タモリさんと言えば、かつて国民的バラエティ番組と言われた「笑っていいとも」という番組の進行役を長年担当した人で、お笑い界の頂点にいる人物の一人であることは、皆さんもご存知の通り。
そんな大物タモリさんが世に出るきっかけになったストーリーは、今では伝説化しているほど、有名だ。
その伝説的な逸話を、あらためて順番に体系だてて聞いてみようと思った。
まず先日ユーチューブで、武田鉄矢さんのラジオ番組のタモリさんが世に出るきっかけになったストーリーを紹介している回を改めて聴き、さらに、そのくだりをタモリさん自身が語っている古いテレビ番組の映像をもユーチューブで続けて観てみた。
更に、その後、赤塚不二夫さんの葬儀でのタモリさんの弔辞の映像を見て、私は改めて感動してしまった。
そして・・あらためてタモリさんの凄さと面白さを今更のように実感した。
本当に人の人生というものは、連続もののストーリー。
断片だけでは、やはり断片的にしかわからないものだ。
やはりある程度であれ、体系だてて観たり聞いたりしてみないと。
タモリさんが世に出るきっかけになった逸話は、ご存知の方も多いだろうし、ここでは書かない。
もし知らない方がいらっしゃったら、騙されたと思って、そのくだりを何らかの方法で知ってもらいたい。
運命の神様が粋なストーリー作りをしたとしか思えない。
前述の通り、武田鉄矢さんのラジオ番組のタモリさんにまつわる回を聴き、その後にタモリさん自身が語る回想トークを聴き、そして赤塚さんの葬儀でのタモリさんの弔辞を聞いてみてほしい。見事に繋がるのだ。
赤塚さんに対するタモリさんの弔辞には、感動するのではないだろうか。
もともと私はタモリさんのマニアックな芸は好きだったから、タモリさんのことも好きだった。
だが、上記のくだりを体系だてて改めて聞いてみて、ますます好きになった。
笑っていいとも・・で、2泊3日以上の旅行が長年できなかったタモリさんは、今「ブラタモリ」で日本のあちこちに行き、悠々自適に仕事を楽しんでらっしゃる気がする。
マニアックな視点や、専門的な知識が、さりげなく出てきて、面白い。
無理に「お笑い」の方向に持っていっていない点が自然だが、長年培ってきた「お笑い」の要素もチラッチラッと顔を見せ、絶妙。
ますます良い感じになってらっしゃる。
それもこれも・・・あの伝説の・・・「タモリが世に出るきっかけ」の逸話があったからなんだね。しかも、その時のタモリさんの面白さが「本物」であったことも大きい。
あの夜の、あの場所で、タモリさんがああいう行動に出たことが、今に繋がっているのだ。
ところで・・タモリさんが世に出るきっかけになった、あのストーリーを、一度ドラマ化してくれないかな・・。
運命のいたずらとしか思えない、その後の展開も交えて。
タモリさんは赤塚さんへの弔辞で、「僕もまた、あなたの作品の一部です」という名せりふを口にされたが、タモリさんが世に出た「流れ」は運命の神様の「作品の一部」で、しかもそれは大傑作だったとしか思えない。
運命の神様・・いや、あるいは「お笑いの神様」の仕業だったのかもしれないね。
そして・・ひねりが効いてるのは、その「運命の神様」もしくは「お笑いの神様」に、何気に「ジャズの神様」も手を貸したという点かもしれない。
そのへんが、一味変わってて、粋な気もする。
でもそれ以上に二人は、不思議と他人には思えない。タモさんの生き様と人間観察の凄みは陽水さんにも通じるのがあり、それぞれの芸や歌に生かされてる。
ずっと昔、タモリと陽水のトーク番組があったが、ホント面白かった。博多弁丸出しで、”笑っていい友”が如何に手を抜いてるか。
タモさんは東京では全てを出しきれてない。タケシに遠慮してるのか、誰も見てない所で一対一のトークをさせたら、世界のたけしもタジタジだろうか。
本当のタモさんはもっと凄い人なんです。それと、九州でも特に福岡は、韓国や中国の影響を強く受けてると思う。福岡の芸人が少し変わってるのはそのせいかも。
実は私、今年の5月に、博多のライブ喫茶「照和」に実際に行きました。
そう、ブレイク前の陽水さんが出演していた伝説の店です。
で、その店のそばにあったフルーツパーラーにタモリさんが働いていたんですよね。
もちろん、まだ無名時代のタモリさんが。
店の人の話によると、タモリさんもたまに「ひやかし」みたいな感じで顔を出していたとか。
陽水さんとタモリさんが仲が良いのは、そのへんの共有による繋がりも大きいのではないかと思えます。
>笑っていい友”が如何に手を抜いてるか。
なんでも、タモリさんは、テンションが高い人は嫌いらしいですよね。
普通タレントや芸人は、テレビに出る時は、テンションをあげて出演するものだと思うんですが、タモリさんには、それがない。
でも、そんな点が、タモリさんの芸風につながっていたように思えます。
どこかクールなんです。
でも、その芸は、独自のものがあり、実に面白い。
偶然タモリさんのアドリブお笑い芸を見たジャスミュージシャンが、タモリさんのことを「九州の天才」と評して、彼らがお金を出し合ってタモリさんを東京に呼び寄せだ。
そして東京に来たタモリさんを赤塚不二夫さんが面倒見た・・というのは、彼らに人を見抜く才能があったからでしょうね。
で、タモリさんを見出した人の目に狂いはなかった・・と。
私はタモリさんはこれまでも十分に凄かったと思っていますよ。
今はタモリさんは、人生をすごく楽しんでらっしゃる気がします。
それは、これまで彼が頑張ってきた「御褒美」なんでしょうね。
「人の人生というものは、連続もののストーリー。
断片だけでは、断片しかわからないものだ」
深く共感します。
即ち、その人物における「本質」ということですね。
「上っ面だけでなく、本質を極めよ」
あらゆることにおいても教訓となりますね。
タモリさんが、赤塚不二夫先生の死に対して、どのような弔辞を述べられたか、全く知らないのですが…(笑)
調べてみます。
タモリさんの弔辞は、本当に心がこもっており、感動的です。
決してキレイゴトやかっこいい言葉にはなってなく、それだけに胸をうちます。
タモリさんと赤塚不二夫さんの関係を知ってると、「僕もまた、あなたの作品の一部です」という言葉は、胸にせまります。
ぜひ、見てみてください。
まさに名言だと思います!
こんなに胸をうつ弔辞は、なかなかないですよ。
一瞬声をつまらせて「ありがとうございました…」と言ったのですが、
まさに万感を込めてという感じでした。
−こんなに胸を打つ弔辞は、なかなかないですよ−
同感です。
タモリさんの番組としては「今夜は最高」が大好きでした。
とりわけ映画のパロディが秀逸でした。
今でも憶えてるのは中村嘉葎雄さんがゲストの回の黒澤作品の「用心棒」。
もう鳥肌が立つくらいの出来でした。
それに「ミュージカルが嫌いだ!」とか言いつつ楽しそうにやられてましたね。
まさに万感の思いでしたね。
私はやはりタモリ倶楽部の、空耳アワーが好きです。
とはいえ、その放送時間帯は私は酔ってることが多く、寝落ちしてることが最近は多くなりました。
そういや、タモリさんは本当はゴルフも嫌いだったはずですよね(笑)。
ボケて大騒ぎしてるたけしさんとさんまさんを尻目にタモリさん一人
淡々とコースを回ってましたね。
あの番組、結構3人の素の部分が見えて面白かったですね。
ミュージカルは悲惨な場面でも唐突に歌い踊り始める不条理さが嫌だって言ってました。