今回アップしたのは昭和37年7月号の鉄道ピクトリアルの画像からです。
東海道本線が全線電化されたのが昭和31年11月19日、これに遅れること約6年、昭和37年5月12日に山陽本線三原駅~広島駅間が電化開業、特急つばめは東京~広島をロングランで走る列車として設定されることとなりました。
山陽本線が全線電化されるのは昭和39年7月25日ですので、さらに2年待つことになったわけですが、もっと昔から電化されていたように思いますが、新幹線が開業する年まで山陽本線に非電化区間があったことはちょっと驚きを禁じ得ません。
昭和37年鉄道ピクトリアルから引用
さて、この記事はセノハチ区間をEF61に後押しされている「特急つばめ」の記録的写真です。
若い人には意外と思われるかもしれませんが、こだま形(当時の形式は151系)はモーター出力が100Kwと小さく、勾配区間では電動機の温度上昇などが問題であったことから補器を連結することになったと思われます。
同じような事例では、上越線の161系が誕生した経緯もそうですが。151系の歯数比の関係でした。
ちなみに、153系はについてもMT比が1:1では問題があったそうで、オヤ35と呼ばれる控え車を連結していました。(1962年に国鉄幡生工場でスロハフ30 6・13(旧31700形)を改造した車両 wiki参照)
昭和37年鉄道ピクトリアルから引用
これはダブルルーフの旧形客車を控え車として電車と連結する側の連結器を密着連結器に変更、機関車側を自動連結器に変更したものでした。
画像 wikipedia
いまでも、貨物列車にとっては難所のセノハチですが、電化後もこうした補器のお世話になった時代があったと言うことで皆様にご披露させていただこうと思います。
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