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清正公前交差点で。
このまままっすぐ進み、清正公前交差点に出ると、そこから見る交差点のその先は、地形的に高台になっており、その高台の上には昔・・大きな建物が建っていた。
その建物は学校の校舎のようでもあり、体育館のようでもあった。
あたりには今みたいな高いビルがなかったので、高台の上のその建物は、一際目立った。
幼少時代の私は、いつもその建物が気になっていた。遠望で見えるその建物が一体何であったのか・・・・結局分からずじまいだった。
その、学校みたいな建物が何であったのか、・・・今はネットである程度調べることができるので調べてみたら、今現在そのあたりにはやはり学校がある。
となると、昔見えたその建物も、やはり学校の校舎だったのだろうか。
実際のところはどうか分からないけど。
↑ 清正公前交差点の対岸に行き、そこの歩道で撮った写真。手前には花が咲いている。
正面に見えているのは、ホテル。
この交差点の写真の対岸(?)の左側には寺がある。
↑ 交差点を別角度から見る。
対岸(?)のビルのある角は・・・かつてガソリンスタンドがあった場所。
小学校の頃、親に頼んでここに連れてきてもらい、ガソリンスタンドからステッカーをもらったものだった。
当時私の小学校ではシール集めが流行っていたのだが、シールは一枚一枚のサイズが小さい。
その分、ガソリンスタンドなどから貰うステッカーはサイズが大きく、級友とのシール交換では、いいレートで交換してもらえた。
↑ 清正公交差点の近くにある坂。天神坂という名前がついている。
私が幼少時代、この坂にはたまに露店が並んでいる日があった。
今もここに露店が並ぶ日はあるのだろうか。
ちなみに、「天神坂」という名前の由来は、ウィキペディアによると・・「古く、菅原道真に関る祠があったため。また、葭原が見えることから別名葭見坂・吉見坂(よしみざか)とも言われたという説がある。」・・とのことである。
↑ 天神坂とは、道を挟んでほぼ真向かいにある寺、「覚林寺」。
この寺には、この交差点「清正公前交差点」の名前の由来になった、戦国時代の武将・加藤清正の位牌や像が祀られているらしい。
加藤清正といえば、豊臣秀吉子飼いの猛将で、「賤ヶ岳の七本槍」の一人。秀吉亡きあとは、関ヶ原の戦いで東軍・徳川側につき(西軍のリーダー格の石田光成とは犬猿の仲だったため)、その後は徳川の名将として、肥後熊本藩主となった人物。
なので、ここに位牌があるのは少し意外。
それには、ちゃんと理由もあるので、興味のある方は調べてみるのも一興。
↑ 加藤清正。秀吉の命令で朝鮮出兵をした時に、現地で虎退治をした逸話は有名。
ちなみに、その虎退治は、事実だったようである。
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