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みなさんこんばんは。
毎日遅くまで起きている悪い猫でございます。
仕事とはいえ、断られると凹むものです。
この3日ほど連続してアポキャンもしくは、話を十分できない状態で情けなくなってきます。
今日も片道40分、バイクで走ってお客様のお家にいけば、別に来てもらわなくてもいいからと玄関先どころか門前払い、せっかくアポイントまで取っているのに・・・というかアポイントは別の会社に取ってもらっているのですけど、ちょっと酷過ぎる。
今回も、全く私の話を聞かずに保険の話を聞いたら洗脳されるから自分で考えるって・・・。
病気になっても医者に行けば洗脳されるから自分で医学書を読んで自分で直すのでしょうか?
病気なら医者に行こうとするのに、保険に関しては自分で判断できるという方の多いこと多いこと。
今までの保険販売が、半押し売り【現在もあまり変わらない場合もありますけどね。】状態のため嫌気がさしているというのも背景にあるのでしょうけどね。
昔の私だったら同じような行動を取っていたでしょう、自分で考えて自分で判断するから、他人の意見は聞かないよと言ったパターン。
最近は、自分がわからないところはまず専門家に聞こうというスタンスに変えました。
そうすると気が楽になるとともに、自身の知識と教えてもらう知識を融合させやすくなるのでこの方法は大いに気に入っています。
ということで、昨日は国鉄OB の方たちに囲まれてアマチュアの私に色々と国鉄時代の貴重なお話を聞かせていただきました。
今回初めて話すよというお話まで飛び出し大いに盛り上がったものでした。
また、次回会える日が楽しみです。
さて、そんな話はともかくとして、黒猫の起こる悲劇とはなんだったのでしょうか?早速始めたいと思います。
豊橋から道言った経路を使ったのかあまり憶えていないのだが、東京行の大垣夜行で東京に向かったことだけははっきりと覚えています。
だって、ここで悲劇にあったんだもん。
おそらく、豊橋で比較的遅い時間まで時間を潰したのだと思うのですが、17歳の紅顔の美少年?ですから深夜徘徊で補導されないか心配でしたよ。苦笑
ここで簡単に、大垣夜行の解説を
大垣夜行というのは通称で、普通347M・普通344Mと呼ばれる、東京~大垣間を結んだ快速列車でもっと遡れば、昭和43年の改正で廃止が決まっていた東京発大阪行きの141レと姫路発東京行の144レの運転区間を、大垣~東京【下りは東海道支線、美濃赤坂まで運転】の客車から電車に置き換えたもので、当時の国鉄総裁石田禮助の決断で残った列車であった。
大垣夜行は、東京に出た後に急行東海の運用に入り、再び夜行列車で大垣に帰る行路が組まれており、グリーン車が2両つないだ編成でした。
初めての旅でも有り、車中泊となるため少しでも快適に眠れるであろうこと、さらに当時の普通グリーン料金は長距離になるほど大きく安くなるので思い切って東京までの切符を買ったのでした。
しかし、快適なはずのグリーン車であんなことが起きるなんて・・・とても信じられません。
ということで、この続きはまた後ほど。
本日は、中村雅俊 「俺たちの旅」などどうぞ。
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