【2017.05.03】
今日から5月6日(土)までの予定で、息子の住む浦安市へやってきた。
浦安を訪れるのは、昨年の5月連休依頼、1年ぶりとなった。
昼食後、カミさんと息子の3人で向かった先は「浦安市郷土博物館」だった。
昭和27年頃の人情味あふれる漁師町を体感できる博物館で、今回はその様子を写真で紹介することとした。
【冒頭の写真】:木製の電柱の看板の文字は「光アル所に不純ナシ」と読むのだそうで、その横に書かれた「費用 ローソクの四分の一」には笑ってしまった。
【路地】
【ラムネ】
【ヨノール軟膏】
【ベーゴマ】皆さん真剣でした
【干し物】
【けん玉】
【洗濯板】
【三大スタアのポスター】
【船宿】
【とうふ屋】
【天ぷら屋】
【銭湯】
【お手洗い】
【共同水道】
【居間】
入場は無料で、上掲の写真の他に木造船の展示室やテーマ展示室、視聴覚室等が有る。
当時の雰囲気に浸ることができる素晴らしい博物館でした。
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浦安市に、こんな博物館があったのですね。
佐倉市には「国立民族博物館」があり、やはりこうした戦前の佇まいを展示しております。懐かしくて、悲しくて、楽しくて・・・と、とてもややこしい気持ちでいつも足を運んでいます。
やたら昭和を持ち上げる風潮がありますが、やはり昭和は貧しかったのです。でも希望を失わず、懸命に働いた人たちがいたのです。自分の父や母、祖父母の年代の人たちです。
こうしたものを眺めますと、懐かしくて、悲しくて、しかも楽しくなるのです。冷静な理数系のbhf0hjさんにも、こんな気持ちがわかってもらえている気がいたします。それでなければ、こんな素敵な写真をブログにしないはずですから。
それとも今回は、奥様の感性でしょうか。
こんばんは
先日、私からのコメントの返信でハンドルネームに「01」を入力するのを失念し失礼致しました。
今回の博物館訪問の起案者はカミさんですが、私も二つ返事で共鳴しました。
onecat01さんがおっしゃる通り確かに、昭和は貧しかったと思います。
この博物館のノスタルジックなセットは屋外に設置されており、後から造られたものもありますが、平屋の「三軒長屋」は「本物」だそうです。
案内係の方の説明によりますと、この三軒長屋の中の一軒には十一人の家族が暮らしていたと言う事でした。
お爺さん、お婆さん、お父さん、お母さん、そして七人の子供達でしょうか・・・
色々なものを共有(シェア)しながら生活していた様子を想像致します。
私も昭和35年生まれですが、小学校頃までは皆、「継ぎ接ぎ」をした服を着ていました。
今では、継当てをした子供を見たことが有りません。
ご飯に醤油をかけて食べたり、(食べさせてもらった)しましたが、友達はマヨネーズや牛乳をかけて食べたそうです。
紙芝居や金魚売り、豆腐は夕刻になるとラッパを鳴らした自転車が売りに来たり、自転車に旗を立てたアイスキャンディー屋から、アイスキャンディーを5円で買った記憶も、私の頭の引き出しに入っています。
遊びと言えば、ビー玉にメンコ等をやりましたね。
牛乳瓶の蓋でメンコを作ったり、メンコにロウを塗ったり、色々なテクニックが有りましたね。
今回の博物館で、久々にけん玉をやってみましたが、結構面白かったです。
今、私は昭和~平成を生きている途中で有りますが、先人達の歩んだ道には興味が有ります。
時々先人達の声が聞こえてくる気がします、「昔は貧しかったが、今より少しはまともだったなぁ・・・」
これは単に先人達の脳軟化症やアルツハイマー的理論では無く、本当のことに思えてなりません。
今度は自分に、「希望を失わず懸命に生きた先人となる」、その為の努力をする順番」が来ているのだと認識しています。