中学の頃に描いてた自作オリジナル漫画では、けっこう自然風景を各コマにふんだんに描いた作品もあった。
その作品の物語の舞台は、どこかの田舎だった。場所は特定していなかったけど。
全体的に読むと、自然風景が多く、それはどれも私の妄想や想像による自然風景であった。実際に写真や映画やテレビや旅行で見たことがある風景ではなかった。
当時は頭に浮かぶ自然風景を、気ままに描いていたのだが、自分の漫画を読み返すうちに、それらの自然風景がいつの間にか自分の頭に深くインプットされることになった。
で、いつしか、それらの風景がそろっているような実際の地方がどこかにないものか・・などと思うようになった。
その作品の中で私が描いたいくつもの風景は、頭の中の架空のどこかの地方に「揃っている」ことになる。
そうなると、その架空の地方そのものに対する思いが、少しづつ膨らんでいくようになった。
あくまでも架空の地方であるにもかかわらず、その幻の地方はひとつの「世界」であり、絶えずその世界は私の頭の中に存在するようになっていった。
その影響は、私が作る歌にも現れた。漫画で描いた中学時代の「架空の地方」が、私の歌に投影されるようになっていったのは、高校時代に私が作った自作曲の歌詞に・・・であった。
そうなると、本来漫画作品には出て来なかった風景まで、歌の世界には出てくるようになった。
つまり・・
中学の頃に描いた「架空の地方」は、高校時代に作った自作曲の世界観の中でさらに地域面積が広がっていった・・・ということだ。
具体的には、中学の頃に描いた「ある作品の中の架空の地方」には、海は出て来なかった。でも、高校時代の自作曲の歌詞には海まで出てくるようになっていた。
頭の中では、高校時代に作ったある自作曲の舞台は、中学時代に漫画で描いた「架空の地方」と同じ地方である。
それは、漫画では描かなかった「架空の地域」の続きである。
中学の頃に描いた「架空の地方」は私の歌の中で地形が広がり、高校時代の自作曲の中では浜辺まで広がった・・・ということだ。
この表現、分かっていただけるであろうか。
で、その「広がった架空の地方」は、その広がった状態で私の頭の中に、まるで実際に私が行ったことがあるかのように、存在した。
それはおそらく今も、心のどこかに存在している。普段は出て来ないけれど。
私の心の中にだけ存在する「幻の架空の地方」は、まずどこかの田舎であり、そこでは山がたくさんあり、平野もある。
平野には川も流れている。川は清流だ。河原には丸い石が多数散らばっている。
平野を走る道は舗装されていない。
道沿いには木が並木道のように生えており、木の向こうには田畑が見え、その田畑の向こうには山がある。
山には子供たちが野球ができるような広場もある。
山道からは、狭い平野に田畑が広がっているのが見え、その平野の向こうにはまた山がある。
その山は、高からず、低からず・・の里山だ。
平野には障害をかかえた子供たちが通う学校がある。
バスはクラシックタイプ。
で、その学校の裏には、かなり高い山がそびえたっており、その山はその地方のシンボル的存在かもしれない。山頂付近には雲がかかっている。
・・とまあ、中学の頃に描いた漫画では上記のような「地方」であった。
それが、高校時代に私が作った歌の中では、その「地方」は平野部分の果てに浜辺がある。
そして、その浜辺の海は、歌の主人公が大人になってひとりで帰ってきた時、主人公に向かって「君は変わってしまったね」と語るように、波音を立てている。
こんな展開を紐づけしていくと、山と平野と清流と学校があった場所は主人公が子供時代を過ごした地域で、大人になって久々にその地域に帰ってきた主人公は、平野の果ての浜辺にいて、波にささやかれている・・・ということになる。
でも、大人になって帰ってきた・・・とはいっても、その主人公はまだ若い。
その主人公がその後さらに年月がたって、その地域に帰って来た時、その地域のどんな場所にいるのか・・・それはわからない。
そんな展開になりそうではある。
なんにせよ、どれも架空の世界である。
でも、架空の世界の割には、私の中でははっきり存在している。
じゃなかったら、同じ地域を舞台に、かつて漫画で描いた世界が、その数年後に今度は歌になって出てくることはないと思う。
私はいつかその世界を日本のどこかにリアルに見つけることはあるのだろうか。
私が漫画や歌で描いた「架空の地域」が、日本のどこかにあればいいな・・・と思っている。
もしあったら、「ここにあったのか・・」なんて思って、感慨深いかもしれない。
時々、旅行系のサイトや、地方のサイトなどを見て、そこにその地の風景写真があったりすると、私の中の妄想の「架空の地方」に似た場所がどこかにないものだろうか・・・などと思ったりすることがある。
でも・・・まだない。まだ見つからない。
というか、見つかるという保証もない。
ということは、私が生きてる間、その幻の「架空の地方」を探し続けることになるのかもしれない。
どこかに実在しないかな・・・などと思って。
もしかしたら、私は旅行に行くと、無意識のうちに、その「架空の地方」を探しているのかもしれない。
となると、私の旅は、その架空の地方を探す旅でもあるのかもしれない。
いやあ、お恥ずかしい(笑)。
私は人物キャラクターを描くのも好きでしたが、背景の自然風景を描くのも好きでした。
逆に私は車を描くのは、比較的苦手でした。
あと、背景には、イメージ的で抽象的な背景画を描くのも好きでした。
前世に生きてた頃のイメージですか?
それは自分では全く考えたこともない発想でした。
だとすると、私は風景画を描いたり、歌詞を書いたりすることで、前世の風景を無意識のうちに思い出してることになりますね。
なるほど、それは思いつきませんでした。
来世に無事に人間に再び転生できたら、ぜひアコースティックギターを思い浮かべたいものです。
少なくてもゴキには転生したくないです(笑)。人間がだめなら、せめて猫か鳥に…。
マンガの中の、ワンカットでしょうか。
山々の中に拓かれた人々の集落がキッチリと描き込まれた
風景画なので、正直、驚きました。
ボクの中学時代にも、マンガを描くのが上手い友人が
いましたが、人物やクルマは上手かったけど
バックの処理は、雑でした。
だんぞうさんのイメージする現実に存在しない
風景、それは、だんぞうさんの
前世に生きていた頃の、イメージではないでしょうか。
人間の魂は、転生を繰り返して成長するそうです。
人間の魂の記憶は、時空間を超えて次世代に、
引き継がれていくような気がします。
数十年後(?)、来世に転生しただんぞうさんの魂は
アコースティックギターを、見たら郷愁を
感じるのではないでしょうか。