昨今、地面にマスクが捨てられているのをよく見かける。
コロナで大半の人がマスクをしているからであろうが、地面に捨てる理由が分からないのだが・・。
つけていたマスクのヒモが取れて地面に落下したのを、そのまま放置したのか。
あるいは、単なるゴミとして地面にポイ捨てしたのか。
それとも・・?
どうもそのへんの理由は分からない。
地面に捨てられているマスクをゴミとして見ると、ゴミとしてはけっこう大きい上に、色が真っ白だったりすると目立ちもする。
だからけっこう気になる。
まあ、マスクは衛生上、地面に落ちたらもう使えないであろう。
拾った場合、それをどこかのゴミ箱に持って行かねばならない。
となると、それまでの間、拾った「マスクゴミ」をどうやって運ぶかという問題はあるのかもしれないが、少なくてもそれを使ってた人が拾って捨てにいくのは当然だと思うのだが・・。
どこの誰が使っていたかわからないゴミマスクを拾って処分したい人など、いないだろう。少なくても素手で取って捨てるのは嫌であろう。
他人が処分するとしたら、ホウキか何かで掃いてチリトリに入れて処分することになるだろう。
コロナで大半の人がマスクをしているから起きる問題なのかもしれないが、マスクが道路に落ちてる光景は、見ててどうにもいいものではない・・。
他国で行われたサッカーの国際試合などで、日本人客のゴミに対するマナーの良さが報じられ、称賛を浴びることがあるが、一方で国内ではこんな路上の捨てマスクも存在する。
なんか、恥ずかしい。
もし五輪が開催され、他国の人が日本にやってきて、路上にマスクが捨てられている光景を見たら・・どう思うのだろうか。
こんな日本の光景、外国人に見られたくない。
まあ、同じ日本人でも色んな人がいる・・・と言ってしまえば、それまでなのだが。
大半の人は、ちゃんと自分で処分しているんだし。
マスクを路上にポイ捨てする人は、ごく一部の人なのであろう。
ともかく・・路上にマスクが捨てられているのを見ると、どうも気になる。
それは私だけではないであろう。
外国でも、路上にマスクが捨てられている光景は、よくあるのだろうか。
歩きスマホしているのを沢山見るご時世ですから、マスクを捨てるのも是非もない感じです。何かの本に書いてありましたが、社会の構成人員が5人なら、ふたりがマトモであれば回るのが社会なんだそうです。全員がマトモでないと回らない社会は欠陥がある、ともありました。
歩きスマホもそうですが、妙ちきりんな名前の子供の存在自体が社会の劣化を現しています。
五輪が開催されても、自転車競技の隊列を空撮して絵になる風景があるわけでも無し…これも是非もない感じです。
確かに、落ちてるマスクを処分するには、ゴミをつかむ道具で捨てるしかないのでしょう。
>社会の構成人員が5人なら、ふたりがマトモであれば回るのが社会なんだそうです。
そういう説があるのですか。
知りませんでした。
半分以上がマトモじゃなくても、世の中はまわるんですね・・。
>妙ちきりんな名前の子供の存在自体が社会の劣化を現しています。
いわゆる「キラキラネーム」のことでしょうか。
私時々思うんですが、キラキラネームの子供がいずれ大人になったり、老人になったら、自身のキラキラネームをどう思うのかな・・・と。
社会人になった場合、仕事上では、名前を他人に覚えてもらいやすいメリットはあるかもしれませんけど。
まあ、私がそんなこと考えても、余計なお世話なんだろうなとは思いますが(笑)。
毎年春になると、人材派遣会社だかの新人が「名刺交換して下さい」と来ます。判読不能なヘンテコネームの上にルビが振ってあり、「こう書いてこう読みます」とわずか数分の間に何度となく言います。可哀想です。
画数が多かったり名前負けする字(姫とか歴史上の偉人とか)を付けられるのもかわいそうになります。本人に何の責任もありませんから。
ヘンテコネームを付ける両親が愚かなわけですが、祖父母など周りの大人たちが、その愚行を制止しないのが何とも哀れです。明らかなエラーだと知っているのに(身内なのに!)黙っているのは、非常な冷徹ささえ感じます。自分の星の人民が移住する為に、地球に遊星爆弾落とすガミラス帝国の方がまだ人間味を感じます(笑)
年長者は色々なエラーを見て来たわけですから、若い者に知恵(経験)を伝達してこそだと思います。ヘンテコネームを付けられた子供が成長して、身の回りの大人に見識がないことを知ることになる。それは非常に残念なことでしょう。
日本の伝統ある名前や言葉の語感を無視したヘンテコネームは、歴史の破壊とさえ思います。
あらゆるコミュニティーは崩壊して、全てセルフサービス化して行くのかな、と感じるのです。
名前の内容によっては、恥ずかしい名前もあるんじゃないかなあ。
親は、自身の子供が大人になった時に、自身の名前をどう思うか・・・ぐらいは考慮してもいいですね。
あと、政治にからむ名前もリスキーかも。名前の元になった政治家が、弾劾されてしまったりしたら、同じ名前をつけられた子供は・・。
ガミラスといえば、子供にデスラーという名前をつけたら、どうなるんでしょうね。
>日本の伝統ある名前や言葉の語感を無視したヘンテコネームは、歴史の破壊とさえ思います。
その時代に活躍したり話題になった人の名前をつける・・・というのは、割とありがちなことだと思います。
でも、まあ・・・ほどほどに。としか言えないですね。
その子が中学生くらいにその方は汚職事件で捕まり、「角栄、ロッキード」とはやし立てられたようです。「角栄君、名前を変えて良い」と家裁で調停され、改名したとか…。
百恵や美智子など、時代や流行を反映した名前も聞きますが、名前負けしてしまうでしょう。子供は自分たちの所有物ではありませんし、「願望」もホドホドにしてあげればと思います(笑)
犬猫みたいに10年くらいでいなくなるのはら問題ないでしょうが、迷ったら(ない知恵を働かせずに)ご先祖の名前をいただくのも良いかなと思います。
ぼくはマンガやアニメが好きですが、自分の子供にキテレツな名前を付けようとは思いませんでした。ナガシマ・ラインハルトとかアンネローゼとか…。
最近では緊急事態宣言下での夜遊びなどで評判を落とす政治家もいますし、迂闊な名前はつけられないですね。
その点、評価が定着で普遍の歴史上人物の名前のほうが無難かも。
龍馬とか孔明という名前など、ちょくちょく見かけますね。まあ、当て漢字は変えてあったりしますが。
ラインハルト!
私が最も敬愛するギタリストの名前です。
そんな名前がつけられた子供には、ギターがうまくなってほしいです(笑)。
ただし、指のやけどには注意してもらわないと。