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この曲は私にとってかなり思い入れのある曲だ。
この曲を私はリアルタイム体験したわけではなかった。若いころにポップスバンドを組んで間もない時、とりあえずバンドの音をまとめるために、レパートリーとしてまず何かカバーをしようということになり、メンバーが提案してきたのが、この曲だった気がする。
バブルガムポップス・・・バンドはそんな方向性を、結成時に考えていたからだった。その意味では、「恋の炎」はピッタリに思えた。
だが、結局この曲をバンドでカバーするには至らなかった。
だが、メンバーがこの曲を持って来た時に、「どれどれ」という感じで私も聴いてみたのだが、その音源を聴いた時、「あ、これ、知ってる」と思ったのを覚えている。
というのは、仕事で車を運転してる時に、いつもラジオをかけていたのだが、FENを聴いてると、たま~にこの曲が流れており、そのたびに「いい曲だな」と思っていたからである。古そうな曲だが(実際、古い曲ではあった)、誰の曲だろう・・と、いつも思っていたし、いつか突き止めたい気持ちはあった。
ラジオで聴いた時は、この曲のタイトルも、この曲を歌ってたバンド名前も知らなかった。
エジソンライトハウスというバンド名は知っていたけど、少なくてもこの曲がエジソンライトハウスというバンドの曲だとは知らなかった。
それが、ポップスバンドを組んだ時に、メンバーがこの曲を持ってきたので、その時初めて曲名とバンド名が一致したのであった。
この曲をメンバーが提案してきて、この音源を聴いた時、私は即座に賛成したと思う。
なぜカバーが実現しなかったのだろう。たぶん・・・「こういう曲みたいな曲を、君が作ってくれ」とメンバーに言われたからだったと思う。カバーよりも、バンドのオリジナル曲として、そういう曲が欲しい・・・ということになったのだ。
「恋の炎」といえば、大ヒット曲。そんな曲を私ごときが作れるはずもなかった。しかも、私はただのアマ。だが、チャレンジはした。作りかけてはみた。
ところが、この曲みたいな曲を作ろうとして作り始めた曲の「さわり」の部分をメンバーに歌ってきかせたところ・・
「う~ん・・イマイチ!」
この1言で終わったしまったのだった(笑)。あっさり却下。
まあ、その時に歌ってみせた自作曲は自分でもイマイチだと思ってたし、しがないアマがマネして作ろうとしても、どうしても原曲にはかなうはずもない。
何かの曲みたいな曲を作ろうとして曲を作ると、そっくりになったり、原曲の単なるなりそこないになったり、無理に原曲を変えようとしてるみたいになったりで・・・たいがい出来はよくない。そのへんは、曲作りをする人なら分かってもらえるのではないだろうか。
でなわけで、結局カバーも実現しなければ、この曲みたいな曲も完成はしなかった。
なので、私の中で、この曲は「やりのこした曲」みたいな存在となり、この曲が好きだったことも合わさり、この曲への思い入れは・・かなりある。
今思えば、自ら作る・・などという身分不相応な(才能不相応な?)ことはしようとせずに、素直にこの曲をカバーすればよかった・・と思っていたりする。
この曲のメロディラインは、洋楽ポップスとして、この曲を聴いてた日本人の好みにかなりフィットしたようで、その後「和製ポップス」と呼ばれた歌謡曲に、この曲のメロディラインを活かしたような曲が何曲も登場したように思う。
特にサビの部分のメロディラインが、そうだ。この曲のサビのメロディのエッセンスを含んだ「和製ポップス」を私は何曲か聴いた覚えがある。
そのたびに、「あ、この曲の作者、きっと「恋の炎」が好きだったんだろうなあ」とか思ったもんだった。
そういう意味では、この曲は、その後の「和製ポップス」にけっこう浸透し、影響も与えたのではないか・・・と、個人的には思っている。
ちなみに、この曲はエジソンライトハウスの代表曲であり、1970年に全英最高1位、全米最高5位までチャートアップした大ヒットナンバー。日本でもしっかり何週も1位獲得。
エジソンライトハウスというバンドは、この曲が制作された時は、実は幻のバンドであったそうな。
まずバンドがあった状態で生まれた曲ではなかったようだ。
ソングライターであり、プロデューサーでもあったトニー・マコウレイという人がまず居て、ヒットを狙って、その人が用意した曲をトニー・バロウズという名うてのセッションボーカリストに歌わせたもの。
バックの演奏は、当時のスタジオミュージシャンを集めて制作されたらしい。
固定メンバーによるバンド・・という形態ではなく、プロデューサーがヒットを狙って制作した、架空のバンドによる楽曲だった。
ところが、この曲がブレイクしたので、後追いでメンバーを集めてバンドらしくしたようだ。
とはいえ、元々はそういういきさつで結成されたバンドだからか、その後メンバーは流動的で、メンバーチェンジを繰り返したらしい。
エジソンライトハウスという名義でのヒットソングはそこそこあるようだが、やはりなんといってもこの「恋の炎」が同バンドの名刺代わりの代表作といえるだろう。
この「恋の炎」を聴いてみると、キャッチーなイントロ、親しみやすく覚えやすく、なおかつ斬新さはなくても安心して聴いていられるメロディの流れ、ストリングスを強調した耳触りの良いサウンド・・など、ヒットシングルらしい要素に溢れていて、楽しい。当時のヒットソングの作り方のツボを押さえまくった曲作り、サウンド作りだったことだろう。
特にイントロなどは、短くコンパクトな中にも、ボーカルメロディの中には出てこない独自のフレーズを数回繰り返し、しかもそれが繰り返すごとに厚みを増し、一気にこの曲の世界観にリスナーを誘いこんでしまう出来。
また、ボーカルメロディ自体も、非常にノリがいい。
こういう楽曲は当時「バブルガムポップス」と呼ばれたが、バブルガムポップスというのは、当時人気を集めていた社会派楽曲とは対極にあるような傾向にあるようなジャンル(?)だった。
ターゲットとしては、主に十代の若者。
歌詞に社会的なメッセージなどを入れず、親しみやすく、覚えやすく、分かりやすい、キャッチーな楽曲。
アップテンポ。
シンガーは自ら曲を作るわけではなく、演奏もスタジオミュージシャンが担当し、主導権はソングライターやプロデューサーにある。
おおむねそういう特徴があるのがバブルガムポップスだった。
そういう意味では、歌ってる人や演奏してる人は、「スター」になることはあっても、今で言う「アーティスト」ではなく、あくまでも仕掛け人がアーティストであった・・・とでも言えばいいのかな。
バブルガムポップスという呼び方には、当時少し「見下したような意味合い」もあったようだが、密かに愛好者も多かったようだ。
メインターゲットになった十代はもちろん、それ以上の世代にも。
まあ、メインターゲットになった十代の中にも、このジャンルを見下した人もいたであろうし、そういう意味では、ひとまとめでくくれるものではないだろう。
人の好みはそれぞれだしね。
冒頭の方でも書いたとおり、私は自分が20代の頃に組んでたバンドでは、あえてそういう方向を目指した部分もあったぐらいなので、私としては好きなジャンルではある。
まあ、あれこれ書いてきたが、この曲は、深く考えずに、素直に楽しめばいいのだと思う。
それこそが狙いだったはずだし。
あなたは、こういうジャンル、お好きですか?
私は好きです。
https://www.youtube.com/watch?v=b9XyhFQeob0
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