
私は、人とあまりうまく付き合えません。
それには、いろいろな理由があると思いますが、その中の一つに、意地悪に耐えられないということがあります。
意地悪を感じたら、スーッと心が離れてしまいます。どんなかかわりも必要がなくなってしまうのです。
そんな風な私の心を沸き立たせてくれるのが、ペットのチャーリーとの付き合いです。
チャーリーは、11歳になりました。だんだん、犬というよりは、人間のように感情が動くように見えます。
早く起きようよと甘え、遊ぼうよと催促し、帰ってきたものへの歓迎、訪ねてきた人への喜び、郵便屋さんへの攻撃(申し訳ありません)、もっともっといろいろなことへの反応が、見ていて楽しいほどです。
その声は微妙に違っていて、七色の声を出します。それは、言葉にはなりませんが、感情の表現が豊かです。
私たちの言葉も、音を認識するのでしょうか、わかるものもあります。

私が今まで、飼ってきた犬たちも、メリーとローリーですが、同じように言葉に反応し、自分の意思を伝えてくれました。
メリーとローリーとはお話ができたと思っています。特に、ローリーの「おかあさん、あのね」という声が、今も聞こえるようです。

そして、今は、お客さんに愛想を振りまいたチャーリーが、夜ベッドの上で、「ママ、ごめんね」と、私にくっついて寝る姿が、かわいくてたまりません。
それは、意思の疎通ができない人間とのつながりよりも、あたたかな付き合いです。
私の妹とお友達の家の犬のお話を一つずつ。

妹が、ピーターを留守番させていた時のことです。もう老犬になっていたピーターは、妹が出かけた時から帰るまで、ずっと遠吠えをしていたようでした。
家の近くまで、帰ってきたときに、どこかの犬の遠吠が聞こえました。家に近づくにつれて、それがピーターの声だということに気が付きました。ずっとないていたのでしょう。
妹は、それからは、24時間、ピーターを一匹で置くことはやめたそうです。

お友達のうちのプレッツェルは、子供たちのピアノの練習に合わせて、歌を歌うようにないたそうです。
それも、ベートーヴェンの曲だけに合わせて歌ったそうです。お友達がいると歌わないので、彼女は、こっそりそれをドアの外から聞いたそうです。
そんな犬たちの様々な様子を見て、聞いて、心がふわふわと浮かんでいきます。
意地悪をしない犬たちの、一生懸命生きている姿を見ていると、本当にいじらしく、いとおしいと思います。
