美しい夕焼け

美しい晩年を目指して

もう少し一緒に、チャーリー

2025-01-25 16:01:54 | チャーリー


15才(9月5日)のお誕生日を過ぎたころから、チャーリーは、弱り始めました。暑い夏の日々をやっとの思いですごしたころには、食事もできなくなり、やせてしまいました。

その後、涼しくなってきてからは、食事もできるようになり、あまり好きでなかったエサも食べるようになって、ちょっと安心したのでした。



でも、12月に動物病院へ行き、測った体重は4キロしかありません。ヨークシャーテリアは、2キロから4キロという体重でショーに出られるそうですが、チャーリーは体が大きく、いつも4,5キロくらいはありました。

やっぱり夏の暑さがチャーリーの体を痛め付けたのだと思いました。でも、元気に歩けるし、食事も好き嫌いはありますが、食べていましたから、あまり心配はしていませんでした。



ところが、12月の終わりころの寒波で、チャーリーはまた体が痛められてしまいました。食事をしなくなりました。足もよろよろとちゃんと歩けません。

私は、チャーリーの好きなものを思いつくだけ買って、あげましたが、今もあまり食べないままです。美味しいバターのクッキーなど好きなものだけ少しだけ食べて、エサなどは全然食べなくなりました。おやつにあげていたジャーキーも好きだったのに、もう食べません。

お腹はべったんこ、いつも寝ています。「チャーリー、生きてるー?」は私の口癖になりました。



チャーリーを抱いて、いろいろ話しかけています。チャーリーの体は、暖かく、ふんわりとしています。抱いていると私とチャーリーがつながっていると思います。

チャーリーの力がもう少しなくなったら、もう生きているのが辛いと見えるようになったら、チャーリーの命は終わるのでしょう。

今はまだ、もう少し一緒に生きていようねと、チャーリーを抱いて話しています。

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新しい年に

2025-01-04 00:42:29 | 私の日々

あけましておめでとうございます。2025年、新しい年を迎えて、少し明るい方向へ目を向けたいと思っています。

去年の終わりころ、あまり元気がなくて、何も手につかない状態でした。ちょっとしたストレスに悩まされていたのです。それも、あまり大したことではなく、自分の心の状態でストレスにはならないという程度のことでした。

気持ちの在り方を変えれば、大丈夫、今年は、もうストレスなんか何のそのという気持ちでいます。

あとどれだけ命があるのかわからないのに、ストレスなんかに悩まされていては、時間がもったいないと思うようになりました。

新しい年に、新しい気持ちで、できるだけ自分らしく生きていきたいと思っています。

今年はお正月から楽しいことがありました。母が1月3日に100才のお誕生日を迎えました。それで、妹の子供たちが、わが家を訪ねてくれました。

私が病気のため、あまりおもてなしができないということもあり、最近はあまり顔を見ていなかったのです。一人は福岡、一人は岡山と、少し遠くにいるものですから。

でも、今年はおばあちゃんの100才のお誕生日ですから、二人とも家族そろって1月2日に来てくれました。8人と1匹のお客様と、とても楽しい時間を過ごしました。



姪のところには、サンくんという1才のチワワがいます。若いせいで、庭を駆けまわり、その活発な姿に圧倒されるようでした。チャーリーも若いころには庭を走りまわり、夫と遊んでいたことを思い出しました。

サンくんは、チャーリーが気になるのか、ずっと後を付けて構います。チャーリーは逃げてばかりで、嫌がっています。年を取ったチャーリーが少し可哀想になりました。

チャーリーは大晦日から、何も食べていないような状態で、調子が悪かったのだろうと思います。仲良くできたらよかったけれど、サンくんに会えたことは、私には楽しい時間になりました。



母は、3日で100才になりました。ああ、100才!と感嘆しますが、母は、大したことはないように言います。でも、100年生きたことは、いろいろな時間の積み重ねなのだろうと思います。

今は、まだ歩くこともできるし、食事やトイレも自分でできます。物忘れはひどいですし腹の立つことも多いですが、100才だもの、と思います。

私は薬がなくては普通の生活ができませんが、母は、薬も高血圧の薬くらいです。私ができないことを母が変わりにやってくれるというようなこともあり、何とかハラスメントのような生活をしています。

これから、いったいどんな風になるのか、母のこと、チャーリーのこと、私のこと、なにもかも五里霧中です。

でも、人は生きている間は生きていかなくてはならず、自分たちの心の在り方を見つめながら、自分らしく生きていきましょうと、思っているところです。


妹が、母の誕生日にこられなかったからと、心のこもったバースデイカードを送ってくれました。

上の絵は、私が年賀状のために描いたものです。

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年の瀬を迎えて

2024-12-30 00:48:36 | 私の日々
2024年もあとわずか。ああ今年も生きて来年を迎えるのだなあと、感慨深いです。

夫が倒れて病院にいるとき、家に帰りたいと言い始めました。何とかして家に連れて帰りたいと、無理を承知で、寝たきりの夫を家で介護することにしました。2015年のことでした。

それは、いろいろなサポートを頼みましたが、大変なことでした。夫が退院して4か月で、私が病気になりました。

最初は病気が分からず、たぶんそのままわからなかったら、死に至るような症状でした。でも、ぜんそくでかかっていた主治医のヒントで、総合病院で好酸球性多発血管炎性肉芽腫症と診断され、治療を受けて今に至ります。

病気の治療とリハビリ、そしてその時にエコノミック症候群になり、心臓の手術をして、また命の危険にさらされ、その後のリハビリで、歩け始めてすぐに退院しました。病気になってから、7か月もの間入院していました。

その時には、私はきっともうすぐ死ぬのだろうと思っていました。それがもう8年も何とか生きています。

毎年、私はこの年を生きられるかしらと思います。年が終わるころには、ああ生きていられたなあと思います。

今は、いろいろな病気や手術に振り回されている頃よりは、顔のむくみなどはとれたようです。でも、年を取るせいでしょうか、体が痛み、痛み止めを飲まないと、動くことが難しくなります。

今もまだ、たくさんの薬を飲み、おなかに注射して、苦しい思いの中で生きています。特にトアラセットという鎮痛剤は、飲まないとあくびばかりが出て体かだるくなり、いつもの動きができません。

足は痛みよりしびれがひどく、そのうち歩くことができなくなるのではと心配しています。歩くことが一番大切なことと思い、体操をしたり、歩くことを続けています。

そんな自分の状態の中で、生活はだんだん軽く感じられていきます。

でも、そんな中でも、楽しみは、本を読んだり映画を観たり洋服を買ったり、そして、ブログに文章を書くことと、絵を描くこと、です。どこにも出かけられなくなり、想像力と創造力をフルに使っています。

最近は、あまり元気がなくて、ブログも絵からも離れていました。それでも、ブログに来ていただく方はいらっしゃり、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。私のブログを訪ねてくださった方々にお礼申し上げます。ありがとうございました。

皆様がよいお年を迎えられますように、お祈りいたします。

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骨のこと

2024-12-14 14:23:55 | 私の病気
私は、好酸球性多発血管炎性肉芽腫症という難病にかかっています。病院へは2か月に1回、血液検査に行き、薬をたくさんもらいます。

今回は、12月10日でした。そして、骨密度も調べるように言われました。

病気のほうは、数値はよいそうです。今使っているヌーカラという薬を注射するようになって、数値がよくなったようです。そして、今回、ヌーカラとの相性がよいことが分かったので、イムランという免疫抑制剤を飲むように言われました。

薬は大量に飲んでいる上に、また増えた薬に戸惑っています。鼻の調子がよくなるとか、なにか効用はあるようですが。

そして、骨密度は、70代にしては、その年齢の幅の上にあり、とても数値はいいようです。でも、私の骨は固いといわれました。骨が固いのは、いいわけではないそうです。骨がスカスカよりはいいですがね、とのことでした。

骨が固いのは、背骨が曲がっているせいで、無理から来るのだそうです。腰痛がありませんか? といわれ、ああすごい腰痛があります、と応えました。そうなのか、と納得しました。異常に腰が痛いので、どうしてだろうと思っていたのです。

後で看護師さんに聞いたら、骨が固いのは、柔軟性がないので、動きがぎくしゃくすることがあるとのことでした。身体が痛いのは、この骨の硬いことからくるのかもしれないと想像しています。

骨が固いということを初めて知り、そのせいで腰が痛いのだと知りました。最近特に腰が痛み、長く立っていられません。何をするのにも、少しずつ休みながらやっています。

乳がんの手術をした時にも骨密度を検査したのですが、その時には言われませんでした。腰痛もこの頃ひどくなりましたが、以前はそんなに気になりませんでした。

今、自分が年を取ったことを実感しています。身体は少しずつ変化していき、自分の体ではあるのに、思うように動かせなくなります。こうして最期を迎えるのでしょうが、できるだけ痛みがないように、と願っています。

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「八咫烏シリーズ」

2024-12-06 20:10:42 | 本・映画


10年位前のこと、新聞に「烏に単は似合わない」の紹介が載っていました。大学生が書いたファンタジーです。読んでみようかと文庫本を4冊、そのあとに出版された単行本を2冊買いました。

その八咫烏シリーズが、今年、NHKでアニメで放送されました。それを観て、もう一度、本を読み返してみようと思いました。

八咫烏の住む山内の世界の物語です。八咫烏は、人間の姿で生きています。そして、烏として飛ぶこともできます。朝廷で貴族たちが勢力争いをしたり、まるで人間の世界のままです。

最初は、八咫烏の長の若宮のお妃選びから始まります。(「烏に単は似合わない」)そして、若宮が地方の豪族の少年を近習としようとするのですが、少年は反発して、1年だけの側仕えとして若宮に仕えます。(「烏は主を選ばない」)

いろいろなことが起こり、それを若宮とその少年雪哉を中心とした人々が活躍して解決していき、お妃は決まり雪哉も自分の故郷に帰ります。登場人物の心の襞が描かれ、若宮と雪哉とのつながりが生き生きと描かれています。

そして、この後大きな事件が起こります。人食い猿に八咫烏が食われるのです。山内というのは、大きな山を中心にして、その周りに建物を建てて、八咫烏だけが住んでいます。そこに外界から猿が侵入してきます。(「黄金の烏」)

八咫烏の世界は、八咫烏だけの世界ではなく、猿や山の神や人間もいる世界なのです。最初はただのファンタジーとして、人間のような烏を生き生きと描いているのだと思っていました。でもそうではなく、八咫烏の世界は、人間の生きている今の世界とつながり、その異世界のありようを魅力的に描いているのです。(「玉依姫」)

なぜ八咫烏は人間の姿になったのか、なぜ八咫烏の山内の世界は他の世界と連絡が取れなくなったのか、そういうことも解き明かされていきます。

作家の阿部智里は、大学生の時にこの本を出版し始め、今も続いています。こんな異世界のあり方をその若さで構想したことをすごいなと思います。

私は、雪哉が魅力的で好きです。勁草院での若者たちの熱い思いに心が奪われました。(「空棺の烏」)

八咫烏シリーズは「烏に単は似合わない」「烏は主を選ばない」「黄金の烏」「空棺の烏」「玉依姫」「弥栄の烏」までで第一シリーズは終わりました。そのあともまだ続いていますが、私はまだ読んでいません。これから楽しみにしています。

八咫烏シリーズは、人(烏)の心の触れ合いと、得たもの、失ったものを厳しい目で描いています。たくさんの感動をもらうことができます。

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