野球で、投手が投げる球の速度を計るスピードガンは、今じゃすっかりお馴染みの存在になった。
だが、昔はそんなのは無かったのだ。
今でこそ、豪速球と言われる直球の速度がだいたい時速どれくらいなのかの相場は分かる。
以前は140キロ代中盤でも速いと言われたが、今では豪速球と呼ばれるためには150キロあたりがメドになるだろう。
世界記録で160キロ台前半くらいだ。
スピードガンが無かった時代の豪速球投手の直球をタイムスリップしてスピードガンで計ってみたい気がする。
古くは、沢村栄治、江夏豊、山口高志、そして高校時代の江川卓など。
沢村なんて、伝説化してるもんだから、160キロは出てた・・と主張する年配の野球人もいる。
この「球速」が「時速」何キロなのかハッキリするのは興味深いんだけど、昔スピードガンがなくて、豪速球のスピードが具体的に何キロだったのかが曖昧だった時代は、ある意味「夢があった」といえるかもしれない。
だから、野球マンガでは荒唐無稽な表現も多かった。
例えば「巨人の星」の星飛雄馬の高校時代の豪速球なんて、受けたキャッチャーを吹き飛ばしてしまうんだもの(笑)。
昔の豪速球マンガでは、こんな光景はよく描かれていたもんだ。
だが、現実にはこんな光景、メジャーの豪速球投手でも見た事が無い。
まあ、もっとも、メジャーのキャッチャーはそれだけタフなのだ・・と言われてしまえば、それまでなんだけど。
受けたキャッチャーを吹き飛ばしてしまう豪速球なんて、一体時速どれくらいだったんだろうね。
「受けたキャッチャーを吹き飛ばすことができる豪速球のスピードは、時速何キロ以上なのか?」なんていうテーマで、「トりビアの泉」という番組で検証してもらいたいくらいだ。
「黒い秘密兵器」という魔球マンガの主人公・椿林太郎は、超速球ピッチャーでもあった。
作品内では、当時の巨人軍のエース・城之内(だったと思う)と椿が速球比べをするシーンがあった。
カシの板を一列にならべ、投げた豪速球で、そのカシの板が何枚割れるかを競うシーンだった。
城の内投手はカシの木を2枚も割った。
だが、椿の超速球はそんなもんじゃなかった。
なんと!カシの板を4枚も割り、しかもそれだけじゃ収まらず、カシの板の向こうに立ってた木の枝まで数本分折ったように記憶している。
一体、何キロ出てるんじゃい(笑)。
単純に考えても城の内投手の倍以上の威力があったことになるのでは。
仮に、城の内投手の速球は145キロくらいだったとしよう。
倍以上というと・・・・300キロ以上????!!!
まさか~~、そんな(爆)。
スピードガンが一般的になるにつれ、生身の人間がいったいどれくらいのスピードボールを投げられるものなのか、その相場や限界みたいのもハッキリしてきた現在では、昔の野球マンガのような速球の表現はできないだろう。
「黒い秘密兵器」では、魔球がたくさんでてきたのだが、その中の1つに「黒い秘球」というのがあった。
で、その魔球の原理を解説しようとしてる時に、「人間の力では光速を越える速度の球は投げられないだろう」というセリフがあった。
「投げられないだろう」という、あくまでも仮定&推定っぽい言い方だった。
スピードガンが登場し、人間の投げる速球がせいぜい160キロちょいが限界というのが分かっている現在では、「黒い秘球」のその「仮定&推定」っぽい表現すら使われないだろう。今なら「光速を越える速度の球は絶対に投げられない」と断定した表現になるはずだ。
当時は、科学で解明されてない部分の「人間の持つ神秘的な潜在力」というものが、自由な発想の元になっていたのだ。だからこそ、常識ではとても考えられない速球や魔球が作品に登場したのだろう。
そう考えると、科学による解明は、科学の発展及び生活環境・便利さの向上には大いに役立っても、自由な発想の展開という意味では妨げになってしまうことがあるような気がする。
その辺、複雑ではある。
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