湯の澤鉱泉という宿は、低い里山の連なりの中に、心もちひっそりとあった。
館内にはスリッパは無く、靴を脱いであがったら、あとは靴下のまま、もしくは裸足で館内を移動することになる。
夏はいいかもしれないが、冬場は、板床を歩く時は、けっこう冷える。
とはいえ、床の大半には絨毯が敷いてあるので、絨毯部分を歩いて進む分にはある程度救われる。
たまに絨毯がとぎれる個所があり、そこを歩く時に一瞬冷たい。
宿のスタッフに案内され、私は長い渡り廊下を歩いて客室へ案内された。
窓からは田園風景が見える。格別美しい自然風景というわけではないが、普段都心で暮らしている私にとっては、田園の向こうの夕日には、和めた。
宿の敷地内では子供たちの声がしており、里山の田園地帯に響いていた。
さて、荷物を置いて少し休んだ後、再び靴をはいて外に出て、少し宿の周りを散策することにした。
なんてことはない、普通の里山であり、地面には無数の落ち葉が散乱して溜まっており、落ち葉絨毯の里山道は、歩くとフワフワし、実に足に優しい歩き具合だ。
木々が冬枯れの時期なので、少し寂しい感はあったにしろ。
散策した後、早速風呂へ。
男風呂と女風呂は、時間制で変わるらしい。夕方私が入った男風呂は、岩風呂だった。
で、その後、・・・夕飯後に再び入浴したのだが、夜に男風呂になっていた風呂は、浴槽が半分は檜で半分はタイル・・という、まるで2色弁当のような浴槽。
珍しい浴槽なので、なんとか写真に撮りたかったが、湯けむりでどうしてもうまく撮れなかった。
仕方なく、夕方に入った岩風呂の写真を、この日記では掲載しておいた。
岩風呂の写真は、かろうじてなんとか浴槽の感じが撮れたからだ。
檜風呂が、檜とタイルの浴槽になっているのは、話によると、東日本大震災ではこの宿もかなりの被害を受けたようで、地震による地盤沈下で、風呂の浴槽がうまってしまったらしい。
それを引きあげて修復したらしいのだが、その際・・・総檜風呂だった浴槽は、半分がタイルにせざるをえなかったとか。
だが、半分が檜で半分がタイル・・という2色弁当的な浴槽は、これはこれで面白かった。
東日本大震災では、やはり茨城の被害も相当なものであったことを実感した。
聞けば、地震で宿の前の駐車場の地面にも亀裂が入ったり、屋根を全面的に直したり、大変だったそうだ。
なんでも、水戸の駅周辺でも、ビルの窓ガラスが落ちてきて地面に散乱していたとか。
しかも、その説明がさすがに実感がこもっていた。
東日本大震災の余震は、また続いている。
私がこの宿に泊まった時は余震はなかったが、たまたまかもしれない。
まだまだ安心はできない・・それが現地の人の偽らざる思いであろう。
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