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気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

部分公開されるタイムカプセルノート

2023年08月06日 | 音楽活動

曲を作る人は、作詞ノートを持ってる人は多いかもしれない。

もっとも今はパソコンなどで作詞データを保存してる人も多いだろうけれど。

私が子供のころはパソコンなどなかった時代なので、作詞はもっぱらノートを使っていた。

 

私が大学ノートを正式に作詞ノートとして本格的に使いはじめたのは、確か中学2年の頃。

それまでも、遊びで鼻歌で歌を作ったりはしてたのだが、その頃は音楽の時間に使ってた五線紙に、作詞もしていたと思う。

もしくは、メモ帳。

作詞を志す人なら、普段の日常の中で、ふと思いついたフレーズや文の断片を手帳や携帯などに、フレーズのストックとして保存している人も、いると思う。

メロディの断片もそうだが、歌詞の断片で何か良いフレーズが浮かんだ時に、それを忘れないようにメモっておくのは、結構大事だと思う。

後々、曲作りをしてる時にアイディアに詰まった時や、インスピレーションが減退してしまった時に、そういう過去のストックが役に立つことはあるからね。

ある意味、ストックの多さは、創作活動を助けてくれるものだと思う。

 

 

また、‥…思うに、子供の頃や若い頃に使ってたものや、当時の感情を記憶させてあるものが何十年たっても残ってる人は、それらは一種のタイムカプセルのようなものかもしれない。

子供の頃に読んでた本、遊んでたおもちゃ、書いてた日記、使っていた道具、その他。

私にとっては、作詞ノートも十分タイムカプセルものだと思う。

ある意味、部分公開されるタイムカプセル…という側面はある。作詞ノートに綴られた歌詞の中のいくつかは、メロディがつけられて人前で公開されることがあるから。

そこには当時の自分の字で、当時の感情や思っていたことが詞として綴られている。

筆跡など、今の自分の筆蹟とは微妙に違っていたりもするし、ある意味筆跡や字体にも当時の感情はでている。

そういう意味では、それらは日記のようなものなのかもしれない。

 

時には過去に書いた歌詞が、今のストックと溶け合って、新たな「今の作品」として、新作として完成することもある。

それも、メロディのついた曲として。

そう考えると、応用がきき、新たな生命力を与えられる可能性のある、ぜいたくな日記であり、ぜいたくなタイムカプセルなのかもしれない。

 

ちなみに、以前制作した自主製作アルバムには、中学生の頃に作った自作曲も含まれていた。

その歌詞を書いた時は、その数十年後に、おじさんになった私がその曲を自作曲として自主製作アルバムに収録し、新たな場や命を与えることになるとは夢にも思ってなかった。

その歌詞が作詞ノートに綴られた時は、中学生の頃の自分の筆跡で書かれており、中学生の頃の自分の感情であった。

 

その歌詞を書いたのは、まだ私の作詞ノートが1冊目か2冊目の頃で、私が作詞ノートを使い始めた初期の頃だった。

その頃は溢れるように曲を乱作し始めた時期で、ちょっとでもノートを節約するために、1ページに何作もの歌詞を書いていた。

ある意味、呼吸をするように、頭に浮かんできた言葉を次々と書き綴っていた。

今ではそんなことはなくなった。

それだけに、初期の作詞ノートを見返すと、拙い作品が大半ではありながらも、当時の自分の熱量だけはしっかり記録されている。

だから、やはり、それもタイムカプセルなのだと思う。

多分、当時と同じテーマで作詞をしても、当時のような歌詞にはならないだろうし、まさにそれは当時だから書いた、あるいは書けた歌詞なのだろうし。

作詞という趣味がない人であっても、当時書いてた日記や落書きが今も残ってたら、それもしっかりタイムカプセルなのだと思う。

そこにはかつての自分が残されているのだから。

 

 


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