1997年1月、夫と香港へ行きました。
1997年7月に、香港はイギリスから、中華人民共和国へと返還されることになりました。
中国は「一国二制度」を約束し、香港に共産主義をすぐに施行しないとして、香港側の不安を取り除いたのですが、あれから、ずっと中国は、香港の中国化を目指しているように見えます。多くの人たちが戦い、傷ついた様子をテレビで見て、国の約束など何の価値もないものだと、思っています。
その自由な香港の最期を見るということで、香港への旅は人気がありました。私たちもそんな気持ちで香港へ行ったのでした。
香港は、スピーディーで、人々が闊歩し、高層ビルが立ち並んで経済の街という感じの街でした。香港の女性も男性も小柄ですが、きりっと締まり、前を見ながらさっそうと歩いていました。私はなんだかこのスピード感についていけないなあと思ったほどです。
二人で歩いていると、インド人かと思うような人が、私の耳基に、「偽物時計あります」と日本語で言いました。私はびっくりして、夫に「なんで私が日本人だと分かったんだろう」と訊くと、夫はすまして、「日本人はぼんやりしてるからわかるんだろう」というのです。
私たちは、香港の南のほうの商店街に行こうと計画し、行ってみると商店というより、テントで商品を売るといううらぶれた感じの場所でした。香港の華やかなビル街があって、こんな場所もあるのだと思いました。
帰りは2階建てバスに乗り、上に行こうと大はしゃぎで帰りましたが、今ならきっと2階建てバスはパスするだろうと思います。
美しい香港の夜景、颯爽としたビジネスマン、林立するビル、そんな美しくかっこいい香港ばかりではなく、インド人の商売、増えてきたと思う中国人(英語も日本語もしゃべれない人達)、南のほうのテントの人々、など負の香港を見たように思います。
夫と出かけるのはとても面白く、二人でいろいろな冒険をしたなあと思い返しています。