちなみに、「天神坂」という名前の由来は、ウィキペディアによると・・「古く、菅原道真に関る祠があったため。また、葭原が見えることから別名葭見坂・吉見坂(よしみざか)とも言われたという説がある。」・・とのことである。

 

 

↑ 天神坂とは、道を挟んでほぼ真向かいにある寺、「覚林寺」。

この寺には、この交差点「清正公前交差点」の名前の由来になった、戦国時代の武将・加藤清正の位牌や像が祀られているらしい。

加藤清正といえば、豊臣秀吉子飼いの猛将で、「賤ヶ岳の七本槍」の一人。秀吉亡きあとは、関ヶ原の戦いで東軍・徳川側につき(西軍のリーダー格の石田光成とは犬猿の仲だったため)、その後は徳川の名将として、肥後熊本藩主となった人物。

なので、ここに位牌があるのは少し意外。

それには、ちゃんと理由もあるので、興味のある方は調べてみるのも一興。

 

 

 

↑  加藤清正。秀吉の命令で朝鮮出兵をした時に、現地で虎退治をした逸話は有名。

ちなみに、その虎退治は、事実だったようである。


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