私が子供時代に住んでた家は、家の門を出たところに垣根道があった。
その道は途中から両側が塀の壁に挟まれた道になっていた。
たまに夕方ちょっと手前の時間帯、ヒマをもて余し、かといって誰か友達と遊ぶ予定もない時、私はふと家を出て、家のすくそばの道に野球のグローブを持っていったりすることがあった。
で、一人で野球のボールを壁に向かって投げ、バウンドして帰ってくるボールをキャッチして遊んだりした。で、キャッチしたボールを再び壁に向かって、投げる。それをくりかえす。
いわゆる「ひとりキャッチボール」だ。
家の近くの塀の道は、壁の下の方にちょっとした「でっぱり」があった。
投げるボールを、そのでっぱりにうまく当てると、ボールは小さなフライになって帰ってくる。
ちょっとしたイレギュラーバウンドだ。
それがなぜか楽しかった。
投げた球がまっすぐに壁にあたると、跳ね返ってくるボールは地面にバウンドして帰ってくる。
だが、壁のでっぱりに当たってイレギュラーに小さいフライになって帰ってくると、捕球が楽だし、楽しかった。
だから球を壁に向かって投げる時は、たいがい「でっぱり」を狙って投げていた。
うまくでっぱりに当たらないと球は地面に落ちてバウンドして帰ってくるわけだから、少し腰をかがめないと取れない。だがミニフライになって帰ってくると、そのまま待っていればよかったから楽だったのだ。まあ、多少私自身も少し前に出なければいけなかったけど、腰をかがめて取るよりは姿勢的に楽だったのだ。
それに、投げた球をうまくでっぱりに当てられたことも楽しかったのだ。
その道は、私の家の前が行き止まりになっていたから、車は通り抜けできない。だからその道に車が入ってくることは、まずなかった。
だから、割と安全な道だった。
だからこそ、道路でひとりキャッチボールもできたのだ。
その垣根道や塀の道は家の前にあったから、毎日出かけたり帰宅する時には毎回必ず通っていた。
道の両側の壁の奥には、それぞれの家の庭があった。
どちらも広い庭だった。
広い庭があるということ自体羨ましかった。
だが、広い庭があったおけげで、道の両側に塀があったのかもしれない。
垣根があったり、道の両側に塀があったその道を私は好きだった。
なんというか、独特の風情を感じていたから。
黄昏時などは、特に。
ついでに言うと、その道から見上げる青空も好きだった。
私の自作曲「空の少年」で歌ってある空の風景のいくつかは、その道から見上げていた空も含まれている。全てではないけれど。
「空の少年」以外にも、その道からは何曲かの自作曲が生まれた。
そういう意味では、その塀と垣根の道は私の心の中に深く刻まれていることになる。
ちなみにその道は‥‥道自体は今もあるが、道の両側にあった垣根や塀はとうになくなっている。
両側の塀の奥にあった建物は取り壊され、今では高いマンションになっており、古い建物が取り壊された時に垣根も壁も壊されたのだ。建物や庭と共に。
今では道の両側に高いマンションが無機質に黙って建っている。
貴方には、今ではもう景色が変わってしまった道だけど、いつまでも以前の景色が記憶に残ってる道はあるだろうか?
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