これは以前某所に旅した時に、現地で見つけた「ある廃屋」の写真である。
壁は抜け落ち、出入り口らしきものは最早区別がつかなくなっており、窓も屋根も壁らしきものは朽ち果てている。
人のぬくもりは皆無。
空しき姿。
取り壊されるまで、この廃屋は、疾風の日は突き通され、雨の日は中まで降りこまれ、雪の日は侵入され続けるのだろう。
実は私、この廃屋が、かつてどう使われていた建物であるか、知っている。
そして、それは、私にとって記憶の片隅にずっと残っている、忘れられない場所である。
かつてここには作業員がいた。資材があった。
久しぶりにこの地を訪れて、この廃屋を見つけた時、なんともやりきれない思いを持ったものだった。
廃屋というと、ネガティブな捉え方をされることは多い。
例えば心霊スポットなどとも呼ばれたりもして。
この廃屋は、現地ではどう捉えられているのだろう。
そして
この建物は使われなくなって、廃屋になってからどれぐらい時間が経過してるのだろう。
取り壊されもせずに、放置されたまま、おそらく、かなりの時間が経過してるのではないか。
なぜなら・・・この外観だもの。
なぜ使われなくなったのか。
ここは、・・元の姿は実は民家ではない。
倉庫兼作業場みたいな場所であった。
ここに入っていた業者は、その後どうしたのであろうか。
この姿。
見ようによっては不気味に思う人もいるのかもしれないし、空しく思う人もいるのかもしれない。
もうこんな姿になってしまっては、関心を示す人もいないのかもしれない。
もし、この辺に子供たちがたくさんいて、夏休みなどは秘密基地みたいな使い方でもされてれば、せめてもの慰めではある。
この場所を久々に訪ねた私の捉え方は・・・・「空しい」であった。
ありがちな表現だが、心を隙間風が吹き抜けていくような感覚・・とでもいおうか。
この時、あたりは・・・静かであった。
ただただ、太陽に照らされたまま。
人の気配もなく。
かつて建物であった、この廃屋が、何かに使われそうな当てもなく。
皆さんは、廃屋を見ると、どんなことを思い、どんなことを感じるのであろうか・・。
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