時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

グレン・フライの死を悼む

2016年01月20日 | 音楽全般

 デビッド・ボウイの訃報からほどなくして、今度はグレン・フライの訃報まで飛びこんできた。

これは、正直、こたえた・・・。参った。

 

もう・・いやだ。こんなニュース。いつかこういう日が誰にも訪れることは分かっていても、辛いし、寂しい。まだ早いだろう?いくらなんでも。そりゃないよ。

 

グレンはご存知のように、アメリカを代表するロックバンド、イーグルスのフロントマン。ドン・ヘンリーと並んでグレンはイーグルスの顔であり、核であった。

イーグルスを結成したのはグレンだし、リーダーも彼だった。

 

イーグルスは私にとっては特別なバンドのひとつであり、格別な想いがあり、「心のバンド」であり続けてきた。

私にとっては、スタンダードな存在で、基準みたいなバンドだった。

イーグルスのアルバムは、特に70年代は聴きまくっていた。

歩いている時はウォークマンで。ドライブする時にも、自分で作ったオリジナルイーグルスベストのカセットをかけていた。

書籍も買って読んでいた。

アルバムを全部集めていたのはもちろん、シングルだけでしか出ていない曲は、シングルで買った。

部屋にはイーグルスの大きなポスターを何枚も貼っていたことがあった。しかもその時期は長かった。

初来日の時は、後輩と一緒に徹夜で並んでチケットを買った。

その後、来日公演のたびに私は出かけていった。売店では、イーグルスのトレーナーを買うのが常だった。

私には珍しく、ギターのコピーをしたりもした。

 

受けた影響も絶大。

私にとっては、バンドのあり方の理想であった。ビートルズと並んで。それほどの存在であった。

メンバー全員がボーカル曲があり、メンバー全員にヒット曲があり、メンバー全員が曲を作れる。演奏はもちろん、コーラスにも参加する。

ボーカリストを1人に固定しない。

そんな点が、私にとっての理想のバンド形態であった。

ビートルズがそうであったように。ビーチボーイズしかり。

また、イーグルスはアコギとエレキの融合もうまかった。サウンドへのアコギの取り入れ方は、私にとって決定的だった。

 

イーグルスは、音楽史を塗り替えるような衝撃性や革新性のあるバンドではなかった・・と私は思っている。

だが、最初から完成度は高かった。なにせ、セカンドアルバムですでに「デスペラード」みたいなコンセプトアルバムを作ってみせたバンドだ。

彼らの魅力は、ともかく楽曲が素晴らしかったこと。とびきりだった。

 

ファーストアルバムでは、「哀しみの我ら」で、そのムードに癒され、「テイクイットイージー」での軽やかさや、「魔女のささやき」のミステリアスなムードに魅了された。

 

セカンドアルバム「ならず者」では「ドゥーリンドルトン」のハモニカや「サタデーナイト」の間奏に癒され、「デスペラード」では、慰められた。「テキーラサンライズ」は私はライブで一度カバーしたこともある。

 

サードアルバム「オンザボーダー」では「ジェームスディーン」のドライブ感や構成にワクワクし、「オールド55」のカバーセンスに脱帽し、「我が愛の至上」ではそのコーラスワークに聴きほれるしかなかった。

 

「呪われた夜」のアルバムでは、「呪われた夜」のアレンジの完璧さにびっくりし、「テイクイットトゥザリミット」ののびやかなメロディに圧倒され、「ハリウッドワルツ」「いつわりの瞳」「アフターザスリルイズゴーン」のメロディにも惚れ込んだ。

 

「ホテルカリフォルニア」では、まずそのタイトル曲のメロディやリードギターにしびれ、アルバム全体の構成の見事さはとことん勉強になり、極めつけ「ラストリゾート」では完全にうちのめされ、鳥肌がたち、ぐうの音も出なかった。そのジャケットと同じ写真を撮りたくて、ロスに行った時に、わざと夕方時に「ビバリーヒルズホテル」の前に行き、「ホテルカリフォルニア」のジャケット同様の写真を撮ったこともあった。

 

「ロングラン」では、「ロングラン」「ハートエイクトゥナイト」の2大ヒットに安定感を感じ、「言い出せなくて」にはしっとりとした新たな血を感じ、「ハリウッドよ永遠に」や「サッドカフェ」も好きだった。ただ、アルバム全体的にどことなく終焉感は感じたが、その感覚はその後的中してしまった。

 

その後しばらく活動休止期間があったイーグルス。

再結成してから「ヘルフリーゼズオーバー」では安定感のある再編ぶりを見せ、「ロングロードアウトオブエデン」では、タイトル曲のライブ映えには感嘆し、メンバーのソロワークの成果が結実している出来になってると思った。

 

 

イーグルスは、特にドンやグレンには楽曲の歌い方に独特の節回しがあり、その節回しには私は絶大な影響を受けた。

意識して、その節回しをマネしはじめたが、いつしかそれは私に染み込んで、自分の癖みたいになってしまったこともある。今では若干薄らいだかもしれないけど。

 

その節回しは、ウエストコーストミュージシャン特有の癖があり、それはイーグルス以外のウエストコーストロックのシンガーにもちょくちょく見受けられた。

例えばジャクソン・ブラウンなどは、その節回しは特に顕著で、時にはイーグルス以上にその節回しを多用していた。

そういう節回しを自分もすれば、少しでも近づけるように錯覚した私は、進んでその癖をマネしていたのだ。

時には、その節回しをメインにした自作曲を作ったこともあった。

 

グレンも、例えば「テイクイットイージー」では、その節回しは顕著だった。

その節回しは、私にとってイーグルスから受けた影響の一つだった。

 

節回しひとつをとってもイーグルスからは影響を受けたぐらいだから、他にも影響を受けた要素はいくつもある。

例えばギターでのバッキングフレーズなどは、自分のバンド時代には何度か取り入れた。

 

他にもあるが、私にとってのイーグルスは、なんといってもその曲のメロディやアレンジの魅力が大きかった。

 

ほんと・・好きな曲は多かった。多すぎるぐらい。

 

グレンに関して言えば、ソロワークでのヒット曲も好きだった。

特に「ユービロングトゥザシティ」や「恋人(THE ONE YOU LOVE )」などは大好きで、それらの曲からインスピレーションを受けて作った自作曲もあった。

「ユービロングトゥザシティ」では、バックのリフが。

「恋人」では、その全体的な曲調が。

 

ほんと・・色んなヒントを彼らから貰った。

イーグルスの2枚看板として、ヘンリーの声質が翳りのあるものだとしたら、グレンの声質は明るい感じで、だからこそテイクイットイージーみたいな曲はピッタリだった。

ヘンリーとグレンの対比が私は好きだった。

 

また、グレンに関しては音楽以外の面でも印象に残っているものがある。

それは彼が大のベースボール好きで、特に彼はドジャースのファンだった。

ドジャースといえば、野茂投手が最初に入団したメジャーリーグチーム。

大のドジャースファンだったグレン、当然のことながら野茂投手のこともお気に入りだったようで、自身のコンサートに野茂投手を招待したりしていた。

招待に応じてコンサートを見に来た野茂投手をステージに上げて、客に紹介してたんじゃなかったかな、確か。

そういや、70年代当時、イーグルスは独自の草野球チームを持っていて、試合に興じる姿が音楽雑誌にも掲載されていたっけ。

 

 

70年代のウエストコーストロックブームの波をもろに直撃にくらった私。

私には珍しいくらい、ひとつのジャンルにこだわって聴いていた時期だった。

アコギとエレキの融合、さわやかなコーラス、親しみやすいメロディ。時には軽快、時には大きな広がりがあった。

ウエストコーストロックはあれこれ聴きまくったが、その中でも頂点にいたのが、グレンのいたイーグルスであった。イーグルスはインテリジェンスも陰りも併せ持っていた。そんな点も、深みとして魅力だった。

まぎれもなく、私が多感な時期を過ごした70年代を代表するバンドの一つであり、私の憧れであった。

ということは、チープな言い方をすれば、私の青春そのもののバンドの一つ・・ということになる。

彼らの曲には、私は多数の思い出が染み込んでいる。曲を聞けば、ぞれぞれの曲に関係する自分の記憶がよみがえってくる。リアルタイムで聴いてた70年代の自分の記憶の断片たちが。

なので、そんなイーグルスのリーダーであったグレンの訃報は、私にとっては、自分の過ごした多感な時期の一部がなくなってしまったかのような喪失感がある。

 

私のもっとも好きなロックバンドの位置に、長くいたイーグルス。

大好きだった・・としか言えないバンド。

ビートルズやビーチボーイズも私の大好きなバンドだが、そのピークの時期である60年代を私はリアルタイム体験はできなかった。

イーグルスはそのピークの時期を私はリアルタイムで体験し、熱中し、ついていき、付き合っていたのだ。ツェッペリンと共に。ピーク時に新作を待つ・・という幸運に恵まれていたのだ。

まさに「おらが時代のリアルタイムスーパーバンド」だった。

 

もしかしたら私は、世代的にリアルタイム体験できなかった「60年代のビートルズのレノンとマッカートニーのパートナーシップ」を、私は70年代において、イーグルスという存在のグレンとヘンリーのコンビに重ね合わせて見ていたのかもしれない。

そんな気もしている。だから特別に感じていたのだろう。

レノン・マッカートニーのパートナーシップはリアルタイム体験できなかったが、グレンとヘンリーのパートナーシップはリアルタイム体験できた・・・そう思っていた。

 

そんなバンドの核であったグレン・フライの死。

これは・・辛い。虚脱感すら感じてしまう。

 

まったくの赤の他人の外国人ミュージシャンの死に、涙がこらえきれなかったのは・・・もしかしたらジョン・レノン以来かもしれない・・。

それほどイーグルスは私にとって大きな存在だったことになる。

 

普段彼に関する情報がなくても、いつも私の心の中に、長年会っていない同窓生のように「昔、よくつるんで一緒に遊んだ奴」・・そんな感覚で居続けた存在。

だから、元気でいてほしかった。まだまだ。

 

デスペラードの切ないメロディラインを、今は・・・聴けない。切なくなりすぎるから。

 

今は・・せめて、ヘンリー。元気でいてほしい。頼むから。あなたまでいなくなってしまったら・・。

くれぐれも、体調に気をつけてほしい。

 

今はただ、グレン・フライに・・・・合掌・・・・。

 

 https://www.youtube.com/watch?v=qmV9vk2950o


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