本屋で何気に見つけた1冊の本。
童謡についての本だ。著者は、北原白秋。
北原白秋の本だ・・というだけで、この本が相当前に書かれた本であることが分かる。
どうやら、大正時代の末頃に書かれ始めた本であるようだ。
私は、童謡が好き。
以前、「童謡の謎」という本が出版されると、ベストセラーになったことがあった。
それはシリーズ化され、結局「童謡の謎」「童謡の謎 2」「童謡の謎 3」と3冊出版された。
結局私は3冊とも買ってしまった。
そこには、童謡にまつわる謎などが、著者独自の視点で探られていた。大変面白かった。
そんな記憶があったので、本屋で見つけたこの「日本童謡ものがたり」も、ついつい買ってしまった。
でも、前述の「童謡の謎」シリーズとは大分趣きが違う本だった。
まず、文体が優しい。子供に話して聞かせてる口調だ。
で、歌に隠された謎を探る・・という本ではない。
どっちかというと、日本の各地に伝わる童謡を紹介するエッセイ・・って感じの本だ。
で、この本に紹介されてる「日本各地に伝わる童謡」の数がすごい。
私がほとんど知らない曲ばかりだ。
こんなにも、日本各地にはその地域なりの童謡があったのか・・という驚きがあった。
平成の今となっては、もうすでに歴史の中に埋もれた曲が大半なのではないだろうか。
そういう意味では、この本は、かつて日本の各地にはこんなにもたくさんの童謡があった・・ということを後世に伝えるために貴重な研究本だろう。
例え、紹介されてるたくさんの童謡を知らなかったとしても。
いや、知らなければ知らないほど、貴重だろう。
童謡の証人として。
この本からは、紹介された童謡を通じて、当時の日本人や各地方の生活・習慣・情景などが庶民レベルで伝わってくるような気がする。
失われた田園風景の片隅に、今では忘れ去られた風習が生き生きと浮かび上がってくる。
ちょっとしたタイムカプセル本とでもいえるだろう。
で、著者の視点がとても優しいので、暖かい気持ちになれる。
ここで紹介された民間伝承の童謡は作者不詳の歌が大半だろう。
なまじ作者が分からない・・というのは、それを味わう人にとっては想像力を刺激させられる。
きっと、世に埋もれた名も無き人が、日々の生活の中で、鼻歌で即興で作ったところから生まれた曲が多いのだろう。
どんな人が、どんな時に、どんな心境でこの歌を作ったのかな・・などと思いを巡らせてみるのは、ちょっと楽しい。
万葉集に「詠み人知らず」の歌がけっこうあるが、それにも通じるロマンがある。
「詠み人知らず」の歌って、色々想像力を駆り立ててくれるよね。
それは童謡にも言えると思う。
また、この本を読むと、日本語が持つ不思議な力を再確認させられた。
日本語ってのは、行間を読ませるのに向いてる言語だと、つくづく感じた。
それと、擬音の大事さ、そしてそのパワーも実感。
童謡の歌詞では、擬音を非常に効果的に取り入れた歌詞が多く、また、その擬音がその曲に与える印象度を非常に強くしている。
そのへんに、私はいつも注目していた。感心もしていた。というか、先人のセンスに敬意を抱いていた。いつも。
実は・・普段はあまり言わないことだが、私は自分で歌を作る場合、けっこう擬音を歌詞に入れる。
偉そうな言い方をすれば、自分の作風の1つなのかもしれない。
それは・・擬音の持つ不思議な力ってのを、昔から自分なりに感じてたからだ。
私の自作の曲から例をあげれば、例えば「岩瀬の湯」という曲では「ふわふわ~」。
「氷点下の砂漠」という曲では「さらさら」。
「五丈原の調べ」(サイトではまだ未公開)という曲では「ひゅーひゅー」。
「今はこんなに夜だけど」という曲では「小雪が ほろほろ」。
「昭和のカンバン」という曲では「カタカタ 揺れていた」。
「つらいショックをうけた日は」という曲にいたっては、ふんだんに出てくる。「雨がザブンとふるのです」「雷 ピカリと光ります」「心 コトコト まわります」ってぐあいに。
もちろん、この他にもある。
つまり・・・けっこうある。歌詞を書くとき、擬音は昔から多用している。
これはおそらく、無意識のうちに童謡の歌詞のエッセンスに影響を受け、その効果が頭に染み込んでいたせいだと思う。
いや・・・やはり、無意識と言ったらウソになる。意識していた・・と言っておこう。
要するに・・・童謡の歌作りの骨格には、私は影響を受けている。
それも、好んで。
この本を読んで、改めて歌詞における擬音の効果を感じた。
童謡に影響を受けつつも、私の作る歌など、童謡の魅力には遠く及ばない。足下にも及ばない。
この本は、童謡の貴重な証人として、図書館などに置かれるにふさわしい。
で、童謡に興味のある方、昔の日本の生活・習慣・文化を研究する方などに読まれていってほしい。
国語や音楽の授業の参考にだってなるだろう。
童謡についての本だ。著者は、北原白秋。
北原白秋の本だ・・というだけで、この本が相当前に書かれた本であることが分かる。
どうやら、大正時代の末頃に書かれ始めた本であるようだ。
私は、童謡が好き。
以前、「童謡の謎」という本が出版されると、ベストセラーになったことがあった。
それはシリーズ化され、結局「童謡の謎」「童謡の謎 2」「童謡の謎 3」と3冊出版された。
結局私は3冊とも買ってしまった。
そこには、童謡にまつわる謎などが、著者独自の視点で探られていた。大変面白かった。
そんな記憶があったので、本屋で見つけたこの「日本童謡ものがたり」も、ついつい買ってしまった。
でも、前述の「童謡の謎」シリーズとは大分趣きが違う本だった。
まず、文体が優しい。子供に話して聞かせてる口調だ。
で、歌に隠された謎を探る・・という本ではない。
どっちかというと、日本の各地に伝わる童謡を紹介するエッセイ・・って感じの本だ。
で、この本に紹介されてる「日本各地に伝わる童謡」の数がすごい。
私がほとんど知らない曲ばかりだ。
こんなにも、日本各地にはその地域なりの童謡があったのか・・という驚きがあった。
平成の今となっては、もうすでに歴史の中に埋もれた曲が大半なのではないだろうか。
そういう意味では、この本は、かつて日本の各地にはこんなにもたくさんの童謡があった・・ということを後世に伝えるために貴重な研究本だろう。
例え、紹介されてるたくさんの童謡を知らなかったとしても。
いや、知らなければ知らないほど、貴重だろう。
童謡の証人として。
この本からは、紹介された童謡を通じて、当時の日本人や各地方の生活・習慣・情景などが庶民レベルで伝わってくるような気がする。
失われた田園風景の片隅に、今では忘れ去られた風習が生き生きと浮かび上がってくる。
ちょっとしたタイムカプセル本とでもいえるだろう。
で、著者の視点がとても優しいので、暖かい気持ちになれる。
ここで紹介された民間伝承の童謡は作者不詳の歌が大半だろう。
なまじ作者が分からない・・というのは、それを味わう人にとっては想像力を刺激させられる。
きっと、世に埋もれた名も無き人が、日々の生活の中で、鼻歌で即興で作ったところから生まれた曲が多いのだろう。
どんな人が、どんな時に、どんな心境でこの歌を作ったのかな・・などと思いを巡らせてみるのは、ちょっと楽しい。
万葉集に「詠み人知らず」の歌がけっこうあるが、それにも通じるロマンがある。
「詠み人知らず」の歌って、色々想像力を駆り立ててくれるよね。
それは童謡にも言えると思う。
また、この本を読むと、日本語が持つ不思議な力を再確認させられた。
日本語ってのは、行間を読ませるのに向いてる言語だと、つくづく感じた。
それと、擬音の大事さ、そしてそのパワーも実感。
童謡の歌詞では、擬音を非常に効果的に取り入れた歌詞が多く、また、その擬音がその曲に与える印象度を非常に強くしている。
そのへんに、私はいつも注目していた。感心もしていた。というか、先人のセンスに敬意を抱いていた。いつも。
実は・・普段はあまり言わないことだが、私は自分で歌を作る場合、けっこう擬音を歌詞に入れる。
偉そうな言い方をすれば、自分の作風の1つなのかもしれない。
それは・・擬音の持つ不思議な力ってのを、昔から自分なりに感じてたからだ。
私の自作の曲から例をあげれば、例えば「岩瀬の湯」という曲では「ふわふわ~」。
「氷点下の砂漠」という曲では「さらさら」。
「五丈原の調べ」(サイトではまだ未公開)という曲では「ひゅーひゅー」。
「今はこんなに夜だけど」という曲では「小雪が ほろほろ」。
「昭和のカンバン」という曲では「カタカタ 揺れていた」。
「つらいショックをうけた日は」という曲にいたっては、ふんだんに出てくる。「雨がザブンとふるのです」「雷 ピカリと光ります」「心 コトコト まわります」ってぐあいに。
もちろん、この他にもある。
つまり・・・けっこうある。歌詞を書くとき、擬音は昔から多用している。
これはおそらく、無意識のうちに童謡の歌詞のエッセンスに影響を受け、その効果が頭に染み込んでいたせいだと思う。
いや・・・やはり、無意識と言ったらウソになる。意識していた・・と言っておこう。
要するに・・・童謡の歌作りの骨格には、私は影響を受けている。
それも、好んで。
この本を読んで、改めて歌詞における擬音の効果を感じた。
童謡に影響を受けつつも、私の作る歌など、童謡の魅力には遠く及ばない。足下にも及ばない。
この本は、童謡の貴重な証人として、図書館などに置かれるにふさわしい。
で、童謡に興味のある方、昔の日本の生活・習慣・文化を研究する方などに読まれていってほしい。
国語や音楽の授業の参考にだってなるだろう。