道の脇で、一匹で佇んでいる(?)子猫と見つめあう展開になるのは、ある意味危険ではある。
この場合、人間と見つめあっても警戒したり逃げたりしない猫のことだ。
捨てられたのか、親とはぐれたのか、それは分からないが、道の脇に一匹でいる子猫とうっかり目があって、しばし見つめあったりして、その後その子猫から離れて歩いていこうとした時に、その子猫が私の後をついてくる展開になってしまうと・・どうにも放っておけなくなる。
猫は警戒心が強いので、慣れていない人間が近づこうとすると、たいがい逃げる。
すると、そこでその人間との関係(?)は終わる。
だが子猫によっては、近付いてきた人間から逃げようとしないどころか、ニャ~と鳴いて動かずにじっと見つめ返してくることがある。
そうなると、自分にその子猫が警戒心を持っていない気になるし、可愛い。
しかも、警戒心を持つどころか、自分についてくると、自分を頼っている様が可愛くて、ついつい家に持って帰ってしまったものだ。
だが、我が家では猫を飼うことは、ついに許してもらえなかった。
母親がいやがったからだった。母は、猫が嫌いだったのかどうかは分からない。
母が嫌がったのは、猫を飼い始めた際につきまとう「面倒を見続ける」ということが、私にできないと思ったからだろう。
そうなると、その子猫の面倒は、親がみるハメになってしまうし、余計な手間が増えることを母親がこうむることになる。それを嫌がっていたふしがあった。
子供時代の私は、あきっぽかったのだろう。最初は可愛がっても、そのうち飽きてしまって面倒をみなくなる・・母は私をそういう目でみてたのだろう。
でも、私にしてみたら、一度も飼ったことはなかったし、「すぐに飽きて面倒をみなくなる」ようになったかどうかは分からない。
私は子供の頃から猫は好きだったので、飼えば、面倒をみ続けただろうと自分では思っていたのだが。
実際、今でも私は猫は好きで、もしも機会があれば飼ってみたいという気持ちは今も持っている。
大人になってからも、あやうく猫を拾って帰りそうになったことがある。
仕事で、私が車で半日以上外回りをしていた、ある日。あれこれ周る場所があり、一度車で会社を出たら、その日は半日以上会社に戻れそうもなかった。
途中腹が減っても、どこかの飲食店に入る余裕もなかったので、コンビニで飯を買ってきて、ある公園に車を止めて、車の中で飯を食べていた。
私は当然運転席にいた。すると、助手席のドアの向うから、猫の鳴き声がした。
「?」と思って、運転席から体を伸ばして助手席のドアを開けてみると、ドアのまん前に猫が行儀よく座っていた。
ドアを私があけてるのに、逃げようとしないばかりか、私の目をじっと見つめて、鳴き続けている。ニャーニャーと。
これは・・この猫は、私に対して、就職活動をしているのだと思った。
猫の就職活動・・・つまり、私に「飼ってほしいニャ」と訴えているのだと思った。逃げようとしないで、私の目をじっと見つめて、行儀よく座って鳴き続けているその様ゆえに。
そういうことは久しぶりだった。子供の時に、道路の脇にいた子猫を連れてかえって飼いたくなった記憶を思い出した。
よっぽど、そのまま車に乗せて連れてかえろうかと思った。連れて帰りたくてたまらなくなった。
だが、今の私の家の事情では飼うわけにはいかないのだ。
以前にも書いたことがあるかとは思うが、我が家には木でできた楽器が多い。猫を飼って、木でできた楽器で爪でもとがれたら、はっきりいって困る。
柱などで爪をとぐのは許せても、高価なギターなどで爪でもとがれたら、困る。
また、猫は・・特に子猫は色々動き回る。家の中をあれこれ動きまわって、なにかのはずみで高価なギターを倒されでもしたら、取り返しのつかない状態にギターがなりかねない。
それを考えると・・今の我が家では、やはり猫は飼うわけには・・いかないのだ・・。
ギターなどを多数所有している人で、家の中に猫を飼っている人は、そのへんの危険性にどう対処してるのだろう。
まあ、ギターは、ハードケースに入れておけば、猫を飼っても大丈夫かもしれない。
だが、ギターは、ハードケースに入れてしまうと、弾く機会は減ってしまう。
ついつい、普段何気にギターを手にする場合は、ケースに入れてあるギターをケースから出して弾くよりも、いつでも弾けるようにギタースタンドに立てかけてあるギターのほうを弾いてしまう。
そちらのほうが手っ取り早いからだ。
我が家には何本ものギターがあるが、ハードケースにしまって保管しているギターもあれば、ギタースタンドに立てて、いつでも弾けるようにしてあるギターもある。
いつでも弾ける状態にしてあるギターは、当然のことながら弾く機会も多い。
弾く機会が多ければ、愛着もひとしおである。
ハードケースにしまってあるのは、愛着がないわけではなく、貴重なギターだったりする。
自分が所有しているギターには、どれにも愛情は持っているが、やはり、いつも弾いてるギターへの愛着は、より強い。
そんなギターを倒されて壊されたり、爪をとがれたりしたら・・・
そんなことを考えると・・・やはり飼えないんだよなあ。
友人の中では、猫を飼ったことがあったり、今でも飼ってる人もいる。
そんな人たちから、飼い猫のエピソードを聞くのは楽しい。
例えば、外で鳥や虫を「狩り」してきた猫が、その「成果」を御主人さまに自慢でもするかのように、家に持ってきて、鳥や虫などの死骸を床に置いたりする。
猫としては、自分のお手柄のつもりなのだろう、狩りの成果をアピールしてるわけである。
猫としてはその「成果」は、自分の実力であり、そのお手柄を御主人に見せつけることで、褒めてもらおうと思っているのかもしれない。
だが、人間としては・・・そんな虫や鳥の死骸を家の床に並べられても・・。
まあ、そのへんは、人間と猫の価値観の違いなのだろう。
また、家族だんらんで過ごしている時に、飼い猫が家の主人のところに来た時に、家の主人がいたずら心をおこし、近付いてきた時に「つかみっ屁」を浴びせたことがあるらしい。
主人は、屁をこく時に片手を尻の所に持っていき、出した屁を手でつかみとって、猫の鼻先で、つかんだ屁を、手を開いて解放したらしいのだ。
その瞬間、その猫は・・・
「フギャン!!!」
と絶叫し、後に1メートル近くバックジャンプして離れ、その場を急ぎ足で立ち去ったらしい。それ以来、その主人にはしばらく近付くことはなかったそうな。
猫の嗅覚は、犬に負けないぐらいの能力があるらしいので、人間が「たかがつかみっ屁ぐらいで・・」と思っても、猫にとっては毒ガス並みの臭いだったのかもしれない。
また、ある時、飼い猫が家に全然戻ってこなくなった時のこと。
1か月ぐらい間があいて、久々に家にその猫は家に戻ってきた。
よく見ると、もう1匹の猫を連れている。
どうやら・・一か月近く家に戻ってこない間に、猫は恋人を見つけ、その恋人と一緒にいたようだった。
で、その恋人を、飼い主に見せる・・というか、紹介にきたようだった。
恋人猫にとっては、初めて見る家であり、人間でもあるわけだから、警戒して近付いてこなかったが、飼っていた猫は、恋人を連れて、御主人さまに挨拶にきたのだったろう。
だが、その日以来、その猫はもう家に戻ってくることはなかったらしい。
恋人猫の家に転がり込んだのかもしれない。飼い猫は・・・主人の家を出て行く前に、恋人を連れて紹介しに、最後の挨拶にきたということになる。
・・とまあ、猫にまつわる、こういうエピソードを聞くのは楽しいし、可愛い。
ここには書かなかったが、もちろん猫にまつわる悲しい逸話も耳にしたことはある。飼い猫の最後にまつわる逸話。だが、それは・・ここでは書かないでおく。悲しいから。
まあ、飼い猫に関する微笑ましい逸話を聞いてると、自分も飼いたくなってくる。
だが・・・やはり、家の事情を考えると・・・飼えない。残念。
もしも子猫が道の脇にいたら、なるべく目が合わないようにしないと。目が合って、私にその後ついてこられたら・・・連れて帰りたくなるから。今でも。
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