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東日本大震災の後、原発の危険性が改めてクローズアップされ、しばらく節電が強く呼びかけられ、あちこちで節電が実施された。わかりやすいぐらいに。
例えば、駅の明かりなどは、移動に影響が出ない範囲で電気が消され、駅の構内で電気がついていなくて、暗くなっている場所が目立ったりした。
当初は一瞬その暗さにとまどいはしたものの、節電の必要性はわかっていたので、その暗さに不満を持つことは私はなかった。
人間には「慣れ」というものがあり、その暗さにも慣れてくると、案外それはそれでいいんじゃないかとも思えるようになっていった。
しまいには、「むしろ、これまでが不必要に明るすぎたんじゃないか」とも思うようになった。
だが
いつしかその動きは収まり。
今では、あの大震災以前の頃の明るさに戻っている感がある。
まるで、あの節電の時期がウソのように。
あの教訓や、意識は、どこに行ったのだろう。
今の電力は・・大丈夫なのだろうか。
エアコンの使用過多などでたまに電力消費量が気にかけられることはあっても、実際にどこかの電気が意図的に切られたりしている光景は見かけない。
もう、あの節電の時期は過去のものとしてしまっているのだろうか。
一度覚えた便利さは、やはりやめられないのだろうか。
私は、ひと頃のあの節電の時期のような電気使用量に戻してもらってもかまわないのだが・・。
寒すぎる時期や暑すぎる時期にエアコンの使用を抑えて、それが体調不良に繋がるぐらいなら、例えば駅や街の照明を以前の節電の頃のようなレベルに戻すほうが良いのではないか。
大震災みたいな非常時が来ないと、そういう意識は持てないのだろうか。
節電の頃のような駅や街の明かりでも、移動には支障はなかったし。
私など、妙にどこもかしこも明るいよりも、かえって落ち着けるような気もしたし。
それとも・・節電の頃の駅や街の明かりでは、移動できない人でもいたのだろうか。
それによって何か事件でもあったのだろうか。
あれは、良い意識改革であり、良いきっかけにもなると思ったのだが・・・。
そう言えば、311震災直後は、千葉県内で真昼の電車も、「節電のため消灯致します」と時折放送して、照明が落ちる時、何度かありましたね。
真昼なのに、妙に暗い電車の中、よく覚えています。
気がついたら、いつの間にか通常通りに戻っていましたね。
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」であってはならないのです。
「天災は忘れた頃にやって来る」のですから。
ついでに宮城県気仙沼の親友、震災当初より、ずっと心配でしたが、つい最近、本人から無事を知らせる手紙が届きました!
本当に本当に良かった。
しかし、犠牲者の皆さんを決して忘れません。
またあの照明に戻っても私は全然かまわないです。
今の明るさじゃないといけない理由でもあるのだろうか、、、と思います。
誰かクレームでもいれた人でもいたのでしょうか。
お友達が無事でよかったですね!
必要以上に明るくなくてもいいと思えます。