久しぶりの更新になります。
今回は、昭和37年3月並びに、昭和38年3月号の時刻表を参照しながら、時刻の変遷を見ていきたいと思います。
昭和37年3月号では、九州・四国・南紀・山陰地区時刻改正と書かれており、この月に小規模なダイヤ改正が行われたことが伺えます。
早速、当時の時刻表を紐解いてみますと、
尚時刻ですが、この改正で、「うしお」は発車時刻は変わらないものの、気動車列車に置き換えられており、到着時刻が10分ほど早くなっており、5:42紀伊勝浦に到着しています。
新宮での長時間停車がなくなるともに、三輪崎にも停車しています。
ちなみに、再掲になりますが。昭和36年10月改正の時刻表ではこちら
客車列車で、新宮駅での長時間停車があります。
ただ、そのような早朝の時刻に到着しても、需要はあったのかなという気もしますが。
それなりの需要は見込めたのでしょうね。
当時の編成がわからないのですが、5両編成だったそうですので
キハ55+キロ25+キハ55+キハ55+キハ55
と言った編成だったのでしょうか?
時刻表では1・2の表記がありますので、一等・二等に指定席があったことが伺えます。
次にご覧いただくのは、昭和37年3月になります。
更に昭和37年10月の改正では、大きな変化はなく、三輪崎駅が再び通過になった程度で、運転時間には大きな変化はなさそうですが、2等車の指定席がなくなり、
4両編成
キハ55+キロ25+キハ55+キハ55
の編成となりました。
さらに、昭和38年の改正では、「うしお」に関しては、名古屋始発の時刻が23:00となったほか、準急ひだ3号が、四日市まで延長運転されているのを時刻表から見ることが出来ます。
昭和38年の時刻表では、準急「ひだ」が四日市まで延長運転されています。
昭和37年の時刻表では、「ひだ」の延長運転はありません。
続く
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