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気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

ひきこもりを考える

2021年09月15日 | 日々の、あれこれ

 

ニュースなどで、たまにひきこもり関連のニュースを耳にしたことがある。

なんでも、40代から60代半ばくらいまでの年代で「ひきこもり」とみなされる人は多いらしい…ということだった。

当初こういうニュースを耳にするたびに、ひきこもりと言われる人たちは若い世代に多いのかと私は思っていたので、少し意外だった。

 

40代から60代半ば・・・というと、仮に若いころから同じ職場(あるいは職種)で働いていた場合、経験からくる知識もある程度蓄積され、それなりの立場になって、現場を切り盛りしたり、中心になって動いていたり、現場を少し離れて管理する側にまわったり、やがて50代半ばあたりになって少しゆとりがでて、定年を迎える・・・そんなケースが多いのではないか。

 

ひきこもりの人にとっては、そんな同世代に対して色んな複雑な思いを持つのではないか。

ひけめを感じたり、うらやんだりすると、同世代の・・・特に知り合いには、あまり会いたくないと思うのではないか。

同窓会だって、心のどこかに「たまには参加してみたい」気持ちがあったとしても、「それ以上に行きたくない」と思うのでは。

なぜなら、同窓会などで久々にかつての友人たちに会ったら、まず必ず「今何をやってるの?」とか「どんな仕事してるの?」という話題になる。

そんな時「ひきこもり」だと、どう答えたらいいのか。

素直に本当のことなど言いたくないだろう。異性でもいたら、なおさら。

 

ならば、・・・仮に行きたい気持ちがわずかでもあったとしても、行かない・・になるだろう。

そして、そういうことが連鎖していくと「ひけめ」や「嫉妬」の気持ちはどんどん蓄積されていき、やがていつしかそういう気持ちが別の気持ちに変わっていく場合もあるのでは。

その「別の気持ち」というのは、人それぞれだとは思うが、中には「うらみ」や「にくしみ」みたいな感情に変わっていく場合もあるのかもしれない。

世には色んな犯罪や事件があるが、上記のような状況や推移が犯罪に結びついたのではないか…と思わせられることはある。

それは本人の問題だ…と言ってしまうのはたやすい。でもそれだと何も解決しない。

 

もちろん、それなりに社会で活躍してる特定の誰かがその「ひきこもり」の人に特定の何かをしたわけではないため、その場合「にくしみ」などの対象は「不特定多数」の人たちになっていったりもする。

根っこに「ひけめ」みたいな感情がある場合、普段は「にくしみ」の気持ちを抑えていても、何かのきっかけで誰かや何かがピンポイントにその「ひけめ」の部分を突いてくると、爆発したりして、それが忌まわしい事件に発展したりする場合はきっとあると思う。

 

 

ひけめや嫉妬の気持ちは、社会で成功している人が自身の成功をアピールしたり、幸せそうな暮らしをおくっている人がその幸せぶりを語ったりしてると、それを見たり聞いたりした「ひきこもり」の人の感情はより圧迫されるのではないだろうか。

 

テレビや本などでは、成功している人の自慢やアピールが紹介されたり語られたりすることは多いからね。

最近ではSNSなどでの「リア充」の人の日記もあるし。

更に、そんな人たちの話が「きれいごと」が鼻につく場合、そういうのを見せられたりするたびに、「ひきこもり」の人の心情は、「ひけめ」の度合いがより深くなったりしてもおかしくない。

その結果その先にある爆発の矛先が自身に向かう場合もあれば、他人に向かう場合もある。

自身に向かった場合、自殺になったり。

他人に向かった場合は、障害事件・へたしたら殺人事件に繋がったり。

 

この場合、人それぞれが置かれた状況の格差が問題なのだろう。

 

「ひきこもり」と言われている人だって、それまでの人生において、状況が違って、何か別の道を選択して、それでうまく行ってたら「ひきこもり」になることはなかったかもしれないし、それどころか「偉そうなことを言える立場」「自慢話ができる立場」になれていた可能性もあるだろう。

またそれは逆もあって、リアルで成功してる人が、それまでの人生の途中で様々なアクシデントがあったり、失敗したり、騙されたり、違った選択肢を選んでいたら、「ひきこもり」になった可能性だったある。

時にはその分岐は「紙一重」の場合もあったろう。

 

ほんの些細な分岐や、降りかかった火の粉、ハプニング的なアクシデントが、その後の人生の格差につながる場合もある。

だとすれば、なにゆえ「ひきこもり」の人は、そういう状況にならねばならなかったのか・・・好きでそうなったわけではないはずだ。

 

とりあえず言えるのは・・人生や運命というのは、決して平等ではない・・・ということ。

これは、どんなにきれいごとの言葉でも、ごまかしきれない事実であると思う。

だからこそ、うまくいかなかった人は、うまくいった人のことを羨んだりするのだろう。

 

よく言われるのが、チャンスは誰にでも来るが、そのチャンスを活かすか活かせないかで違いが出る・・・とか、チャンスを活かした人でも、その後に努力したから、それが今のその人に繋がっている・・・などの「説得パターン」。

まあ、その説得パターンの内容は、事実でもあるだろう。間違いであるとは思えない。

とはいえ・・理屈ではわかっていても、現実的に「状況格差」「環境格差」「心理格差」が出ているのも事実。

その事実は、いくら誰かが言葉で説得しても、現実は変わらない。

 

ともかく、好きで「ひきこもり」をしている人は、ほとんどいないと思う。

できれば、その状況から抜け出し、あわよくば「自慢話ができる立場」になりたいと思っている人も多いはず。

現状にひけめを感じてる人もいるはず。

 

とりあえず、年齢からくる「状況の相場」「状況の常識」を考え直すための世論の啓蒙・意識改革も必要なのではないだろうか。

40代50代のひきこもりが増えている・・・という状況を改善するためには。

じゃないと、チャンスがあったとしても、「今更」という気持ちなどが壁になって、飛び込めないケースは多いと思う。

それと・・・それから抜け出すためのチャンスは、幅広く必要なのかもしれない。

今以上に。

そして、そのチャンスの伝達も、もっと幅広くないといけないのだろう。

チャンスがあっても、気付かない場合もあるはずなので。

 

ひきこもっている・・とされている人たちが、実は何かの分野で特異な才能を持ってるケースはきっとあると思うので。

 

 

ともかく・・・好き好んで「ひきこもり」になっている人は、ほとんどいないと思う。

 

 

それまでの人生で、少なくても他人が見たら「勝ち組」に見えた人が、何かのつまづきで「人生の落とし穴」にはまって事件を起こしてしまった時、そのことがニュースで報道された時に、ネットでバッシングを受けることがある。

「これまで散々いい思いをしたきたんだろう、ざまあみろ」とか、「偉そうにしてたんだろう」「散々いい暮らしをしてたんだろう」などの書き込みと共に。

 

そんな時、今回書いた日記のようなことを思ってしまうことがある。

 

 

 

 

 

 


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