泉谷しげるさんといえば、今では役者のイメージを持つ人もいるかもしれない。
だが、70年代の日本のフォーク界に泉谷さんが登場してきた時のことをリアルタイムで見てきてる者としては、今の「役者」としてのイメージのほうが少々意外な感はある。
少なくても、70年代当時、私は将来泉谷さんが役者業をやるようになるとは夢にも思ってなかった。
もちろん、デビュー当時から、あの特異なキャラは健在だったし、そのキャラを見込んで映像界が放っておかなかったのは、今考えると不思議ではない気もする。
シンガーとしての泉谷さん・・といえば、代表曲としては「春夏秋冬」をあげる人がほとんどだろう。
もちろん「春夏秋冬」は名曲である。
初めて録音されたバージョンとは、その後「経年変化」でメロディラインが微妙に変化してきているが、その素晴らしさは変わらない。
だが私はここで取り上げたいのは、「春夏秋冬」ではない。
「うられうられて」という曲である。
この曲は、泉谷さんのデビューアルバムですでに登場していた曲。
デビューアルバムは「泉谷しげる登場」というタイトルで、いきなりライブアルバムだった・・という点が異例だった。
このデビューアルバムには「白雪姫の毒リンゴ」「ちきしょう」「告白のブルース」その他、私の好きな曲が何曲も入っているが、異彩を放つのがこの「うられうられて」という曲。
地味だが、一度聴いたら忘れられない雰囲気のある曲だ。
このアルバムに収められてるどの曲とも雰囲気が違う。
どこか郷愁を感じさせる物悲しいメロディライン。
悲しい境遇の女性のことを歌った、物悲しい歌詞。
歌の主人公の女性の心の中には、「あきらめ」みたいなものがあり、それが歌全体を陰りのあるものにしている。
出だしのメロディと歌詞で、いきなりこの歌の世界に引き込まれてしまう。
いきなり、自分なりの情景が頭の中に浮かんでくる。
セピア色の山がシルエットになった夕焼け。
一人の悲しい女性。
女であること。
追われた故郷。
故郷への思い。
あきらめ。
今後の自分の運命への覚悟。
静かなインパクトを持った曲だ。
この歌を初めて聴いた時、私は、メロディに乗っかった歌詞を「言葉の響き」で聴いていたような気がする。
後になって、この歌詞をしみじみ読んだ時、その内容の物悲しさに、あらためてジーンときた覚えがある。
これは私個人の感じ方だが、どこか「怖い唱歌」「怖い童謡」みたいな感覚で聴いていたように思う。
よく、童謡や唱歌には、その歌に隠された内容や意味、その歌が作られたバックボーンなどを深読みすると、怖い歌としてとらえられることがある。
「通りゃんせ」しかり、「かごめ」しかり。「しゃぼん玉」もそうだし、他にもあるはず。
だが、それらの歌の歌詞は、良い意味でぼかされ、その歌で歌われた内容はおぼろげにしか伝わってこない。
だから、さまざまな捉え方をすることが可能で、捉え方によっては怖くも、悲しくもなる。
泉谷さんの「うられうられて」は、上記の童謡に比べたら、歌詞の内容は、ある程度ぼかされてはいるものの、でも主人公の女性がどんな境遇であるかは分かりやすい。
この「うられうられて」の歌詞をもっとぼかしたら、古くから日本に伝わる童謡みたいな歌にもなりそうな気がしてならない。
その郷愁あるメロディラインからいっても。
「通りゃんせ」や「かごめ」に通じるものを、私は「うられうられて」に感じている。
この「うられうられて」を泉谷さんが作ったのは、デビューアルバムに収録されていたことから推測すると、遅くても20代前半で書いたことになる。
その若さで、よくこういう歌が作れたものだ・・・・と思う。
改めて、泉谷さんの才能に驚かされる。
あの破天荒なキャラの中には、昔から「うられうられて」のような歌を書ける才能が潜んでいるのだ。
今も昔も。
「うられうられて」。
泉谷しげるさんの書いた、初期の名曲。
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