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気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

筒美京平さん、安らかに・・・また逢う日まで。

2020年10月14日 | 音楽全般

 

あまりにも偉大な作曲家、筒美京平さんが他界された。

 

筒美さんの作風の幅広さ、ヒットさせるメロディ作り、今さら私がその凄さは語ったところで何にもならないであろう。

あまりにも実績が凄すぎて。

まさに、日本の音楽界の大巨人であったと思う。

 

筒美さんの作った曲を羅列すると、まさにヒット曲のオンパレード。

そのリストたるや、壮観で、あっけにとられてしまうほど。

ほんとに、これらの曲を同じ人が作ったの?と思いたくなるぐらい。

 

一頃、ヒットチャート番組で、歌手が出てくるたびに、その曲の作曲クレジットがどれも筒美さんだったことがあった。

人前に出て来なかったせいもあり、へたしたら「筒美京平というのはチーム名で、そのチームに多数の作曲家がいたのではないか」などという妙なかんぐりがあったこともあった。

だが、もちろんそれはチーム名などではなく、筒美京平さんという実在する個人が、それらすべてのヒット曲を作曲してたという事実の前には、ただただひれ伏すしかない。

 

自分の好きな音楽を作るのではなく、ヒットする曲を作るのが使命・・・というポリシーを持つ筒美さんには、レコード会社も安心して仕事を依頼できたのではないか。

また、実際にそれをやってのけていたのだ。

だから仕事の依頼量が凄かったのだろう。

 

筒美さんの凄さをいつも私が感じていたポイントは、メロディの癖らしきものが不才な私には見抜けなかったこと。

メロディが似てない曲が多かったこと。

筒美さんの作った曲を、色んな歌手が歌っていたというせいはあったのかもしれない。

だが、それだけではなかったはずだ。

筒美さんの引き出しの多さがなせる技だったとしか思えない。

また、人の何倍も研究熱心だったのだろう。

研ぎ澄まされた感性で。

じゃないと、あれほどの多くの歌手によるヒット実績を残せるはずがなかったのではないか。

 

とかく作曲家というのは、作るメロディに一種の癖みたいなものがあるものだ。

だが、筒美さんの曲には、私はあまりそれを感じられなかった。

特に、ヒットした曲は、どれもが別々の作曲家が作ったような違いがあった。

作風変化ともいうか。

 

そのへんが、私が敬服してやまない点であった。

 

 

あまりにも凄く、偉大な作曲家なので、これ以上私が書くのはおこがましい気がする。

 

ともかく・・・不世出の天才作曲家であったと思う。

それしか今の私には言えない。

 

 

筒美京平さんのご冥福をお祈りいたします。

 

あなたの残した曲は、これからも愛されていくでしょう。

いつまでも・・・。


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2 コメント

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Unknown (鮎川愛)
2020-10-19 14:58:47
昭和の名曲熱烈ファンである私にとっても、筒美京平先生の逝去は、「時代の巨星堕つ」という間を強くさせました。

その時代を彩った名曲の作り手というのは、どのような心境になるものでしょうね?

筒美京平先生は、全く天狗や傲慢さなど無かったでしょう。

「お年寄りから子供まで、私が作曲した歌を口ずさんで楽しい気分になってくれたら、それで良いんだ」という、ささやかな願いがあるだけだったのではないでしょうか…。

改めて先生の手になる名曲を心静かに聴いてみます。

合掌。
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Unknown (だんぞう)
2020-10-19 16:29:55
日本の歌謡界を代表する作曲家の一人でした。
残したヒット曲の多さは、並外れてました。

自分の好きな曲を作るのではなく、ヒット曲を作ることを自らにあたえられた使命としていたところなど、まさに職業作曲家として、職人の極みだったと思います。

凄すぎる人でした。

そんじょそこらの作曲家が束になってもかなわない人だったと思います。

尊敬の念をこめて、合掌…。
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