先日。小学校時代の級友を集めたプチ同窓会を行った。
思えば私が小学校を卒業してから何十年という月日が過ぎ去っているが、これまで小学校の同窓会は私が知る限り一度も行なわれてこなかった。
厳密には、卒業した年の3月の翌月に一度だけ開かれたことがあったが、それは卒業してからまだ1か月しかたってない時期での開催だったので、同級生同士で「久しぶり」とか「懐かしい」という感覚はあまりなかった。
単に数日間会わなかっただけみたいな感覚で。
だがそれ以来は1度もなかったのだった。まさかそうなるとは予想してなかった。
何年かに一度くらいは行なわれていくような気もしていたのだが。
中学の同窓会はそれなりのペースで開催されてた時期はあったのに、小学校の同窓会はなかった。
なので一度くらい小学校時代の同窓会もあればいいのに・・と思ってた。だが、まったく実現の話はなかった。
誰か開催してくれないかなあと、たまに思ってたが、このままいたら結局実現しないまま、年月は容赦なく過ぎ去っていきそうだ。
こうなったら、それを考える人が動くしかないのかもしれない。
ある年齢に達した時に私は漠然とそう感じ始めた。
その時点で、私には「自分の人生でやり残したこと」が3つあった。
1つは、日本の全47都道府県すべての都道府県に泊まるということ。
2つ目は、自分の作詞作曲した曲ばかりでアルバムを作ること。
そして3つ目の「やり残したこと」は、小学校の同窓会であった。
このうち、1と2は実現させた。このふたつは自分が動けばなんとかなった。個人的な目標だったから。
だが、問題は3つ目だった。こればかりは自分1人が動いてもどうにもならない。同窓生が来てくれないと、実現しない。
しかも集める同窓生は小学校時代の級友だ。今から数十年も前の時代の同窓生。長い年月の経過で、もう住所が変わっている人が多いはず。
苗字が変わってる人もいるはず。
それに、当時よく一緒に遊んでた同級生ならともかく、当時あまり交流のなかった級友もいたわけで、そんな人は私のことなど覚えてないかもしれない。
だとしたら、そんな人にとっては私は見ず知らずの人みたいなものであろう。
そんな私の呼びかけに応えてくれるだろうか。
また、もしかしたら私に対して当時あまり良い感情を持ってなかった人もいたかもしれない。いくらこちらが相手に対して特に悪い感情など持ってなかったにしても。人の心は、わからないものね。
そんなことを考えると、ハードルは高く感じた。
ましてや今の連絡先などわからない相手なら、特に。
それでも、現在の連絡先がわかる相手だけでも連絡した。
中には私が連絡先を知らなくても、私が声をかけた級友が知ってる同級生には声をかけてもらって。
とりあえず最小決行人数を6人くらいで設定してたのだが、結局は7人集まった。
これだけでも、とっかかりとしては良しとした。
今後新たに声をかけられそうな人もいるし、たまたま今回タイミングが合わなかっただけで、タイミングが合えば参加してくれる人もいるし。
連絡できる同級生全てがもし集まれば、現段階だけでも十数人は、いる。
これなら、むしろ今後に希望は持てそうだ。
で、今回集まれる人だけてプチ同窓会を実現させてみたら、当初2時間くらいを想定してたのだが、話ははずみ、気づいたら4時間以上飲み食いしていた。
これまて小学校の同窓会は行なわれてなかった分だけ、盛り上がった。
もしかしたら、ここに集まった同級生たちは、密かにこういう機会はほしかったのかもしれない。そう思えた。
当時の小学校の風景、同級生たちのその後や現状、学校近くの商店街の風景、近くの神社の風景など、様々な話題が飛び交った。
当時の小学校の風景や、当時の商店街の光景は、私が小学生だった頃とは、だいぶ変わってしまっている。
当時の風景は、当時それを見ていた人だけしかわからないのだ。
考えてみれば、当時の学校の景色、級友たちのこと、当時の商店街の風景は、皆共有している。なのでそう言う話をできるのは当時を知る同級生たちだけなのだ。
例えば、この場所には昔銭湯があったよね・・とか、この場所には文具屋があったよね・・とか。
あそこには◯◯君の家があったよねとか。
色々なハードルはあったが、やはりとりあえず開催してみて良かったとは思っている。
今後はさらに人数を増やしていけそうだし、むしろ今後に希望が持てた。
新たな交流関係ができたような気分だ。
少年少女時代を共有してるのたから、厳密には「新たな」交流ではないのだが、この会のおかげで再集結できたのだから、気分的には新たなコミュニティができたような感じ。
それにしても、なぜ小学校の同窓会がこれまで行なわれてこなかったのだろう。
思うに、例えば中学時代や高校時代になると、密かに恋愛感情を抱いていた相手が同じ学校にいたりする人は多いだろう。
だが、小学校時代は?
私の世代では、まだ恋愛感情に目覚めてなかった人もいたかもしれない。
当時恋愛感情を持っていた相手がいたかどうかは、同窓会参加へのモチベーションに影響すると思う。
だから行われてこなかったのかもしれない。
だが、恋愛感情とは別に、当時よく遊んだ相手が今どうしてるか知りたいという感情もあると思う。
その場合は、むしろ当時よくあそんだ同性の人がターゲットになる。
そういう意味では、やはりこういう機会は、頻繁ではなくても、たまにはあってもいいやね。
とりあえず、自分の中でくすぶっていた「自分の人生でやりのこしていること3つ」は、これで全て実現させることができた。
時間はかかったけれど。
あなたの通ってた小学校の同窓会は定期的に行なわれているだろうか?
そう、中学や高校や大学ではなく、小学校の同窓会が。
「あいつ今何してる」という番組があるが、小学校の同窓会の場合は「あいつ」というより「あの子今何してる」という感じ。
なぜなら、小学校時代の同級生は、自分も含めて皆子供だったから。
自分の記憶の中に残る小学校時代の同級生は、子供時代の姿で頭に残ってるから。
何十年も会ってない同級生だと特に。
思えば私が小学校を卒業してから何十年という月日が過ぎ去っているが、これまで小学校の同窓会は私が知る限り一度も行なわれてこなかった。
厳密には、卒業した年の3月の翌月に一度だけ開かれたことがあったが、それは卒業してからまだ1か月しかたってない時期での開催だったので、同級生同士で「久しぶり」とか「懐かしい」という感覚はあまりなかった。
単に数日間会わなかっただけみたいな感覚で。
だがそれ以来は1度もなかったのだった。まさかそうなるとは予想してなかった。
何年かに一度くらいは行なわれていくような気もしていたのだが。
中学の同窓会はそれなりのペースで開催されてた時期はあったのに、小学校の同窓会はなかった。
なので一度くらい小学校時代の同窓会もあればいいのに・・と思ってた。だが、まったく実現の話はなかった。
誰か開催してくれないかなあと、たまに思ってたが、このままいたら結局実現しないまま、年月は容赦なく過ぎ去っていきそうだ。
こうなったら、それを考える人が動くしかないのかもしれない。
ある年齢に達した時に私は漠然とそう感じ始めた。
その時点で、私には「自分の人生でやり残したこと」が3つあった。
1つは、日本の全47都道府県すべての都道府県に泊まるということ。
2つ目は、自分の作詞作曲した曲ばかりでアルバムを作ること。
そして3つ目の「やり残したこと」は、小学校の同窓会であった。
このうち、1と2は実現させた。このふたつは自分が動けばなんとかなった。個人的な目標だったから。
だが、問題は3つ目だった。こればかりは自分1人が動いてもどうにもならない。同窓生が来てくれないと、実現しない。
しかも集める同窓生は小学校時代の級友だ。今から数十年も前の時代の同窓生。長い年月の経過で、もう住所が変わっている人が多いはず。
苗字が変わってる人もいるはず。
それに、当時よく一緒に遊んでた同級生ならともかく、当時あまり交流のなかった級友もいたわけで、そんな人は私のことなど覚えてないかもしれない。
だとしたら、そんな人にとっては私は見ず知らずの人みたいなものであろう。
そんな私の呼びかけに応えてくれるだろうか。
また、もしかしたら私に対して当時あまり良い感情を持ってなかった人もいたかもしれない。いくらこちらが相手に対して特に悪い感情など持ってなかったにしても。人の心は、わからないものね。
そんなことを考えると、ハードルは高く感じた。
ましてや今の連絡先などわからない相手なら、特に。
それでも、現在の連絡先がわかる相手だけでも連絡した。
中には私が連絡先を知らなくても、私が声をかけた級友が知ってる同級生には声をかけてもらって。
とりあえず最小決行人数を6人くらいで設定してたのだが、結局は7人集まった。
これだけでも、とっかかりとしては良しとした。
今後新たに声をかけられそうな人もいるし、たまたま今回タイミングが合わなかっただけで、タイミングが合えば参加してくれる人もいるし。
連絡できる同級生全てがもし集まれば、現段階だけでも十数人は、いる。
これなら、むしろ今後に希望は持てそうだ。
で、今回集まれる人だけてプチ同窓会を実現させてみたら、当初2時間くらいを想定してたのだが、話ははずみ、気づいたら4時間以上飲み食いしていた。
これまて小学校の同窓会は行なわれてなかった分だけ、盛り上がった。
もしかしたら、ここに集まった同級生たちは、密かにこういう機会はほしかったのかもしれない。そう思えた。
当時の小学校の風景、同級生たちのその後や現状、学校近くの商店街の風景、近くの神社の風景など、様々な話題が飛び交った。
当時の小学校の風景や、当時の商店街の光景は、私が小学生だった頃とは、だいぶ変わってしまっている。
当時の風景は、当時それを見ていた人だけしかわからないのだ。
考えてみれば、当時の学校の景色、級友たちのこと、当時の商店街の風景は、皆共有している。なのでそう言う話をできるのは当時を知る同級生たちだけなのだ。
例えば、この場所には昔銭湯があったよね・・とか、この場所には文具屋があったよね・・とか。
あそこには◯◯君の家があったよねとか。
色々なハードルはあったが、やはりとりあえず開催してみて良かったとは思っている。
今後はさらに人数を増やしていけそうだし、むしろ今後に希望が持てた。
新たな交流関係ができたような気分だ。
少年少女時代を共有してるのたから、厳密には「新たな」交流ではないのだが、この会のおかげで再集結できたのだから、気分的には新たなコミュニティができたような感じ。
それにしても、なぜ小学校の同窓会がこれまで行なわれてこなかったのだろう。
思うに、例えば中学時代や高校時代になると、密かに恋愛感情を抱いていた相手が同じ学校にいたりする人は多いだろう。
だが、小学校時代は?
私の世代では、まだ恋愛感情に目覚めてなかった人もいたかもしれない。
当時恋愛感情を持っていた相手がいたかどうかは、同窓会参加へのモチベーションに影響すると思う。
だから行われてこなかったのかもしれない。
だが、恋愛感情とは別に、当時よく遊んだ相手が今どうしてるか知りたいという感情もあると思う。
その場合は、むしろ当時よくあそんだ同性の人がターゲットになる。
そういう意味では、やはりこういう機会は、頻繁ではなくても、たまにはあってもいいやね。
とりあえず、自分の中でくすぶっていた「自分の人生でやりのこしていること3つ」は、これで全て実現させることができた。
時間はかかったけれど。
あなたの通ってた小学校の同窓会は定期的に行なわれているだろうか?
そう、中学や高校や大学ではなく、小学校の同窓会が。
「あいつ今何してる」という番組があるが、小学校の同窓会の場合は「あいつ」というより「あの子今何してる」という感じ。
なぜなら、小学校時代の同級生は、自分も含めて皆子供だったから。
自分の記憶の中に残る小学校時代の同級生は、子供時代の姿で頭に残ってるから。
何十年も会ってない同級生だと特に。
中学や高校の同窓会はそれなりに開催されても、小学校の同窓会となるとあまりないのかもしれないですね。
小学校というと、あまりに昔ですし、皆の姿も変わってるし、連絡先もかわってる人も多いでしょう。
また、積極的にやりたいと思う人は少ないのかな。
私は普通にもっと行われているのかと思ってました。
でも、初めてやってみたら、それまでのブランクが長い分だけ、つもる話もあるもんですよ。
思いがけない話もでてきたりします。
問題は、何人連絡がとれるかです。
合コンみたいな雰囲気はあまり感じませんでしたが(笑)、新たな交流の幅は広がった気はします。
何か小学校時代の同級生って半分ぐらい顔忘れちゃいました。特に高校で離れちゃった子とか、中学の時も全然仲良くなかった子とか。
でもよかったですね。新たにつながりができて、合コン気分だったんじゃないですか?