8月23日に夫は亡くなりました。
その前後2か月は、私にとって精一杯の日々でしたが、夫にとっては、その最後の日々は、どうだったのだろうと心がチクチクと痛みます。
7月頃から、栄養や水分も体が受け付けなくなって、だんだん体に取られるものが少なくなっていきました。
私は、最初のころ、栄養や水分を減らすから、弱っていくのではないかと疑い、いろいろ口を出して、医者や看護師の機嫌を悪くしたのでした。
施設の看護師から、老衰というのは、小腸の中の機能で、栄養を取り込むところが弱っていくので、体がその栄養や水分を持て余すようになるのだといわれました。
夫の体は、手や足が膨らみむくんでいくようになって、それを納得しなればならなくなりました。
夫は、ほとんど目を開けず、眠っているように見えましたが、何かずっと話しかけていると、返事のような声が出たりしました。耳は、聞こえているように思いました。
その頃は、もう毎日面会ができていましたので、私の体力の許す限り、面会に行きました。夫の妹や、私の姪や甥に、もうあまりよくないと伝えると、姪は福岡から会いに来てくれました。甥もお盆の帰省を早めて、岡山から会いに来てくれました。
血縁などというのは、本当にはかないもので、夫の妹は、結局会いに来ませんでした。
夫は、姪が来た時には、目から涙があふれ、甥が来た時には、つむっていた目を開き、ずっと甥の姿を探していたようでした。
そして、8月21日にもう最後ですから、付き添ってもいいと言われ、2日間付き添いました。
ずっと、夫と知り合った時からの、楽しかったこと情けなかったことなどを話しました。しつこく「私と知り合ってよかったよね」というと、夫は「うっ」というような声を出しました。返事だったのだと思います。
22日に母と妹の夫が面会に来てくれて、23日に、妹が面会に来てくれた時、夫は静かに息を引き取りました。毎日私と一緒に夫のところへ来てくれた妹が来たことで、安心して亡くなったのだと思います。
本当に静かで穏やかな顔で亡くなりました。きれいだったと思います。
そのあとは、いろいろな用事があり、今もまだその最中ですが、私の気持ちは、少し落ち着いてきたように思います。
今も夫はそのままの様子で私の周りにいて、時々話しかけています。その姿もそのまま見えるようです。私にとって、夫はきっと消えてなくなることなどないのだろうと思います。
でも、夫にとって、人生の最後はどうだったのだろうと思います。コロナでほとんど家族と会えないままに3年間、辛い日々だっでしょう。会えるようになったら、もう命の最後だったなんて、辛すぎます。
でも、夫の人生をどういう風に考えればいいかはまだわかりません。人に体の世話をしてもらう日々のつらさも、思うたびにかわいそうでした。
でも、夫は、倒れた後、少しずつ元気になり、楽しいときもあったのでしたから、それを思えば少し救われるような気がします。
少しずつ、落ち着いてくると、もう少し私たちの人生が見えてくるかもしれません。どんなに辛く悲しくても、自分たちの人生ですから、受け入れなくてはならないのでしょうね。