時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

お夏清十郎

2007年12月25日 | レビュー(テレビ、ゲーム、本、映画、その他)
グルッポ・テアトロという劇団(?)の「お夏清十郎」という芝居を観た。
原作は井原西鶴。古典戯曲の名作だ。

この悲しい恋物語は、実際にあった事件を脚色したものだ。
で、名作の名をほしいままにし、たびたび演じられてきて、今に伝わっている。


実は・・古典でありながら、恥ずかしいことに私はストーリーを知らなかった。
だから、純粋に「新作」として観ることができた。
新作として見た場合の、この作品のインパクトは相当なものがあった。


映画にしろ、芝居にしろ、観ていると出だしは辛いことがある。
それは、登場人物、人物同士の相関関係、そして設定などをまず把握しなきゃいけないからだ。
それはこの芝居でもそうだった。

でも、だんだん芝居の内容がつかめてくると、面白い作品ならどんどん入ってゆける。この芝居もそうだった。

特に、ヒロイン「お夏」がクライマックスで、刑場の露と消えた恋しい清十郎を思って半狂乱になって絶叫を続けるシーンはこの作品のハイライトシーンだ。
鬼気迫る演技だった。
鳥肌ものだった。


よく芝居で、観客が役者に向かって「イヨッ!日本一!」と声をかけたりするものだが、声をかけたくなる気持ちがよく分かった。
役者の魂のこもった熱演ぶりに、何か応えたくなるのだ。
このクライマックスでは、私もそう声をかけたくなった。

ウルウルきてしまったが、ここで泣いたら思うツボだと思い(笑)、必死で私は涙を堪えた。まったく私は一筋縄ではいかない「困った客」かもしれない。


でも、実にいい芝居だった。
心に残った。
名作古典戯曲なので、そのストーリーは申し分ない。
お夏の熱演ぶりは素晴らしい。
「お夏」を演じるのは、演じがいがあるだろうが、大変でもあるだろう。

公演がはじまる前、席に空席がそこそこあり、「大丈夫かな?」と心配したが、気付いてみれば8割くらいは席は埋まっていた。
劇団関係者じゃないのに、なぜか安堵感(笑)。


時を越えて後世にまで残っていく名作には、後世に残るだけの理由があるし、素晴らしさがある。


「 向かい通るは 清十郎じゃないか 」

お夏をかばい、友をもかばって、1人で罪を背負って死んでいった「いないはずの清十郎」の幻影に向かって、半狂乱になって こう絶叫するお夏の姿は切ない。

そして・・・女性として愛しい。


なんでも、実際の「お夏」と「清十郎」の墓は隣り合っているとか。
それを知って、少し自分の心が救われた。
せめて天国で・・結ばれていて欲しい。














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