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国鉄時代の思い出、番外編
国鉄時代の番外編として、家族パスのお話をしたいと思います。
国鉄時代は、国鉄職員は全線パス(日本全国無料パス)、家族は原則5割引の家族割引証というものがありました。
このパスはかなり優れもので、家族であればだれでも5割引、急行料金は不要でした(ただし、寝台車だけは割引がなかったので寝台を使った記憶は殆どありません。)
ですから、家族で旅行する際は一般の家庭と比べるとかなり有利な条件で旅行ができたことになります。
さらに、1年に5日だけですが家族も全国を無料で旅行できるパスが支給されていました。
これは、功績賞以上の職員だけに交付されていたパスのようで、実際に使い出したのは私が高校生になってからでした。
日本全国どこでも無料で行けるパスはやはり魅力で、最初に出かけたのは長野方面でした。
当時は写真も撮影して、私なりの旅の記録として残していたのですが複数次にわたる転居ですっかり失われてしまい。
今は、かすかな記憶を手繰りながらお話をさせていただきたいと思います。
今回のお話は実話ですが、なにぶん記憶だけに基づいて書いていきますので、思い違いだったり多少違う部分が多々出てくるとは思いますがよろしくお願いします。
「黒猫、初めての旅、マタタビを求めて。第一夜」
黒猫は、幼少の頃から放浪の旅人であった、小学校3年生の時に父方の親戚である鳥取の田舎に毎年行くようになってから早8年、高校生になった黒猫は、初めての本当の一人旅にでることとなった。
猫の好物マタタビを求めて・・・じゃなくて、振り子試験電車を求めての旅でした。
初めて手にした無料パスは、定期券や国鉄職員の無料パスと同じ大きさのパス
このパスがあれば全国どこでも無料で行ける、ただし、寝台車はだめ、グリーン車はグリーン券、特急は特急券を購入することで利用可能であり、この二つは家族割引を使えば5割引で利用できるわけですからこれまた、一般の学割の周遊券を使うよりも大幅に安くなるのです。
早速、特急でと言いたいところなのですが、そこはそれ貧乏旅行の始まり。
素直に、快速電車での旅立ちとなりました。
昭和53年の紀勢本線電化でそれまで走っていた阪和線の新快速は一般の快速となりそのうち1本は紀勢本線直通となりました。
今と違って6両編成が直接天王寺から御坊もしくは、田辺まで直通していました。
このときは、和歌山から乗ったのか宮前駅から乗ったのか覚えていないのですが、取りあえず急ぐ旅でもないので特急には乗らず快速で天王寺に向かいました。
当時は、新快速が廃止され、45分運転は消えていましたが、それでも最速52分(和歌山・和泉砂川・熊取・和泉府中・鳳・堺・天王寺)で結んでいましたのどぇ阪和線に限って言えば、30年前よりも20分も遅くなっている現状はどう説明すればよいのでしょう?
ああ、ここまで書いてもまだ大阪にも来ていませんね。
でも、ひとまず終わらせていただきます、続きは明日の朝にでも書かせていただきます。
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