国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

紀勢本線を走った夜行列車のお話 第22話

2019-06-19 23:21:42 | 国鉄思いで夜話
今回は、昭和61年の二回目として,8月号の時刻表を取り上げてみたいと思います。
国鉄からJRまで8か月ほど、弊サイト国鉄があった時代から8月頃の国鉄時代を参照してみたいと思います。
8月だけに限定してみたのですが、これだけでもかなりのボリュームになりました。あまりに多いので、かなり省略させていただきました。
是非興味を持たれましたら、弊サイト本文を併せてご覧いただければ幸いです。


日本テレコム営業開始 8/1

東海道新幹線沿線の光ファイバ線を使用日本テレコムの専用線サービスが東京~大阪聞が、新規参入した第1種通信事業者としては最初に営業を開始

希望退職の応募状況(7/31現在2,692人)と人材活用センターへの配置状況(12,730人〉発表 8/1
福知山線【複線化】宝塚~三田間 8/1

国鉄は福知山線複線電化工事のうち、宝塚~三田間の複線工事が完成したため営業使用を開始
また生瀬~道場間では別線へ切り替えたため営業キロを1.8km短縮

桜井線「あなたとなら大和路」キャンペーンの一環として、C56 160による「SL大和路号」が奈良駅 ~ 王寺駅間で1日1往復運転 8/1~8/7

第2次特定地交線胆振線の第5回対策協議会で61.11. 1パス転換を決定 8/2
8/2
第2次地交線胆振線の対策協議会は。鉄道運輸は10月31日まで、11月1日から道南バスに転換することを決定
関山~直江津間開業100年 8/3
新鉄局は信越本線関山~直江津間が開業100周年を迎えたのを記念し記念列車運行や上越市内パレードなど、多彩な記念行事を開催
豪雨禍広がる 8/5→8/4
豪雨被害は、関東から東北へ広がり、東北新幹線が始発から10時40分までストップしたほか、東北・常磐線の一部区間と水戸・小郡・真岡・烏山線が全面運休に1万人が車内泊
台風10号による大雨のため内房線で脱線がある等首都圏,東北地方のダイヤが混乱 8/5
新幹線総局の非現業職員による新しい組合「新幹線鉄道産業協議会」結成 8/5

福岡市と北九州市が国鉄職員をそれぞれ100人,120人受け入れることを決定 8/5
大分県が国鉄職員90人受け入れを決定 8/6
運輸審議会の運賃改定公聴会開催 8/6~8/7
運輸審議会は7月14日国鉄が申請した運賃改定に関する公聴会を開催、杉浦国鉄総裁や一般公述人等が意見陳述
運輸大臣が,国鉄から申請が出ていた池袋駅ピル建設計画について許認可 8/6

大分県が国鉄職員90人受け入れを決定 8/6
第2次地交線羽幌線の対策協議会は、第4回対策協議会で鉄道存続を断念し全線バス転換に踏み切ることを決定

1日現在の労働組合の組織概要発表 8/6

組織概要によると,国労はこの1カ月間で組合員が約1万2000人減少し約14万4000人となり本年度になって既に、になってすでに2万2000人の減となっている。逆に労使共同宣言締結組合は組織を大幅に伸ばし、鉄労は3万7000人近く,勤労は3万3000人程度、新しい工事労働組合連合会が3,800人になるなど「国労離れ」が起こっている。

札幌市が国鉄職員100人程度の受け入れを発表 8/7
上諏訪駅に露天風呂 8/8

上りホームに世界初の駅露天風呂がオーブン。入場券・乗車券で入浴でき、入浴証明書をもらえる

近鉄南大阪線 大阪阿部野橋駅 ~ (あびこ筋東側)間の一部が立体交差化 8/10
「明日の国鉄を創る会」と福岡青年会議所共催の「国鉄改革九州フォーラム」が福岡市だ開催 8/11
千葉局で非現業職員81人の新しい労働組合「千葉鉄道技能人協議会」結成 8/11
国鉄改革PR作戦(第6弾)として『国鉄の改革を』みなさまの声が聞こえます」と題したポスターを全国に掲載 8/11
第3次特定地交線岡多線の第1回対策協議会で第3セクター化が決定 8/11
岡多線→「愛知環状鉄道株式会社」ヘ転換。8/11

資本金25億円、愛知県40%、岡崎・豊田・瀬戸・春日井の4市で40%、残り20%を民間企業が出資
社長は愛知県知事が就任、引継ぎ区間は国鉄岡多線新豊田~瀬戸市間と瀬戸市~高蔵寺間の工事区間を引き継ぐことで決定

長崎県が国鉄職員75人の受け入れを決定 8/12
四国総局で「四国鉄道産業協議会」と「四国鉄道工務労働組合」の2つの新労働組合結成 8/14
小田急電鉄多摩線路線延伸申請。8/14
運輪省で国鉄職員1000人受入決定 8/15

運輸省は昭和62年度以降5カ年で、合計1000人の国鉄職員を受け入れることを、各省に先駆けて決定

****以下省略、
国鉄があった時代昭和61年後半

ということで、この頃になると国鉄職員希望退職や他省庁等への転籍が積極的に行われており、国鉄職員から全く新しい世界に転身した人も数多くありました。
また、国労からの脱退は続くと共に、雨後の筍よろしく、独自の小さな労働組合が多数発生して行きました。
さて、国鉄に関する概要はこの程度として、昭和61年の紀勢本線をご覧いただこうと思います。



表紙は,485系1000番台を先頭とした「特急つばさ」の表紙となっています。

臨時列車ではありますが、6時台に天王寺を出発する臨時列車が設定されています。
天王寺を6:57、和歌山に7:47着、終着の白浜には9:07到着という列車です。



更に次のページをめくってみますと、一度は全廃された「急行きのくに」(きのくに52号)が臨時列車とはいえ、急行列車で復活しています。

運転期間を見ると、8月24日までの毎日運転となっています。
車両には、165系が使われたかと思いますが、中間車に167系も連結されていたような記憶があります。
他にも、同じ日では有りませんが、サロンカーなにわを使った臨時列車やお座敷列車を使った急行列車が運転されていますが、天王寺~新宮まで381系が4時間ほどで走破するのに対し、6時間程かかっています。
停車駅は特急並みなんですけどね。



くろしお号は22本も運転されており、時間帯によっては30分おきに特急が走っています。
当時は高速道路は、昭和59年に湯浅まで開通したばかりであり、国鉄としては南紀方面は十分優位に立っていた故にこれ程多くの特急列車と、臨時の急行列車などを運転していたと言えます。

当時は、ハローホリデー有田という臨時列車がある時間帯は、普通列車は30分おきになりますが、それ以外は相変わらず1時間おきの列車間隔です。

さて、肝心の夜行列車ですが、こちらは、「いそつり」号と924列車の2本立てとなっています。
「いそつり」も924列車も12系客車が使用されていますので,快適性という点では同じであったと思われます。
なお、8月1日・2日だけでは電車で運転されたと書かれています。

こうして見ると、非電化時代と比べると昼行特急が増えることで、夜行列車のウエイトは軽くなっているように見受けられます。


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