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埋蔵金。
なんてワクワクさせてくれる存在だろう。
この本は、日本全国に散らばる埋蔵金伝説を紹介した本である。
この本を読んでると、実にたくさんの埋蔵金伝説が日本各地に伝わっていることがわかる。
埋蔵金なるものが実際に見つかった・・という報告は、ほとんどない。ならば、埋蔵金なんてものは、ないのだろうか?
いや、そんなことはない。確かに、めったにないことではあるだろうが、実際に見つかってもそれが公表されないだけ・・・という説が、この本を読むと少しリアルに思えてもくる。
なにしろ、埋蔵金が見つかって、それが公表されると、その所有権の大半はその土地の地主のものになったり、もしくは国のものになってしまうから。
発掘した人の取り分は、ごくわずかだそうである。
発掘する人は、歳月や体力や費用をかけて埋蔵金探索をしている。
高額な費用や時間をかけて埋蔵金を見つけても、その大半が自分のものにならないのでは、正直に公表したりはしないだろう・・・と考えたほうが現実的な気がする。
まあ、それが良いか悪いかではなく。
埋蔵金として有名なのは、かつて糸井さんがテレビ局のプロジェクトで大掛かりな規模で探索した赤城山の徳川埋蔵金だろう。
一般民間人ではとてもできないような規模で探索されたのは、特番で放送されたから、ご記憶の方も多いのではないだろうか。
しかし・・あれほど大型規模の発掘作業だったにもかかわらず、けっきょく見つからなかった。
それを見て「やはり埋蔵金なんて、ただのデマで、実際にはそんなものは無い」と思った方は多いだろう。
まあ、赤城山の徳川埋蔵金の存在が本当か嘘かはとにかく、中には人知れず見つかっている埋蔵金もあるに違いない・・私はずっとそう思ってきたし、この本を読んでその思いはまずます強まった。
この本では、普段私が読むような歴史書には載ってなかった「歴史エピソード」を知ることができた。
私が一番印象的だったのは、「帰雲山」とその城主「内ヶ島氏理(うちがしまうじさと)」の内ヶ島家の伝説である。
帰雲城は、今では世界遺産としても有名な白川郷の近辺にあったとされる城である。
それなりに栄華もあったのであろうが、なんと!
天正13年11月29日(1586年1月18日)に起こった天正大地震により、帰雲山が大規模な山崩れを起こし、その山崩れで、城も集落もすべて埋没してしまい、壊滅してしまったのだという!
城も、人も、集落も。もちろん、内ヶ島家も全滅。
なんとショッキングなことであろう。
戦ではなく、大地震で滅亡するとは・・・。
ただの伝説と思いきや、この大地震は文献にも残されているし、なにより今も現存する帰雲山の姿を見れば、それが嘘ではなかったことは明らかだ。
なにせ、その帰雲山、山崩れによって削りとられた姿を、今もあらわに残しているのだ。
痛々しい姿で・・。
また、その山崩れによって亡くなった人たちの慰霊碑もたっている。
天正大地震の規模はマグニチュード8~8.1だったらしい。
まさに大地震だ。そりゃ、山崩れが起きてもおかしくない・・。
で、帰雲城・内ヶ島家の埋蔵金は、その地震によって内ヶ島家一族と共に地下にうずもれてしまったお宝のことをさすそうだ。
とっさのことだっただろうし、お宝類をどこかに運んでる暇などなかったはずだから、内ヶ島家のお宝がそのまま地中に埋もれている可能性は高い。
だが、この帰雲城、今もって、その城のあった場所が特定されていない。
城の場所が特定されてないのだから、その埋蔵金も見つかっていないのは、仕方ないことだろう・・。
内ヶ島家は、決して有名な大名じゃない。
これまであれこれ歴史関係の本を読んできたが、内ヶ島家に触れた記事はなかった。
この埋蔵金の本を読んだからこそ知った大名であり、事件だ。
こんな感じで、普通の歴史本ではあまり触れられない出来事なども知ることができるし、なにより埋蔵金というものには、どうもかきたてられるものがある。
ロマンもある。
その意味では、楽しく、また興味深い一冊だ。
ところで・・・
埋蔵金なるものは、やはり、全部とは言わないけれど大半が発見者のものになるほうが、自然な気はする。
もちろん、地主や国にもある程度の還元はあってもいいが、大半が自分のものにならないんじゃ、そりゃ発見者は公表したがらないだろうなあ。
そんな事情で、すでに掘り起こされてるお宝が、世間に知られていないケースはけっこうあるはず・・・と思えてならない。
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