時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

ある廃屋にて

2012年11月07日 | 

これは以前某所に旅した時に、現地で見つけた「ある廃屋」の写真である。

壁は抜け落ち、出入り口らしきものは最早区別がつかなくなっており、窓も屋根も壁らしきものは朽ち果てている。

人のぬくもりは皆無。

空しき姿。

 

取り壊されるまで、この廃屋は、疾風の日は突き通され、雨の日は中まで降りこまれ、雪の日は侵入され続けるのだろう。 

 

実は私、この廃屋が、かつてどう使われていた建物であるか、知っている。

そして、それは、私にとって記憶の片隅にずっと残っている、忘れられない場所である。

かつてここには作業員がいた。資材があった。

久しぶりにこの地を訪れて、この廃屋を見つけた時、なんともやりきれない思いを持ったものだった。

 

廃屋というと、ネガティブな捉え方をされることは多い。

例えば心霊スポットなどとも呼ばれたりもして。

この廃屋は、現地ではどう捉えられているのだろう。

 

そして

 

この建物は使われなくなって、廃屋になってからどれぐらい時間が経過してるのだろう。

取り壊されもせずに、放置されたまま、おそらく、かなりの時間が経過してるのではないか。

なぜなら・・・この外観だもの。

なぜ使われなくなったのか。

 

ここは、・・元の姿は実は民家ではない。

倉庫兼作業場みたいな場所であった。

ここに入っていた業者は、その後どうしたのであろうか。

 

この姿。

見ようによっては不気味に思う人もいるのかもしれないし、空しく思う人もいるのかもしれない。

もうこんな姿になってしまっては、関心を示す人もいないのかもしれない。

もし、この辺に子供たちがたくさんいて、夏休みなどは秘密基地みたいな使い方でもされてれば、せめてもの慰めではある。

 

この場所を久々に訪ねた私の捉え方は・・・・「空しい」であった。

ありがちな表現だが、心を隙間風が吹き抜けていくような感覚・・とでもいおうか。

 

この時、あたりは・・・静かであった。

ただただ、太陽に照らされたまま。

人の気配もなく。

かつて建物であった、この廃屋が、何かに使われそうな当てもなく。

 

 

皆さんは、廃屋を見ると、どんなことを思い、どんなことを感じるのであろうか・・。


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