先日、楽しみにしていた特番「ラブラブ愛してる」の最終回なる番組を見た。
元々この番組は1990年代に毎週リアルタイム放送されてたバラエティ番組だった。
今回は単発での特番であり、しかも最終回とのこと。
この番組の放送開始時に異色だったのは、メインパーソナリティに、吉田拓郎さんを引っ張り出したことだった。
拓郎さんといえば、元々はあまりテレビに出ない人。
そんな人を、毎週放送されるバラエティによく引っ張りだしたものだと個人的に感心した覚えがある。
メインの進行役はキンキキッズだったが、ご意見番というか、相談役みたいな存在で拓郎さんが毎回でていた。
初めの頃は拓郎さんはあまりノッてなかったように見えたのだったが、回を重ねるごとに馴染んでいってるように見えた。
そして、バックには一流ミュージシャンがズラリとそろい、毎回登場するゲストのお気に入り曲を生演奏し、それに合わせてゲストも歌う・・・そんな番組。
ゲスト陣が毎回豪華だった。
キンキはこの番組で大きな飛躍を遂げたと思うし、彼らの芸能活動の歴史においても、極めて大きな番組だったと思う。得たものは絶大だったろう。
また、拓郎さんにとっても、若いキンキや篠原さんと接することで、得たものも実に大きかったことは、拓郎さん自身も語っていた。
この番組は、キンキが出てることで若い視聴者は見てるし、拓郎さんが出てることで大人の視聴者もゲット。
かくゆう私もそんな1人。
あの吉田拓郎が毎週見れるなんて・・・と思い、飛び付いた。
毎回見ていた。
若いファンと、大人のファンを結びつけた番組だったと思う。
この番組が放送された当時、拓郎さんはまだ50代だった。
やがてこの番組も終わり、その後長い年月が過ぎ、今や拓郎さんは70代後半の年齢になられた。
彼が日本の芸能音楽史に残した功績や影響が多大なものであったのは今さら言うまでもない。
私は中学の頃にビートルズ、拓郎、ディランに出会ったことで、ギターを手に持つことにつながり、音楽が自分の一番の趣味になり、それは今も続いている。
拓郎さんの活躍はリアルタイムで見てきた。
ほんと、色んなことをやった人だった。
喝采をあびることもあれば、トラブルにも見舞われた。
色んなものを音楽界において変えてきた。
病気になられたこともあった。
すべてをひっくるめても、リアルタイム世代にとっては、ヒーロー的な存在だった。
カリスマでもあったし、単純にカッコよかった。シンボリックな存在だった。
そんな拓郎さんが先日の「ラブラブ愛してる」でテレビ出演を最後にし、年内で引退されるという。いわばこの特番は、拓郎さんの引退の花道みたいな番組だった。
私は中学の頃から拓郎さんの大ファンだったが、途中で拓郎さんの音楽から離れたこともあった。
しばらく聴かない時期もあった。
でも、自分の心の中にある「ベーシックなミュージシャン」に関しては、また戻っていくようになった。拓郎さんも、その中の一人だった。
たとえ離れた時期があっても・・だ。
なんというか、吉田拓郎というスターは、居て当たり前の存在だった。存在が当たり前だった。
それが引退・・・と言われても、どうも自分の中でピンとこない。というか、現実感がわかないのだ。
喪失感は、今後やがて徐々に湧いてくるのかもしれない。
でも、今の段階では・・・。
ただ、拓郎さんの口から引退という言葉を聞いたのは、寂しかった。それだけは確かだ。
こんなところにも、時の推移を実感することになった。自分が年齢を重ねていることを痛感させられた。
かつて「青春の詩」や「老人の詩(替え歌だったけど)」を歌ってた吉田拓郎というシンガーソングライターが……。
拓郎さんと同じ時代に活躍したシンガーソングライターたちにとっては、どんな心境なんだろう。
ひとつの大きな光がなくなってしまうわけだから。
拓郎さんと仲がよかったミュージシャンたちにとってはもちろんのこと、、拓郎さんと交流があまりなかった人たち、以前は仲が良かったのにその後疎遠になっていた人たちにとっても、あるいは必ずしも仲が良くなかった人たちにとっても。
日本のフォーク、ロック、歌謡曲、ポップスに関わっていた人や、それらを聴いてた人にとって、吉田拓郎という存在は大きな存在だったと思うので。
「好き、嫌い」関係なしに。
「ラブラブ愛してる」の最終回を見てて、拓郎さんの・・・なんていうか、ツキモノが落ちた(?)かのような穏やかな表情は、印象的だった。
若い頃、あれだけ尖って突っ張っていた人が、この番組のなかで柔和な表情をしていたのが忘れられない。特に笑った時に。まるで家族に見せるような穏やかな笑顔の時もあった。
でも・・・引退とはいっても、まだ拓郎さん自身は健在ではあるので、そのへんはファンにとっては「救い」かな。
どうも、公の音楽世界からもう拓郎さんがいなくなることに、私の中では現実感が・・・まだない。
一時代を代表した人物のひとりが、またひとり現場からいなくなっただなんて。
自分の中の大きな一部分がなくなってしまったような気分だ。
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