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気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

真田氏の里、盛り上がる上田に行ってみた。(私の上田旅行記 1)

2016年11月22日 | 

私は随分前から、戦国武将・真田氏の里である上田市には行ってみたいと思っていた。

厳密には、昔の友人の郷里が上田で、その友人の実家に泊ったこともあったのだが、その時はあわただしくて、上田の町を見てまわることはできなかった。単に友人の実家に泊っただけで終わってしまった。

なので、上田の町散策のために、あらためて上田に旅してみたいとずっと思ってた。

何年か前に、実際に上田旅行を計画したこともあった。

だが、その時は諸々の事情で実現しなかった。

結果、「私の行きたい旅先リスト」には、上田は長い間入り続けていた。

上田に行ってみたかった理由は・・やはり私が真田幸村や真田十勇士が好きだったからだった。

 

私が真田十勇士に興味を持ったのは、私が子供の頃から忍者に興味があったからだった。

それは幼い頃に読んだり見たりしていた漫画やアニメやドラマや映画などの影響が大きい。

忍者・・と聞いて、すぐに名前が浮かんでくる人物は何人もいるが、猿飛佐助や霧隠才蔵は、その中でも筆頭クラス。

そして、その佐助と才蔵は、真田十勇士の看板スター。

作品的には佐助の方が映画やドラマや漫画などで主人公になることが多かったが、才蔵とて主役クラスのスターであり、才蔵を主役にした作品もしっかりあった。

猿飛佐助や霧隠才蔵という名前の実在の人物はいなかったし、あくまでもその名前はフィクションではあるが、まるで実在したかのような存在感や知名度はある。

文献やネットで調べてみると、上田には佐助と才蔵の「ゆかりの場所」という場所もあることがわかり、ましてや真田幸村も私は好きだったこともあり、上田にはぜひ行ってみたいと思っていたのだった。

 

で、今回それを実現させようと思った。

今年はNHKで「真田丸」という大河ドラマもあるし、おそらく現地は盛り上がっていることだろう。大河ドラマが放送されてる期間だけの限定の展示館もあるはず。

 

正直言うと、「真田丸」という大河が放送されているから、そのブームに乗って上田に行くようなタイミングではあるので、当初は少し抵抗もあった。

だが、そのブームのおかげで、現地では期間限定の展示館もあるというメリットもあるわけで。

なので、この際そのブームを利用して、上田に行くきっかけにすることにした。

 

 

 ↑ 上田駅。しっかり六文銭が。ちなみに町の中のいたるところで六文銭は見かけた。

 

東京駅で新幹線に乗れば、上田はすぐだ。1時間半くらいで着いてしまう。

さすがに新幹線が停まる駅前の上田の町は開けており、それなりに高いビルも立ち並ぶ。

ただ、町自体は周りを山々で囲まれている。

駅前の広場みたいな場所には、真田幸村の銅像があり、そのすぐ近くには大きな水車があり、水車の前のスペースでは地元のロックバンドが路上ライブをやっていた。

 

 

この旅行の1泊目は、かねてから行きたかった宿を予約してあった。

その宿は「岩屋館」という。

もしもこの宿がとれなかったら、今回の上田旅行は延期になっていたと思う。

この宿は、上田駅からバスに乗って、角間渓谷と呼ばれる山奥に行った所にある。

だが、上田駅に着いたのが午前10時頃だったので、チェックインまで時間があった。

なので、まずは上田の町を歩いてみることにした。

町のあちこちには、真田十勇士のモニュメントを散りばめて設置してあるというので、せっかくだから上田の町散策を兼ねて、その十体のモニュメントを巡りながら町を歩くことにした。

ちなみに、上田で初めて真田十勇士のモニュメント巡りをする方は、モニュメントがそれぞれどこにあるのか記されているマップを観光案内所などで入手して、それを見ながら散策するといい。

 

まずは駅のすぐ近くにある「筧十蔵」のモニュメントに行き、その後「穴山小助」をはじめ、町のあちこちに散らばる真田十勇士モニュメントを探して歩いた。

モニュメントの近くにはスタンプもあり、スタンプラリーみたいになっていた。

この真田十勇士のモニュメントは、デザイン的にはいかにもアニメチックなデフォルメのデザイン。私の本音的には、もう少し大人びたデザインであれば、もっとよかったかな。

 

↑ 筧十蔵。幸村に仕えた小姓「筧十兵衛」がモデルとされている。鉄砲の名手で、幸村の影武者の1人とも言われている。

 

↑ 穴山小助。槍の名手。幸村によく似ていたため、幸村の影武者としても活躍したという。武田信玄の配下の名将「穴山信君」の甥とされている。 

 

↑ 三好伊三入道。三好晴海入道の弟。細川晴元の家臣・三好政長の子である三好政勝がモデルとされている。兄同様に、怪力の豪傑。

 

 

↑ 海野六郎。幸村の古参の側近。参謀的存在。同名の人物が真田幸村配下にいたといわれている。

 

↑ 由利鎌之助。同名の人物が真田の家臣にいたとされる。鎖鎌や槍の名手。

 

 

↑ 三好晴海入道。三好伊三入道の兄。細川晴元の家臣・三好政康がモデルとされている。怪力無双の豪傑で、佐助・才蔵の次に知名度と人気がある。ちなみに、大正時代の立川文庫で確立された「真田十勇士」では、真田幸村が三蔵法師、佐助が孫悟空、才蔵が沙 悟浄、そしてこの晴海入道は猪八戒がモデルとされたようだ。

 

 

↑ 根津甚八。幸村の家臣・根津甚八郎貞盛がモデルとされている。真田十勇士では元・海賊の頭領という設定。幸村の影武者として活躍。ちなみに、俳優の根津甚八さんの芸名の元にもなっている。

 

 

↑ 望月六郎。真田の配下にいた同名の人物がモデルか。真田十勇士の中では、諜報や火術を得意とする忍者として描かれている。ちなみに望月家は、甲賀の上忍の家柄。

 

 

 

↑ 猿飛佐助。架空の甲賀忍者の天才とされている。モデルは、伊賀の下忍・上月佐助(小猿という異名をとった)とする説や、盗賊集団の頭領・猿飛仁助がモデルという説もある。戸澤白雲斎に師事し、上田の山奥の角間渓谷で忍術修行をした。主役作品、多し。

 

 

↑ 霧隠才蔵。架空の人物とされているが、古い文献に真田配下の忍者として記されている霧隠鹿右衛門がモデルともされている。設定は伊賀の天才忍者で、伊賀の上忍・百々地三太夫に忍術を学んだとされており、兄弟弟子に石川五右衛門がいる。佐助とはライバルであり盟友でもある。上田の千古の滝で忍術修行に励んだ。佐助同様、主役作品が多数。

 

 

 

モニュメントを探して町を歩くと、色んなものを町で見かけた。

三好晴海入道のモニュメントの近くには「運の石」があったり。

↑ 運の石。この石をなでると、運気が上がるとか。

 

途中で真田十勇士ガーデンプレイスなるイベント館(?)もあったり。

↑ 真田十勇士ガーデンプレイス。期間限定イベント館かもしれない。中には十勇士のグッズが売られていた。

 

猿飛佐助のモニュメントは池波正太郎真田太平記館の前にあったり。

↑ 池波正太郎真田太平記館。ちょっと時間をつぶすのに、良い。

 

 

そして霧隠才蔵のモニュメントは、柳町旧街道の入り口にあったり。

↑ 柳町旧街道の入り口。この看板のすぐそばに、才蔵のモニュメントはあった。

 

せっかくなので、どれも少しずつ立ち寄ってみた。

 

 

柳町旧街道は、古いたたずまいで、風情のある通りだが、思ったほど店は多くなかったし、道自体案外短かったかな。

十勇士のモニュメントを巡り、最後に霧隠才蔵のモニュメントのところに行ったら、そこが柳町旧街道の入り口だった・・という感じで、柳町旧街道には、いつのまにか着いてしまった・・という印象。

 

↑ 町で見かけた柳町の案内板。

 

↑ 柳町旧街道  飛騨高山を思い起こさせる、古いたたずまいの道。風情がある。ただし、長さはあまりない。

 

その旧街道にあるそば屋さんで昼飯を食べたのだが、いやはや混んでた。割と有名な店らしく、ひっきりなしに客が入れかわっていた。

 

 

上田の町のメイン観光スポットはなんといっても上田城跡公園だが、ここは最終日に行くことにした。

十勇士モニュメント巡りや、運の石、十勇士ガーデンプレイス、池波正太郎真田太平記館、柳町旧街道などをひととおり巡った後、私は上田駅前に戻り、宿のある角間渓谷に向かうバスを待つことにした。

バスが来るまで・・・あと少しだ。

 

 

 ↑ 上田駅前のロータリー。バス停の近く。さすがに東京より寒かった。

 

 

 

なお、トップ写真は、上田駅前広場にある真田幸村の銅像。やはり町のシンボルって印象。


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