時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

楽器を売る・・ということ

2013年03月24日 | 音楽活動

先日、「時代屋」ユニットの練習をしたら、どうも私の使っているエレアコの様子がおかしかった。

ラインを通した時、ノイズが相当ひどく、聴くにたえない状況。

我慢できるレベルではなかった。

もしや・・練習前に、コードを足に引っ掛けて、少しギターを倒してしまったのがいけなかったのだろうか。

指弾きでごく小さい音で弾くぶんにはまだいいのだが、ピックで弾くと、ノイズがひどい。

電池を変えたり、シールドを入れ直したり、あれこれやってみたが、全然改善しない。

 

仕方ないので、翌日楽器屋に持っていった。

そのギターを購入した楽器屋に。

退院するには少し時間がかかるかもしれない。

 

と、こうなると・・・ライブや練習でのメインギターがなくなってしまったことになる。

そうなると、サブが必要。

そう思って、楽器屋を何店か巡り、物色してみた。

案の定、楽器屋巡りをすると、欲しくなる楽器ってのは見つかる。

今回も、すぐに見つかった。

だが、そのまま購入してしまうと、家の中にもう楽器の置き場がない。

そこで、どれかを売って、買い替えするしかない。

一応、それまでにエレアコは、メインの他に2本あった。

1本は、本来生アコだったものに、後付けでピックアップをとりつけてエレアコ化したもの。

そしてもう1本は、もう大分前に購入したエレアコで、当初からエレアコとして制作された楽器だったが、今の私の音楽スタイルにはあまり合っていない。

なので、後者のエレアコを売却し、新たなエレアコを買うことに。

これなら多少なりとも購入金額の足しになるし、家にあるギターの本数も増えない。

 

で、長年手元にあった古いエレアコを売却することにしたのだが、・・・これは楽器を売却する時にいつも思うことだが、例え最近あまり使っていなかった楽器であっても、いざ売るとなると、色んな思いがよぎった。

あまり使ってあげられなくて申し訳ないという気持ち。

売却してしまうことへの申し訳ないという気持ち。

ギターそのものには意思はないわけで、ただ私の都合で売ってしまう申し訳なさ。

長年自分の手元にあり、いつでも自分の自由に使えたのに、今後はそれもできなくなる寂しさ・・・というか、今後はもう二度と会えなくなる可能性が高いことへの寂しさ。少なくても、買った時はそのギターに恋をして買ったわけだから。

なので、売却する前に、そのギターをひっぱりだしてきて、そのギターの写真をあれこれ撮影。

色んな角度からパチリ。

不思議なもので、最近普段あまり使っていなかったくせに、いざ手放すとなると名残惜しい気持ちがわいてくる。これもひとつの「別れ」。やはり、なんにせよ「別れ」というものは、切なさを伴う。

丁寧にボディ全体を拭き直して、優しくケースに入れて、いざ持ちだしの時に備えた。

 

そのエレアコは・・・私がロックバンドを組んで活動している時に買った1本だった。

バンドでは絶えずエレキを弾いていたのだが、ふたつのバンド時代を足した期間は、8年ぐらいだっただろうか。

その間、私はアコギを弾く機会はほとんどなかった。

なので、たまにはアコギを持ちたいという気持ちもあったし、バンドにアコギサウンドを取り入れたいという欲求もあった。バンドに持ち込み、大音量のドラムやエレキに対応するためには、生アコでは難しいので、必然的に必要なのはエレアコになった。

そんな事情で、初めてエレアコを買ったのだった。

だが、その後そのバンドは活動を急激に縮小してしまった。そしていつしか活動休止に。

結局、バンド時代のライブでは、そのエレアコは数回ぐらいしか使う機会はなかった。もっと早く買っていたら、もっと出番はあったかもしれない・・・などと思うと、そのエレアコはなにやら気のどくにも思えたものだった。

なので、せっかく買った「初めてのエレアコ」ではあったが、そのエレアコにとっては不運な境遇であった。

その後、しばらくのブランクがあり。ブランクの間、家でギターを弾く時は、どうしても生アコが中心だった。

時代屋というアコギユニットを組んで活動するようになってからは、そのエレアコは当初は出番があった。

だが、アコギユニットとして活動するには、そのエレアコの薄いボディでは低音が物足りなくなった。

エレキバンド時代はベースもいたし、バスドラムもあったので、高音シフトの薄いボディのエレアコがちょうどよかった。だが、アコギ2本だけの編成では、どうしても低音が物足りなくなった。

なので、出番は・・・当初の数回のライブの後・・・・だんだん減っていった。

 

やはり、考えてみれば、そのギターは私にとっては不運な運命のギターであった。

そんなことを、ぼんやり考えながら、そのエレアコの入ったハードケースを私はしばらく見ていた。

 

そして、翌日になり。

その日、そのギターを楽器屋に持っていくことを決めた。

意を決して、そのギターの入ったハードケースを手に取る。

このまま自分のところにこのギターがあっても、このギターにはあまり出番がありそうもない。

できれば、可愛がってくれる人に買われて、そこで出番をもらってほしい。

そう思うと、もうケースは開けないし、引き返せない。ケースを開けたら、情がうつるかもしれなかったから。

次の主人の手に渡ったほうが、このギターにとっても幸せなのだ。

それがこのギターのためでもあるのだ。

そう自分に言い聞かせ、そのギターに対して多少なりとも後ろめたい思いを感じながらも、やや早い足取りで私は歩きだしたのだった。

 

で・・楽器屋に到着。その店には、自分が持ち込んだギターを下取りして、新たに買うギターの目星がついている。

まずは、自分が持ち込んだギターを店の人に渡した。

店は混んでたらしく、査定には少し時間がかかるとのこと。

いくらぐらいになるかなあ・・・少しでも高く買ってもらえれば、新たに買うギターの資金の足しになるなあ・・などと思いながら、新たに買うギターの試奏をしたり、店に展示されてる他ギターをあれこれ遊びで弾かせてもらいながら、査定が終わるのを待った。

 

やがて・・査定の結果が。

 

その査定額は・・・

 

え????

 

 

と思うような低評価・・・・。

売ったギターは、一応ブランドギターだったのに・・・。

けっこうショックだった。

これまで、楽器を楽器屋に売却したことは何度かあるか、今回は・・・最低の評価額だった・・。

それほど、私が持ち込んだギターは価値がなかったか、状態に難があったということか・・。

そういや、そのギターを買った時、一応「キズあり」ということで、思ったよりも安く買えたんだっけ。

それにしても、安すぎじゃないか・・・と思ってしまう査定額・・・。

 

おかげで、新たに購入するギターは、思ったよりも出費になってしまった。

計算では、もう数万安い出費で買えるはずだったのになあ。

 

ともあれ、売却したエレアコは、新しい主人のもとで活躍してもらいたいと私は切に願っている。

それが、ギターを売却する大半の人の共通の思いであろう。

 

 新しい御主人さまのもとで、頑張って、大喝采(OVATION)を浴びておくれ。

かつてのマイギター。


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