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いつか自分のユニットに持ち込んで、ライブで人前で披露してみたい自作曲は、けっこうある。
というか、元々ストック量だけはあるので、披露しないでいると、たまっていくことになる。
最近は某店で、正式ライブという形ではないものの、これまで陽の目を見てこなかった「未発表自作曲」を、店に行くと吐きだしているのだが、それでもまだまだたくさんある。
これが正式ライブということになると、弾き語り形式でもない限り、披露できる曲は中々増えない。
相方に曲を覚えてもらわなけいけないからだ。
作者なら、自分で作った曲である以上、その曲のことは隅々までわかっている。
だが、作者じゃない場合、まっさらな状態から、一からその曲を覚えなきゃならない。
そうなると、けっこう手間はかかるのだ。
まあ、セッション形式でも出来るようなシンプルな曲ならそうでもないのかもしれないが、それなりに曲の構成などにこだわりがあったりすると、ことはそう簡単ではないのだ。
その点、弾き語りスタイルでライブ活動をしている方は、ライブのたびに曲を自由に入れ替えることもできるからいいだろうなと思う。
数年前に私が珍しく弾き語りでライブをやった時は、ここぞとばかりに珍しい曲を入れることができたし。
ただ、長年ユニットでやっていると、いざたまに弾き語りでの正式ライブをやると、どうにも物足りなくなるのは否めない。
昔バンド活動をしていた経験があると、なおさら。
そうなると、曲を作る時に弾き語りを想定して作る曲と、ユニットでやることを想定して作る曲と、バンドを想定して作る曲を、ある程度作り分ける必要性も出てくる。
自作曲の中では例えば「母校が消えた日」などは、元々は弾き語りを想定して作った曲だった。なので、完成してからしばらくはユニットには持ち込まないでいた。
だが、ある時ユニットで練習してる時に、練習の合間(休憩時間)に自分の歌の練習のために軽くこの曲を歌った時、そばで聞いてた相方がすぐに気にいってくれた。
ならば・・ということでユニットに持ち込むことになった。
弾き語りを想定して作った曲の場合は、それを弾き語りではなくユニットでやることになっても、それなりになじみやすい。
だがその逆だと、物足りなさばかりが目立ってしまうことがある。つまりバンドを想定して作った曲で、実際にバンドでやってた曲を弾き語りやアコギユニットでやる場合である。
この場合はけっこう苦労するし、試しに1~2回やってもすぐに引っ込めてしまうことがある。
実際、そういう実例は数曲あった。
だから、バンド時代に作った曲はアコギユニットではほとんどやれていない。
1回だけやって懲りた・・そんな例は多い。
そういう曲をアコギ2本のユニットで演奏してる時、私の頭の中にはどうしてもバンド時代のサウンドが鳴っている。
だが現実には、バンド時代の音ではないし、アレンジ的に「出来ない」ことも多い。
なので、どうしても「なりそこない」みたいな感覚を持ってしまうのだ。
以前にも書いたが、バンド時代の曲をアコギ2本のユニットでやる場合、アレンジのアプローチを変えないといけない。
エリック・クラプトンが「レイラ」をアコギでやった時は、全く別の曲のような装いでやっていた。それぐらいの発想の転換が必要だったりする。
私のアコギユニットの相方の曲は、基本的にどれもバンド時代にやっていた曲。
しかも私と彼は昔は同じエレキバンドをやっていたので、私自身も彼の曲の「元々のアレンジやサウンド」を知っている。
そのせいもあり、彼の曲をやる時は、いつま頭の片隅でバンド時代の音が鳴っている。
いいかげん、その呪縛から離れたい気はするのだが、その曲を私が初めて手掛けた時はバンド時だったので、どうしても最初のイメージから離れられないでいる。
バンド時代にやっていた曲を、アコギユニットでもやる人はけっこういると思うが、そのへんけっこう苦労しているのではないかな・・と思う。
まあ、だからこその面白さもあるとは思ってはいるけれど。
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