国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

車内販売と駅弁と

2015-02-01 21:18:44 | 国鉄思いで夜話


JR西日本が新しいチャレンジを行うという、温かい味噌汁などを提供するということで、今まで何故出来なかったのかと逆に不思議な気もするが、こうした取り組みは素直に評価すべきでしょう。
乗り物ニュース
現在は列車の乗車時間がだんだんと短くなる傾向があり、山陽新幹線も開業当初は新大阪~博多間で約4時間、東京からの直通だと7時間はかかるということで、供食設備は必要になるであろうということから新幹線に初めて本格的な食堂車が導入された、それまでは35形と呼ばれるビュッフェスタイルのみであったので、それはそれは新鮮に写ったものでした。

新幹線時代の食堂車35形【開業当初は通路側に止まり木形の座席があった】

初期の35形食堂車 交友社 電車のアルバムⅡから引用
画像はwikipediaからの引用ですが、新製当時は山側に窓がなくて富士山が見えないとクレームがあって、その後山側にも窓を設けたとか・・・。


実際に、食堂車での食事は相対的に高めでしたが、それでも気分転換になることから利用は結構多かったですし、実際食堂車が満員で、食堂車の一角に設けられた喫煙場所で待たされたなんてこともありました・・・。

といことで、食堂車を利用する人も多かったのですが、急行列車など食堂車が連結されていない列車の場合は駅弁を買うのが一般的でしたね。
車内販売で買う場合も有りますが、その多くは駅で買うパターン、窓を開けて「駅弁やさーん」と叫んだものでした。
弁当と温かいお茶をセットで買うのが一般的で、昔はお茶は瀬戸物の夜間タイプだったそうだが、私が子供の頃はすでにプラスチックと言うかポリエチレンの急須タイプで、蓋がコップ代わりの代物でした。

あとは、駅そばを車内で食べるというのも多かったですね。
こちらも昔は丼が瀬戸物だったような気がします。

それでいて、食べ終わると弁当箱などはシートの下に入れるのがお約束?でした。
今ならデッキのクズ物入れにということになるでしょうが、当時はクズ物入れがデッキにない車両も多く、皆さん普通に足元に・・・・。
まぁ、スハ43の初期の設計などでは床下にゴミを入れる構造になっていたりするのであながち間違いではなかったと思います。

回想の旅客車から引用

多くの場合は途中でゴミの回収とか行っていてくれたようですが、列車によってはゴミの回収をしなかったので。終着駅近くになるとゴミも一緒に通路に移動してきたりして汚い汚い車内の出来上がり。(^^ゞ

昭和40年代の急行日本海などの写真を見ていますと、通路にゴミが散乱してひどい状態になっている写真が残っていたりしますね。

現在の鉄道車両は早くなり快適になった反面、「心のゆとり」といったものを無くしているような気がします。

鉄道車両は、バスや飛行機とは比べ物にならない自由があります。
それは、他の乗り物と比べて自由に動ける空間を儲けやすいということです。
バスと比べると圧倒的に広い空間、飛行機のように発着時などの座席への強制着席といった制約がないという自由・・・これは鉄道にしかできない特徴であり供食設備の充実は今後の鉄道がより選ばれるための一つのキーになりそうな気がしますね。

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