時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

後ろに感じる、何者かの気配

2014年08月09日 | 日々の、あれこれ

人間は・・・いや、人間だけではないかもしれないが、自分の後ろにふと何かの気配を感じたことがある方は多いのではないか。

何者かに見られている時、人間はあんがい無意識のうちにその気配のほうを見てしまうのは、けっこう本能的な反応なのだろう。

時には、無意識ではなく、意識的に見てしまうこともあるだろう。

たとえそれが死角である後ろであっても。

特にその気配が、何者かの視線であった場合は、なおさら。

まあ、方角的にそれが真後ろであった場合、それに気付いた方は、かなりカンの鋭い方かもしれない。

その気配の方を見て、誰かの存在がしっかりそこにある場合もあれば、無い場合もある。

あった場合、にらみ返したり、時にはケンカになったりすることもあれば、逆にその場をそそくさと立ち去る場合もあったり、あるいは何も気にしてないふりをしてやりすごそうとする場合もある。

でも、この場合は、少なくても気配の正体がわかるだけ、まだいいのかもしれない。

 

なんとなく嫌な気分になるのは、誰かの視線や気配を感じて、その方向を見た時に、誰もいなかった場合。

たいがいは「なんだ、気のせいか」で片づけられることが多いとは思う。

そういう風に思えた時は、とりあえずその場はおさまった気分になれる。

そのまま何事もなくおさまったのであれば、それに越したことはないし、気も楽。

 

だが、気配の先に何者も見つけられなかった時、本当にそこには何者もいないのだろうか。

まあ、たいがいは、「気のせい」であろう。

だが・・・。

 

最近見た心霊関係の映像作品で、そのことに関して、興味深いことが語られていた。

 

例えば・・・風呂に入っている時など。

背後に何かの気配みたいなものを感じて、後ろを振り返ったりしたことがある方は、けっこういるのではないか?

だが、そこには誰もいない。

 

その映像作品の語り部によれば・・・・振り返って、後ろに誰もいないのは当たり前らしい。

なぜなら、その気配の主は、後ろにはいないからである。

では、どこにいるのか?

 

それは・・・

 

上。

 

上にいるらしい。

 

後ろから見ているのではなく、上から見下ろしているらしいのだ。

 

 

それがもしも霊の場合、私はこれまで読んだ文献などの中から、あれこれ思いだした記事があった。

それは・・例えば、幽体離脱などの記事を読んだ時、肉体から抜け出た魂は、・・・そういえば、上に浮き上がる。少なくても、真後ろに並んで立っているケースは聞いたことがない。

また、臨死体験者の話か何かで、肉体から抜け出た魂が、抜け殻になった自身の肉体や、その肉体を囲む近親者の様子を、上から見下ろした・・・そんな体験話を、私は読んだことがある。

 

そんな記事を思い出すと、何かの気配を感じて後ろを振り返ったら誰もいないが、実はその気配の主は上にいて、上から見下ろしている・・・というのは、なるほど・・・という気がした。

 

心霊談などで、自分の背後などに何かの気配を感じた時というのは、たいがい何かがいて、ただその人がその気配に気づかないだけ・・・そんな場合が多いという話を聞いたことがある。

 

もしも、あなたが風呂などで背後に何かの気配や視線を感じた時、その気配の正体にどうしても会いたければ・・・・見たければ・・・・後ろではなく、上を見れば・・・

 

会えるかもしれませんよ。

 

 

もし、どうしても、その気配の主に会いたければね・・・。

 

 

私は・・遠慮しておきます。

 

 

まあ、気のせいであることがほとんどであると、私は思ってはいますが。

 

 

 


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