長い曲・・というテーマは、このブログでかつてネタにしたことがあった。
だが、再びここで同じテーマで書いてみたい。けっこう内容はかぶってしまう部分は多いと思うが、アマチュアシンガーで長い自作曲をライブでセットリストから外す人は多いと思うから。
本当は「長い自作曲」をセットリストに入れたくても、リスナーが途中で飽きてきてライブが間のびしそうなリスクを危惧したり、ライブの「持ち時間」の制約ゆえに、つい長い曲は外してしまう・・・そんな場合はあるはず。
長い曲・・・というと、リスナーとしてはつい敬遠したくなる人はけっこういるのではないか。
だが、私は「長い曲」というのは決して嫌いではない。
もちろん、好きになれない「長い曲」もあるが、好きになる「長い曲」はけっこうある。
ロックでは、例えばプログレロックなどには長い曲は多かった。
中にはLPレコードの時代に、片面がまるまる1曲になってることは、ままあった。
時には、A面とB面を足して1曲・・・つまりアルバム収録曲が1曲などというケースもあった。LPで収録曲が1曲か2曲・・ということになると、当然その曲は長い。
だがプログレロックの場合、長い曲とはいっても、曲の展開は次々に変化していったりするので、聴いててあまり長い曲という印象を持たないことは多かった。
プログレではサウンドが主体だったりするので、それも可能だったのだろう。
一方で、ボーカル曲では?
ボーカル曲でも長い曲というのは、しっかりあった。
その分かりやすい例が、ボブ・ディランであった。ディランはシンガーだし、長い曲もしっかりボーカル曲である。
ディランの場合、長い曲というのは、けっこう多い。7~8分なんてのはザラで、10分を超える曲もけっこうある。
しかもディランの場合は、プログレのようにサウンドやメロディがどんどん変化していく・・・というタイプではなく、むしろその逆。
一定のメロディパターンを延々と繰り返し、長い長い歌詞を自在に歌いあげていくスタイル。
ディランの場合、英語である。
英語で長い長い歌詞を延々と歌われる曲を日本人が聴いて感動するのか?とは、ディランをあまり聴かない人から聞かれたことは私は何度もある。
だが、少なくても私は魅せられたし、多大な影響も受けた。
ただし、歌詞の方は訳詞を読みながらではあったが。
訳詞を読みながら、その歌が大体どんな内容の歌詞を歌っているのかを追いながら、後は耳でディランの歌い方やサウンドを追って、自分なりのイメージを展開させて浸っていったのだ。
ディランの長い曲には、実は傑作が多い。
しかも、その長さもあって「大作」でもある。
今思いつくディランの「長い曲の傑作」を少しあげてみよう。どれも私のお気に入り曲だ。
「廃墟の街」
「ローランドの悲しい目の貴婦人」
「ハリケーン」
「リリー、ローズマリーとハートのジャック」
「ブラウンビルズガール」
「ハイランド」
「テンペスト」
シングルヒットした、ディランの代表曲の一つ「ライクアローリングストーン」も、十分に長い。
もちろん、上記以外にも「長い曲の傑作」は多数ある。
特に「廃墟の街」のオリジナルバージョンなどは、私が一番好きなディランソングである。
10分以上の長い曲だが、聞いていると、その歌詞の世界観や、サウンドの雰囲気にどんどん吸い込まれていき、トリップしてしまい、いつまでも聴いていたくなる・・・そんな曲だ。
「ブラウンビルズガール」は、ディランがスランプだった80年代の曲だったが、スランプだった時代にもディランはそんな長い傑作曲を残せていたことになる。この曲もまた、浸りながら聴き進むうちに、引き込まれてしまう。感動の大作だ。
聴き続けていると、いつまでも聴いていたくなる・・・それが私の思う「長い曲の傑作」だ。
ディランにはそういう曲が多いため、「長い曲の傑作」という路線は私の中で「好きなジャンル」として刷り込まれ、しっかり確立されている感じだ。
日本のシンガーの曲でも、例えば吉田拓郎さんの「イメージの詩」は、私にとって一番好きな「拓郎ソング」だし、他にも佐渡山豊さんの「ドゥチュイムニィ」もそう。このへんもまた「長い曲の傑作」であり、聴き続けても飽きがこなくて、むしろ逆にどんどん吸い込まれていき、私にとっていつまでも聴いていたくなる曲だ。
ディランの一連の「長い曲の傑作」を聴いて、私は「こんな長い曲も作っていいんだ」とディランから教えてもらった気がしている。
そのせいか、私も長い曲をたまに作るようになった。それは、あきらかにディランの影響だと言ってもいいと思う。
私の作った歌の中では、例えば・・・私の自主制作アルバム「空を見ていた。」収録の「母校が消えた日(昭和の子守り唄)」などは、けっこう長い曲だ。
他にも・・・このブログのタイトルになっている「時間の外」は、元々は私が十代の頃に作った長い曲のタイトルだ。歌詞が15番前後(だったと思う)の長さのある曲で、おそらく私が作った曲の中ではもっとも長い。
あと、最近歌詞を復刻した「あの町を流れた信濃川」も歌詞が13番まである長い自作曲。
ギターを覚え、曲を乱作し始めた十代の頃から、しばしば長い曲を私は作ってきたので、上記の例はほんの一部でしかない。
他にも数多くある。
もっとも、それが「聴いてて吸い込まれて、いつまでも聴いていたくなる曲」の域まで達しているかどうかは疑問ではあるが(笑)。単にダラダラ長いだけかもしれない(笑)。
ただ、「長い曲」を作る時は、いつもそんな曲が作りたい・・・と思って作っているのは確かだなあ・・・。
そんな事情もあるので、アマチュアの作った長い曲であっても、私は「長い曲」に対する敬遠感はない。
むしろ、プロ・アマ問わず、「聴いてて吸い込まれて、いつまでも聴いていたくなる、長い曲の傑作」に出会いたい・・という気持ちの方が強いかもしれない。
歌詞が延々と続くそんな長い曲を作る人は、少なくても今は珍しいと思うから、なおさら。
もちろん、「長い曲」は世の中にままある。ただ、「聴いてて吸い込まれて、いつまでも聴いていたくなる、長い曲の傑作」はめったにないだけに、たまに出会えると嬉しい。そんなスタンスで聴いてるつもりだ。
特にそれがボーカル曲である場合、歌詞も長くなるはず。
歌詞を書く場合、ありがちで、なおかつやっかいなのは、インスピレーションが途中で死んでしまうこと。
こうなると、もう、いったん作業を中断するか、完成をあきらめた方がいい場合もある。
もしも完成させるなら、かなりの根気が必要になるし、苦労することになる。
まあ、それは、短い曲でも当てはまることなのだが、長い曲となると、なおさら。
だからこそ、完成した時、達成感も高いし、余計に嬉しい。
その嬉しさや達成感があるから、懲りずに続けていられるのだと思う。
私の知らないアマチュアの曲に、そんな曲・・どこかにないかなあ。
あればそういう曲に出会いたいし、聴いてみたい。
なので、私が見にいくライブでは、長い自作曲を持ってる人は、遠慮なく披露してもらいたいとは思っている。ただし、その曲の作者として出来上がりに納得している作品を。
ただ単に長いだけ・・・というのは、さすがに飽きてくるので(笑)。
当時はあまり私はLPを持ってなくて、ヘイジュードのシングルを聴く時は、LPを聴くのに近い感覚がありました。
ライブで長い曲を歌う時は、予告したほうが良いですか?
もっとも、最近は長い曲ははずすことが多いですが(笑)。
長い曲を作るときは、テーマによっては歌詞を書き始めたら次々と歌詞が浮かんできて、気づいたら長い曲になっていたというパターンも多いです。
逆に私は、短い曲を作るときに、短い曲を作ろうと意識して作ることがけっこうあります。
私にとって、初めて聴いた長い楽曲は、ビートルズ「ヘイ・ジュード」でした。
中学2年生の頃だったと思いますが、大変感動した思い出があります。
長い楽曲作りには、ミュージシャンはプロフェッショナルであれ、アマチュアであれ、全身全霊を込めるでしょうね。
「演奏時間が長いだけで、つまらない」と思われたら、短い楽曲でさえ聴いてくれなくなる可能性もありますから。
アマチュアなら、コンサートで演奏する場合は、「長篇を3曲します」と予告出しておいた方が良いですね(笑)
「長い楽曲を作るからには、自信作・傑作にしよう!」と決意込めて作られますか?
それとも、作っているうちに勢いがついて、長くなった楽曲もありますよね?