私はもう乗り越えて生きて来たと思っていたけど、それは錯覚だったようだ。
亡くなった母親がフラッシュバックしたのだった。
事は最近の家の中で。
パートナーが体調がふるわず、色々と機嫌が悪く、それなりに取るに取らないことで当たり散らすようになった。
その時には奇声なりヒステリーなりがある。
私は何も言わずにカバーリングやアフターケアに、反撃も反論もせず黙々と走るが、
私の内側では、それが増幅と拡散をして、複数回再生されていった。
その再生回数は、これを書いている現在も増え続けている。意思に反して、繰り返される。
潜在意識は、そういうこと。体感を伴ったものは、理論では勝てない。体感が正とされる。
私は、徹底的にパートナーを責め立てなかった。
別の場に寝静まり、目を閉じて数分、現実世界にいなかった。
命懸けで、「連鎖」を断ち切っている。
徹底的にパートナーと私の母親は関連性のない人物だし、そもそもがパートナーと出逢った時には、私の母親はとっくに他界して何年も経っていた。私が同じ行動を仕向けるのは間違いなのだ。
命の責任。
生きてる間だけの、「今さえ良ければ良い」思考は、とても身勝手だ。自分が他界した後のことに思いをはせてなければ、それは全てその場しのぎでしかない。結果、後の命にお金以上の負債を残す。返済不可能かもしれないな。
それでも、やろうと思う。
今になって勝手に生きてる私の母親を、徹底的に潰しにかからなければ、パートナー、娘、御縁、ましてや仕事まで、信頼を失うだけだ。結果、自分に何も残らなくなる。
人間は誰しも自助努力や自己責任で生きていない。
そう思い込んでる人や論じるような人は、
それまでの途中経過に対する恩が、無いのだから。
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