先日、実家で見つけた超合金「ゲッタードラゴン」です。古い鉄道写真をゴソゴソあさっていたら、ついでに出てきました。状態はまあまあですが、ロケットパンチが2個ともありません。この部品が無くなるのは超合金あるあるですね。逆にマジンガーZ?グレートマジンガー?の方はロケットパンチのみ存在して、本体がありません。中途半端ですねえ。ちなみに昔所有していた超合金はこれらとグレンダイザー、ロボコン、ゲッターワン、イーグル号、マシンハヤブサだったような気がします。どこかに行ってしまいましたが。昔の超合金は今のものに比べると不格好ですが、そこが味があって魅力的です。
1980年代に山陽線西阿知-倉敷で撮影したEF65 500番代牽引上り貨物列車です。当時はインターネットも無く、どの機関車がいつ来るかも全くわからずたまたま線路際にいたところ、この列車がやって来ました。特急色の500番代には驚きました。しかし、図鑑などで見るブルートレイン牽引機とは少し違い、スカート周りがゴチャゴチャしているななどと思っていました。この517号機はこの後も何度か遭遇することがありました。牽引している貨車も今となっては珍しい貨車です。
先日、所用で付近を通りがかった際に見かけたごみ収集車です。一見何の変哲もないごみ収集車ですが、よく見ると後ろ側真ん中より少し上に諫早市のごみ収集事業所の名前の型が残っているのが見えます。詳細は不明ですが遠く諫早市で何年も活躍した後、岡山にやって来て、岡山ナンバーとなり岡山市内で活躍しているようです。諫早といえば、以前に島原鉄道のキハ20などを見に行った際に立ち寄った場所となります。コロナ禍で全くどこにも行けていないので、諫早の文字を見ただけで何とも言えない懐かしい気持ちになりました。
http://bird.sapolog.com/e222555.html 以前訪問した諫早駅
1970年代後半に倉敷駅で撮影した水島臨海鉄道DE70牽引の下り貨物列車です。下手くそなくせに駅名標と一緒に撮影しようとしてこうなってしまいました。水島臨海鉄道DE70は1年ほど前に廃車になってしまいましたが、この写真の1970年代は白いプレートを付けていました。いつ頃かはわかりませんが、赤いプレートに変わっていました。変わったのはプレートだけでなく、実は機関車そのものも変わったという噂もありますが真偽のほどは不明です。ただご覧の通り白プレート時代があったのは事実です。駅名標も古いですねえ。
1970年代後半に倉敷駅で撮影した下り急行「伯耆」の後ろ側です。先日リバイバル急行列車が運転されたのでこの写真を思い出しました。来月初旬にリバイバル急行「鷲羽」が運転されますが、この写真の左隅に153系もかろうじて写っています。キャノンデミというハーフサイズの小さなカメラを使用していました。この頃の倉敷駅には荷物列車も運転されていたためだと思われますが、ホーム屋根上を小さなコンテナらしき物をのせてホームからホームへ行ったり来たりする設備がありました。この写真の奥にその設備が写っています。列車の待ち時間にぼーっと眺めていた記憶があります。当時小学生だった私は地元倉敷駅に来るのが精一杯。撮影のための遠征なんかとても考えられない時代でした。