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私の通った小学校の校舎が解体されるらしい。
母校が解体される前に、その校舎が解体されることを知るのは、これで2回目だ。
1校は中学校だった。それは2008年だったと思う。
そして今回の2校めは小学校。
考えてみれば、小学校と中学校以外にも、幼稚園、高等学校、そして大学。そのどれもが古い校舎は解体された。
幼稚園などは、もうすでになくなっている。
高校と大学は今も昔あった場所に存在してはいるが、校舎自体はまったく新しくなっている。
まあ建物というのは、年月の経過と共に建物が老朽化していくし、耐震構造の基準も新しくなるので、リスク管理という意味で古い校舎が解体されて、新しくなるのは仕方ないことだとは思う。
でも、古い校舎が解体されてなくなってしまうのは、そこに通っていた者としては寂しさはある。
卒業して、もうその校舎に入らなくなっている立場ではあっても。
私の通っていた幼稚園は、廃園になり、幼稚園があった場所は今では駐車場になっている。 校舎の名残りは皆無。
かろうじて、幼稚園の敷地内にあった滑り台だけは今も残されている。
その滑り台は、地形を利用して、石をくり抜かれて作られた滑り台だったから、地形的に放置されているだけなのだろう。
一方で、高校と大学は、学校そのものは私が通った校舎があった同じ場所に存在してるが、校舎自体はまったくの別物。
大学は数年前に私のいたサークルのOB会の集まりがあった時に久々に行ったことがある。
新しい校舎を目の当たりにして、まったく別の学校に思えた。
高校は、高校のホームページを見た時に、校舎が一新されているのに気がついた。
大学も高校も、古い校舎が解体されたのはいつなのかはわからない。
もしかしたら、校舎が解体される時に、一部の卒業生には知らされたのかもしれない。
だが、私はその情報は知らなかった。
それにくらべたら、中学校や小学校が解体される直線に解体情報を知っだのは、まだマシなのだろう。
おかげで、解体直前に校舎に自由に入って見学できる、「古い校舎への最後のお別れイベント」には参加できるのだから。
思えば、私の通った中学校の校舎への「解体前の最後のお別れ会」に参加したことは、その後私の自作曲「母校が消えた日」を作ることにつながった。
解体直前の校舎を見学してる時には、見学しながら様々な思いをもったから、その気持ちが歌になった。
当初はそれをネタに曲を作るつもりはなかったのだが、イベント終了後に時間がたつにつれ、想いが溜まってきて、気がつけば曲が完成していた。
今回、解体される直前の小学校の校舎に入ったら、どんなことを思うのだろう。
直接歌に繋がるかどうかはわからないが、また色々な思いを持つことになるのだろう。
私が小学校を卒業して、もう何十年という年月がたっている。
その間に校舎はある程度改築されている。
なので今回解体される校舎は、私が通っていた校舎と全く同一というわけではない。だが、校舎の一部には、私が通っていた校舎も残っている。
今回のお別れ会では、私が通っていた校舎と変わらない部分を中心に見てまわることだろう。
あと、校庭も。校庭のスペースは、当時と変わらないはず。
ただ、校庭内に置かれていた遊具やオブジェなどはもう撤去されてるかもしれない。
とりあえずは、私が通っていた頃と、近年の校庭とでは、どこが違っていたかを見ておきたい。
自分の通っていた小学校の校舎が解体されることを知って以来、当時の小学校時代の風景や出来事や級友たちが思い出され、頭の中をまわっている。
なお、トップ写真は、まだ一部の建物が残っていたころ(とうに廃園にはなってはいたが)に撮った幼稚園の写真。今では建物は跡形もない。
ショックですよね。建て替えならまだしも
学校という施設が、完全に消滅してしまうのですから。
ボクの通った郷里の小・中学校は、幸いまだ存続しているようです。
ただ、昨今の少子化の影響で空き教室が多いようです。
ボクが通っていた頃は40人学級でしたが
HPを見ると現在は、30人学級になっていました。
学校以外の公共の施設である駅舎や市役所や病院なども、改築され
街の景観は昔とは、すっかり変わりました。
自分が卒業した母校も少子化が進めば、生徒が集まらず
将来は解体になるかもしれません。
少子化問題は、女性の社会進出に伴う未婚化等の構造的な問題を孕み
解決には時間がかかりそうです。
今ではその建物内に入ることはなかったですし、このままその学校が存在し続けたにしろ、校舎内に入ることはないでしょう。
でも、変わらず存在し続けていてくれるだけで、なんていうか安心感はあったのです
ある意味、自分の通った学校てのは、心のふるさとなのでしょうね。
私の通った小学校は、学校そのものはこれからも同じ場所で存在し続けます。
ただ、古い校舎はなくなって、まったく新しい校舎になるようです。
とりあえず同じ名前の小学校が同じ場所にあり続けてはくれるので、それだけが救いです。
これでもし、学校がなくなってしまうよりはマシなのでしよう。
そう思うことにします。
今は子供たちそのものも減ってきており、増えてゆく要素は中々見当たらないですね。
大学などでは、新入生の数が定員割れしてるケースも多いようです
出生率の低下は、今の婚活界の状況を見る限り、仕方ないかなと思います。
旧校舎の解体でしたか。
ボクの勘違いでした。失礼しました。
以前、木造校舎の解体の記事の時、コメさせてもらったけど
慣れ親しんだ小学校の木造校舎の解体は、本当に寂しいものでした。
新校舎が完成し授業が始まっても、しばらくは落ちこんでました。
しかし、1ヶ月もして新校舎に慣れると
机や椅子、黒板等の新校舎の備品が全て新品なのが
とても気分が良かったです。旧校舎の木製の机は傷みがヒドかった。
悪ガキが、彫刻刀でいたずら描きを彫ってデコボコしていたので
下敷きなしでは、紙に字が書けなかった(笑)
更に、新校舎は鉄筋コンクリート4階建てでしたので屋上からの眺めは
格別でした。当時はデパートの屋上以外、眺めの良い場所はなかったので。
窓や戸もキチンと閉まり冬のすき間風が無くなり、
石炭ストーブが大型の石油ストーブになり、点火が簡単でとても暖かく快適でした。
旧校舎での思い出、新校舎に移ってからの思い出、
いろいろありますが
今、思い出すと在籍中の校舎の改築も悪くなかったナ、
なんて思ったりします。
というか、それは学校の建物に限らないと思います。
たとえば、お寺や神社の建物が鉄筋だと、ちょっとそっけない感じがするでしょう。
やはりあれは木造の建物だからこそ、いいんだろうと思います。
子どもというのは、大人より順応性が高い気がしますので、新しい校舎にも慣れるのは早いかもしれません。
むしろ、古いものやなくなっていくものにノスタルジーを感じるのは大人だと思います。
私の母校の小学校の校舎には、きっと子どもたちは、ほどなくしてなじんでいくことでしょう。